佐藤あずさ議員を引退に追い込んだおっさんたちの病理と下心
公式サイトより

八王子市議会の佐藤梓氏が、政界引退を決断するに至った度重なる誹謗中傷・政治活動の妨害・ストーキングの被害状況についてFacebookで詳述し、インターネット上で大きな波紋が広がっています。
 
一部は法的対応を進めているというものの、その被害内容は本当に酷いものばかりです。
是非一度目を通していただきたいのですが、政治家の「#Metoo」と言えるこの投稿は、改めて日本の女性政治家を取り巻く非人道的環境を如実に表しています。

言論人として実力が評価されている佐藤市議


佐藤梓市議は、当選1期目の市議会議員ながら、インターネットの一部界隈では非常に注目されている政治家です。女性蔑視的な日本のメディアから「可愛すぎる市議」「アイドル顔負け」のようなハラスメント報道も受けていましたが、彼女が選挙区以外の人々からも支持を得ているのは、言論人としての実力が評価されているからだと思います。

実際、公式サイトに投稿されるブログ「あずさジャーナル」はとても完成度の高い記事も多く、とりわけ2018年7月に公開した「『マンスプレイニング』と指摘されて激昂する人が考えてみるべきこと」は、マンスプレイニング(上から目線の頼んでもいないアドバイス)の加害者男性にありがちな言い訳の矛盾点を指摘した大変素晴らしい記事です。おそらくこのレベルの文章を書ける既存政治家は、日本ではほぼいないでしょう。

また、今回佐藤市議自身に加害した人たちに対しても、彼等が加害をするに至った背景として、日本の家父長制、無意識のミソジニー、組織社会の弊害等をその後の記事で指摘しており、同意以外何もありません。今回はこの加害者の「病理」について、私なりに付け加えたいと思います。


加害者の行動パターン「理想化と脱価値化」


先述のFacebook投稿で、佐藤市議は、加害した者たちの行動パターンについて、「依存(対象の美化)→攻撃(価値の反転とこき下ろし)→執着(欲求のコントロールが効かない状態)」というサイクルをトレースすると指摘していました。これを学問用語では、「理想化と脱価値化」と言います。

佐藤市議が受けた被害には到底及ばないものの、私もこの180度態度を変えた人々によって攻撃されることを何度か経験しています。これまで熱烈な支持(現実は依存)を表明していた人が態度を急変し、「やっぱりこの人は酷い!」といって攻撃を始めるということが何度かありました。酷いと断定する際の何か明確な根拠があれば納得できますが、大半は自分勝手な妄想を根拠に攻撃して来るので、どうしようもありません。

私は医師ではないので診断はしないようにしつつも、このような行動パターンを取る人々は、「理想化と脱価値化」を繰り返す点において、「境界性パーソナリティー障害(BPD)」の特徴に非常に近しいと感じています。

ちなみに、彼等は一度「悪」と見なしたものは、事実を捻じ曲げても攻撃します。
今年8月に「クソリプ学入門 〜ネットにたくさんいる「悪意メガネ」をかけた人たち〜」という記事を書きましたが、己の悪意で書いてある事実が見えなくなって他人を攻撃するのは、いわゆる「ネトウヨ」と言われる人々に限らず、「リベラル」や「フェミニスト」を自称している人も含めて、誰にでも起こることだと自ら経験して知りました。


「理想化と脱価値化」のループにハマるミソジニー


「理想化と脱価値化」という特徴を有している彼等ですが、そもそも男性が女性嫌悪(女体が好きか否かは別で人としての女性に対して嫌悪感を抱いている状態=ミソジニー)に陥る際、周りからの影響でダイレクトに染まる人もいる一方で、この「理想化と脱価値化」という経緯でどっぷり染まる人たちが一定数いると思っています。

以前の記事、「山口敬之氏の準強姦疑惑で噴出するセカンドレイプと背景にある『魔女崇拝』」では、現実離れした女性像が頭の中に出来上がっている男性ほど、現実の女性から拒絶があった際に、その落差に勝手に失望しがちと指摘しましたが、これぞまさに「理想化と脱価値化」です。

そして彼等の中には「理想化と脱価値化」を延々と繰り返す人たちがいます。勝手に「この女性は理想に違いない!」と依存の対象を見つけたと思ったら、勝手に失望し、また別の理想を探すわけです。つまり、彼等は、「女性に限定した境界性パーソナリティー障害」のようなものかもしれません。

確かに、「理想化と脱価値化」の負のループにハマることは、男性嫌悪に陥ってしまった女性にも見られる現象です。
ですが、女性の場合は、一見優しそうなロクでもない男性に自分が騙され続けてしまうだけなので、真っ当な男性が害を被ることはほとんどありません。一方で、男性の場合は、真っ当な女性にすら攻撃の矛先を向けるわけですから、その加害性は女性の場合と比べものにならないわけです。


女性が嫌いなのに女性に近づく彼等の心理


でも、なぜ彼等はそのうち「脱価値化」するのは分かっているにもかかわらず、わざわざ何度も自ら女性に近づこうとするのでしょうか? 

それはおそらく下心があるからです。「下心」というと、多くの人は性欲と思うかもしれませんが、違います。人によっては性欲で覆われている場合もあると思いますが、その中身の本質的な欲求は「支配欲」です。むしろ、「女性が嫌い→なのに女性に近づく」という逆接的な繋がりではなく、「女性が嫌い→だからこそ支配しようとして彼等は何度も女性に近づく」わけです。だから非常に厄介。


そして支配欲の発露には2種類あることは誰もが知るところ。そう、アメとムチです。彼等はアメで女性を支配しようと近付き、それが叶わないと悟った瞬間に欲求を露骨に表すムチへと切り替えます。その際、説教という最も手軽で、罪悪感を抱くことなく、一方的に己の支配欲を相手にぶつけられる方法を取ることが多いわけです。最初から講釈を垂れ始める人は、抑えられないほど支配欲がにじみ出ている人でしょう。

話はやや逸れますが、出会い系アプリのサクラの仕事をした男性が、キレる顧客について赤裸々に描いたツイートが以前バズっていましたが、いかに男性が女性に近づきたいと思う欲求が、実は性欲ではなく支配欲である場合が多いかを如実に表している事例と言えそうです。



「ワンチャンおっさん」から滲み出る支配欲


佐藤市議が上記のFacebook投稿で依存的な男性からの被害状況をしっかりと指摘した後も、彼女のもとには依存的な感情を抱く男性たちからメッセージやメールがたくさん届いていると記事で書いていますが、これも支配欲によって説明ができます。要するに「佐藤市議は様々な被害に遭った」→「弱っているはずだ」→「ワンチャン支配しやすいはずだ」と解釈しているわけです。

メタ認知(自分の認知を認知すること)ができていない人は、「自分は違う!」と咄嗟に反射するかもしれないですが、同じことを若いイケメン男性議員が書いても同様の行動を取るでしょうか? 年配の男性議員にはゴマすりの目的でするかもしれないですが、若いイケメン男性議員相手にはおそらくほとんどしないでしょう。

彼等の行動には「弱っている時に優しい言葉をかければ、ワンチャン(※若者言葉で「もしかしたら」という意味)自分の支配下に入ってもらえるのではないか」という“下心”があるのは見え見えです。自覚が無いのかもしれないですが、おおむね被害を受けた女性の側はこの「ワンチャン臭」を嗅ぎ取っていますし、女性や第三者から見れば、わらわら湧いている「ワンチャンおっさん」の「one of them」でしかありません。


女性議員は様々な妨害に遭っている


さて、今回は女性にマンスプレイニングをし続ける男性の行動について、「理想化と脱価値化」と「支配欲」という2つの点から見て来ましたが、いかに彼等の行動が「病理」と呼ぶに値するかが分かっていただけたかと思います。

佐藤市議の一連の告発は、政治家を志す女性の背後に足を引っ張り続ける男性がどれほどいるかを白日の下にさらしたことでしょう。
彼女に勇気づけられる形で、自分が受けた被害を告発する女性議員も出て来ました。たとえば、北九州市議会の村上聡子市議は、Facebook投稿にて、7年間のストーカー行為や下着を送り付けられたという被害に遭ったと告白しています。

女性議員がなかなか増えない現状に対して、「実力が無いからだ」「制度は男女平等なのだから実力があれば自ずと増えるだろう」と思っている人もいまだにいるようですが、これだけ加害男性による“妨害のエビデンス”が揃っているわけですから、もはや実力の問題では無いことは明白です。

女子受験生の前に立ちはだかった東京医科大学の入試改ざん問題と同様、女性議員の前に立ちはだかる、支配欲に満ち満ちた男性がこれほどいるわけですから、しっかりと対策を打って、議員活動における安全を確保することが必要不可欠です。とりわけ、既存の法制度はインターネット社会を想定して成り立ってはいませんから、抜本的に治安の概念を見直す必要があると思います。

もちろんこれは議員に限ったことではありません。公人に該当するような多くの女性はおおむねこのような被害に遭っています。そして前述のように、男性でも被害に遭う人がいます。公人も、公人である前に人権を有する一人の人間ということを忘れてはなりません。
(勝部元気)