皆さんは、彼女についてどのようなイメージをお持ちだろうか?

清楚で控えめな印象をお持ちの方が多いのではないか。
そもそも、童顔のために一見小柄に見えるが、実際の身長は163cm。その愛くるしい見た目通りではないからこそ、さまざまなギャップがあるからこそ、女優として超一流なのかも知れないわけで……。
子役を経て女優へ 映画や舞台で数多くの賞を受賞
宮崎あおいの芸能界デビューはわずか4歳。
母親が思い出づくりのためと受けさせた子役オーディションがきっかけとなる。
マクドナルドやトミーなど一流企業のCMに出演しているが、ドラマや映画では名前のない端役が多かったようだ。

本格的な女優デビューは1997~99年ごろ。
映画デビュー作は、99年の大林宣彦監督の『あの、夏の日~とんでろ じいちゃん~』となる。新・尾道3部作の第3作目に当たる作品で、薄幸の少女役を儚くも可憐に演じて話題の人に。
その後、ティーンズ向け女性ファッション誌『ピチレモン』のモデルとして人気者になるなか、2001年には、映画初主演作『害虫』で「ナント三大陸映画祭コンペティション部門主演女優賞」を受賞(公開は2002年)。続いて、2002年の『EUREKA』では「第16回高崎映画祭最優秀新人女優賞」を受賞。さらに、2003年には初舞台で主演を務めたミュージカル『星の王子さま』で、「第41回ゴールデン・アロー賞演劇新人賞」を受賞と、頭角を表していく。
アニメやラジオドラマ、ドキュメンタリーのナレーションなど、声を生かした仕事にも積極的にチャレンジ。
ちなみに、連続テレビドラマでの初主演作は、2002年のBS-i(現BS-TBS)の『ケータイ刑事 銭形愛』。その後シリーズ化され、若手女優の登竜門ドラマになった「ケータイ刑事 銭形シリーズ」の第1作だ。
第2作『ケータイ刑事 銭形舞』での主演は堀北真希だが、その堀北とその後因縁浅からぬ仲な件については、また後ほど……。
『NANA』でブレイク NHK朝ドラでは異例の抜擢でヒロインに
世間的に、宮崎あおいの名が轟いたのは2005年の映画『NANA』からではないか。
人気コミックの実写映画化にして、中島美嘉とのW主演作品だ。
2005年度実写邦画観客動員数第2位、興行収入40億円の大ヒットは、今までの作品とはケタ違いの実績である。

メジャーな存在となってからは怒涛の快進撃が続く。
2006年度上半期のNHKの連続テレビ小説(朝ドラ)『純情きらり』では主演を務めたが、これが異例中の異例となる大抜擢。
同枠では、1966年度の『おはなはん』以来、ヒロインオーディションが行われてきたが、今作では初めてオーディションなしで、NHK直々のキャスティングとなったのである。
しかも、NHK放送開始80周年記念となる節目の番組での起用だ。
NHKが宮崎あおいにかける思いは相当強かったと思われる。
そして、その期待に応える形で最高視聴率は24.2%を記録。
「第44回ゴールデン・アロー賞放送賞(ドラマ部門)」と、「第50回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主演女優賞」を受賞するなど、その演技に対する評価は高かった。
平均視聴率19.4%は、現在放送中の朝ドラ『半分、青い』が、ネット上では批判の声が大きいながらも連日20%超えの高視聴率をキープしているために低く思われるかも知れないが、朝ドラ低迷期にあった当時としては、6作ぶりに19%台に持ち直した快挙。
2003年度下半期の石原さとみ主演『てるてる家族』から、2011年度下半期の尾野真千子主演『カーネーション』までの17作品中、『純情きらり』の平均視聴率19.4%がトップだったのである。
(2007年度下半期比嘉愛美主演『どんど晴れ』も同じく19.4%を記録)
大河ドラマ『篤姫』で歴代最年少主演 視聴率も絶好調
この確かな人気を受け、2008年の大河ドラマ『篤姫』では歴代最年少22歳での主演を務めることに。
朝ドラのヒロインが大河ドラマの主役を単独で務めるのは初めてという、これまた異例の大抜擢だ。
これまで、視聴率が取れないとされてきた「幕末もの」だったが、その下馬評を覆し、見事な結果を得たのはご存知のとおり。
平均視聴率24.5%は、過去10年の大河ドラマと比べて最高を記録。しかも、全50話まですべて20%超えとなり、最高視聴率は29.2%。初めての試みとして、最終回前に一挙アンコール放送が行われるなど、抜群の人気を満天下に知らしめている。
ヒットの要因は数あれど、やはり、宮崎あおいの卓越した演技力によるところが大きかったのではないか。
スタジオで台本を持っていることがほとんどないほどに、役作りを極めていたというだけあって、10代から40代までの成長や変化を自然に「魅せ」る姿は視聴者を惹きつけた。
この演技を買われ、放送批評懇談会主催の「第45回ギャラクシー賞」の「テレビ部門個人賞」を受賞しているが、そのデータベースには下記のような賞賛のコメントが寄せられている。
「『純情きらり』でみせたさわやかで凛々しい演技に、今回は過酷な運命を受け入れる“しなやかさ”が加わり、表現力が一段と深まりました。『篤姫』も『純情きらり』も時代に翻弄される女の一代記という共通点がありますが、大きな物語を自分なりに咀嚼し、長期間、幅広い年代の視聴者を釘付けにする役作りには並々ならぬ俳優魂を感じます」
放送批評懇談会
まさに、宮崎あおいの女優としての素晴らしさを証明する作品だった。
放送当時に行われた大河ドラマ初のファンミーティングで、宮崎は「(篤姫を演じたことへの)感動が自分の中で残っている。この感動は一生失いたくない」と、コメント。
女優人生でひと皮むけるターニングポイントとなったことは間違いないようだ。
ライバル堀北真希との因縁とは?
『篤姫』で共演した堀北真希との確執が表面化したことをご存知だろうか。
ドラマでは宮崎あおいとは嫁姑の関係だったが、ドラマそのままに、実生活でも犬猿の仲にあったというのだ。
前述の因縁とは、この時のことである。
何でも、宮崎の大河ドラマ主演が発表される前に、「堀北が時代劇に初主演」というニュースが流れ、堀北が大河に主演すると勘違いするファンが続出。それが宮崎のプライドを傷つけたことが発端だという。
また、映画『ALWAYS三丁目の夕日』で賞を総ナメにした堀北の演技に対して、宮崎が「アレで?(あの程度の演技で?)」と揶揄したともいわれ、それ以来、宮崎は堀北を「アレ」よばわり。撮影が始まった当初、芸歴も年齢も後輩の堀北が宮崎の楽屋に挨拶に行こうとしたら断られたなんて報道もあった。
さらに、堀北がフジテレビ系の月9ドラマ『イノセント・ラヴ』主演が決まったことで、『篤姫』の撮影スケジュールがさらにタイトになったことも確執の原因とされた。
宮崎の女優としてのプライドの高さ、負けん気の強さが招いたのだろうか。
16歳当時のインタビューでは、普段の姿を「自己中で頑固で泣き虫」と答えているだけに、ありえる話ではある。
もっとも、「アレ」よばわりされたことを伝え聞いた堀北も負けじと、宮崎が当時、リアルなアヒルと共演していたCMに引っ掛けて「アヒル女優」呼ばわりしたというから、なかなかの胆力の持ち主ではあるが。
この一件、あくまで週刊誌やスポーツ新聞主体の報道であり、真偽は不明。
しかし、出演者発表会見の場では2人が目を合わせることはなく、隣に並ぶこともなし。2人一緒の撮影や取材もすべてNGだったのは事実である。
面白おかしく騒ぎ立てられたこともあり、堀北が初登場した回はこれまで最高の視聴率を記録したのだから、話題づくりとしては成功だったのかもしれない!?
宮崎あおいはNHKや映画にしか出ないのか?
デビュー時はともかく、NHKと映画が主戦場といったイメージの宮崎あおい。
「10代のころは若いだけでアイドル視される傾向があったので映画だけに出演したいというこだわりがあった」と語ったこともあったが、女優業を続けるなかで、そのこだわりはなくなったそうだ。
顔立ちでいえば、綺麗よりも可愛い系だが、単純に可愛いだけでは収まらない独自のオーラや華は、唯一無二の個性。露出を選ぶことで、その輝きはさらに磨かれてきた感がある。
これは、事務所の戦略勝ちといったところか。
今年の6月にはTBS系のスペシャルドラマ『あにいもうと』に、6年ぶりの民放ドラマ出演となったが、この際は役作りのために大型自動車免許を取得。
「並々ならぬ俳優魂」は健在のようだ。

高岡蒼甫と結婚するも黒い噂が付きまとう!?
露出が活発になり始めた2000年ごろ、後に結婚することなる俳優の高岡蒼甫(現・奏輔)との出会いがあったようだ。
当時の宮崎あおいは中学生。
宮崎と栗山はフジテレビ系深夜ドラマで共演しており、高岡と栗山は2000年公開の映画『バトル・ロワイヤル』で共演。宮崎が栗山のことを親友と公言していることからも、信ぴょう性はかなり高いと思われる。
約7年の交際を経て、2007年6月15日には結婚を公式に発表し、翌2008年の3月3日挙式・披露宴を行っている。
当時、22歳。人気絶頂の宮崎に対して、高岡も数多くの映画やドラマで活躍してはいたが、
まだまだメジャーとは言い難い存在。
代表作となるTBS系ドラマ『ROOKIES』は2009年のこと。芸能界における格差は明らかだった。
2007年には映画『クローズZERO』でも同じく不良生徒役を務めたが、ケンカシーンで見せる動きや、息遣いのリアルさが「本物」を感じさせる説得力。「実戦経験」の豊富さを裏付けるのでは、と噂を呼んでいる。
さらに、結婚披露宴で報道陣を完全シャットアウトしたこともあり、高岡の交友関係に後ろ暗い過去があるのではと邪推されることに。
芸能界に大激震! 高岡蒼甫の問題行動とは?
09年2月、高岡蒼甫が8歳年下のグラビアアイドルとの密会現場を女性週刊誌に報道されて以来、たびたび離婚危機がささやかれてきたこの2人。
2011年7月、高岡がTwitter上で、韓流推しを続けるフジテレビに対して批判を始めたことは決定打となったようだ。
後に、フジテレビに対する大規模な抗議デモにまで飛び火した一大騒動である。

高岡の発言は、東日本大震災後の大変時期に過剰な韓流ブームを仕掛ける急先鋒とされたフジテレビに対しての抗議だったのだが、過激な言い回しや差別的な発言も目立ち、大炎上を起こしてしまう。
テレビ局への批判は芸能界では当然タブー。これもあって、騒動が始まって5日後には所属先の大手芸能事務所「スターダストプロモーション」を退社することとなった。
高岡は自身のTwitterで「本人が書いてくれと言っているので書きます。家の妻は自分と一緒の思想ではありません。火の粉が飛ぶのは勘弁です。と。そう訂正してくれと言われましたのでそのまま書かせて頂きます。はぁ、家出ようかな」と発言。
一応、宮崎あおいをかばう形にはなったのだが、世間的にはトラブルメーカーの夫に対して、宮崎が三行半を突きつけるのは秒読み段階という認識だった。
実際、この時期に別居生活が始まったようだが、このころ宮崎側にも思わぬ騒動が勃発。
なんと、V6の岡田准一との温泉旅行が発覚してしまうのである。
岡田准一との出会いは不倫だったのだろうか?
宮崎あおいと岡田准一の不倫疑惑が発覚したのは2011年12月26日。翌日発売の週刊文春でのスクープに先んじて、東京スポーツが報じている。
詳細が載った週刊文春によると、Twitter大炎上から間もない2011年7月末、宮崎が高岡に離婚を切り出し、1週間後には離婚届けを郵送したという。
そんな関係性のなか、高岡が自身の名義で契約している携帯電話の明細を見ると、宮崎が特定の相手との電話やメールをしていることが判明。その相手を特定すると、岡田だったという。
また、高岡が岡田の携帯を確認すると、宮崎と岡田が一緒に温泉に入ったことを匂わせるメールもあったという。
ドラマ以上にドラマチックな展開である。
このスクープが表に出る前、高岡は年内での離婚を示唆し、離婚原因については「一番は自分が妻を大事にしてあげなかったこと」と、語っていたのだが……。
結局、スクープ直後の12月28日に正式離婚。不倫疑惑についてテレビで報道されることはなかった。
岡田准一との再婚そして妊娠 現在の宮崎あおいは?
その後、数年の冷却期間を経て、2015年夏ごろから週刊誌では、宮崎あおいと岡田准一の熱愛がたびたびスクープされることに。
そして、2017年12月23日にめでたく結婚となった。
この時点での2人の公式な馴れ初めは「15年春から本格的な交際を開始。約2年半の交際を経てゴールイン」となった。
多忙を極める2人だけに、結婚式や披露宴の予定はないという。もっとも、高岡蒼甫への配慮もあるのかも知れない。今や芸能界とは一線を引いているだけに、とんでもない“爆弾”を投下する可能性もあるのだから……。
そして、2018年5月19日には、第1子を授かったことが発表される。
7月11日付けの女性自身の記事によると、現在の宮崎あおいは、生まれてくる子どものために毎日の食生活を気遣い、部屋の整理整頓にいそしみ、心が落ち着くよう花を飾るなど、新生活の準備を楽しんでいるようだ
また、同記事には理想の夫婦像について語った過去の発言も紹介されている。
「信頼し合える、一緒にいて不安になることのない穏やかな生活が送れること」
あたたかい家庭が築けるよう願っています!
(バーグマン田形)