四三、“スヤロス”になるも兄から叱咤される
四三はオリンピックの日本代表に選ばれたものの、遠征費をどうやって工面するか悩んでいた。そこへ郷里の熊本から長兄の実次(中村獅童)が、遠征に必要な1800円を持って上京、兄弟は涙の再会を果たした。聞けば、このカネは熊本・玉名の庄屋である池部家が出してくれたという。四三の幼馴染・春野スヤ(綾瀬はるか)が、池部家主人の母・幾江(大竹しのぶ)を説得してくれたのだ。スヤは池部家に嫁ぐことになっていた。
一方で、東京高師の学友たちも四三のため募金を呼びかけ、1500円も集めてくれていた。結局、四三の遠征費には募金で集めたこちらを当て、実次からは足りない分の300円だけ受け取ることになる。
ちなみに、四三本人にも取材して書かれた伝記『走れ二十五万キロ 「マラソンの父」金栗四三伝』(長谷川孝道著、熊本日日新聞社)によれば、学友たちが1500円を集めたのは史実だ。兄・実次も、四三からの無心の手紙に対し、先々週放送の第7話に出てきたように「田畑を売ってもカネを出すのは惜しくない」との趣旨の返事を送っている。ただし、実際にカネをつくって渡したかどうかは、伝記には書かれていない。おそらく実次がカネを工面して四三に直接届けたというエピソードは、ドラマの創作なのではないか。
ともあれ、ドラマにおける四三は、オリンピックのプレッシャーに加え、好きだったスヤが結婚すると知ったこともあり、ナーバスになっていた。
再会もつかの間、実次は、新橋まで送るという四三の申し出を断って、浅草からひとり電車に乗り込んで別れる。その後、ストックホルム出発の2日前には、東京高師の学生寮で四三の壮行会が開催された。校長の嘉納治五郎(役所広司)の挨拶のあと、宴が始まってから、四三の同郷の親友・美川秀信(勝地涼)がようやく寮に戻ってくる。美川もまた浅草の遊女・小梅(橋本愛)にフラれて傷心だった。そんな彼に、四三は「君が高師ば受けることを勧めてくれんかったら、俺はここにおらんばい。オリンピックはもちろん、マラソンに興味を持つことすらなかった。すべて美川君のおかげたい。
そういえば、美川に告白された小梅は「ぎゃん」と思わず熊本弁を口走り、同郷だということがバレてしまう(ちなみに小梅を演じる橋本愛も熊本出身)。これを伏線に美川と小梅に今後進展はあるのだろうか。
四三と弥彦の青春の終わり
壮行会では、酔った可児が四三へのはなむけとして、古代ギリシャの勇者の母が息子を戦場に送り出したときの言葉を引用する。「我らの希望に大いなる道を開く金栗四三よ! 勝たずんば盾に乗って帰れ! 勝利か、しからずんば死を与えよ」というその言葉に、学友の一人が「金栗君、ありゃ負けたら生きて帰れんぞ」とつぶやく。もっとも、先述の『走れ二十五万キロ』によれば、実際に壮行会でこの言葉を贈ったのは、可児ではなく、寮生の代表だったらしいが。
壮行会の締めくくりに、四三は挨拶とともに歌をリクエストされる。そこで彼はかつてスヤから教えてもらった「熊本自転車節」を披露した。そのすっとんきょうな歌声に乗せて、熊本でスヤが池部家に嫁ぐ様子が描かれる(「好かん男に口説かれて」という歌詞が、スヤの本意ではない結婚を暗示させた)。夕暮れ時、段々畑のなかを歩き、さらに日が沈んで暗い川を小舟に乗って嫁入りする光景は何とも幻想的だった。
それにしても、学友による募金といい、四三は周囲の人たちから愛されている。マラソン用の足袋をつくってもらっている播磨屋の主人・黒坂辛作(ピエール瀧)からは、改良した足袋とともに、日の丸を縫いつけたユニフォームを餞別に贈られた。
さて、もう一人の日本代表である三島弥彦は、母・和歌子(白石加代子)からオリンピック参加の許しを最後までもらえないまま、ストックホルムへ向かおうとしていた。
出発当日、新橋駅で大勢の人々が見送るなか、弥彦は四三とともに大日本体育協会から贈られた日章旗を受け取る。そして汽車に乗りこんだところへ、和歌子が日銀総裁である兄・弥太郎(小澤征悦)と女中のシマ(杉咲花)に手を引かれながら現れた。そして持参した風呂敷包みをほどくと、弥彦に日の丸入りのユニフォームを渡し、「体ば大事にしやんせ」と声をかけるのだった。そのあいだに汽車は動き出す。追いかける母、そして窓から身を乗り出して「行ってきます」と繰り返し叫ぶ弥彦。母子は別れ際にようやく心を通わせたのだった。
このように第8話は、オリンピックを前に、四三と弥彦が周囲の人たちにしばしの別れを告げる様子を通して、これまで2ヵ月かけて描いてきた二人の青春時代を締めくくるかのような趣きだった。これまではコメディ色が濃かった「いだてん」だが、それも今後はしだいに変わっていくのだろうか。

ストックホルムに向かうあいだ彼らを何が待ち受けるのか
劇中、東京高師の地理歴史科教諭の福田源蔵(嶺豪一)から説明されていたとおり、新橋を出た四三と弥彦は、汽車で福井県の敦賀まで行き(敦賀へは東海道本線で西下して米原で北陸本線に乗り換えている。当時はまだ北陸本線が全通していなかったので、このような大回りのルートがとられた)、そこから客船・鳳山丸に乗ってロシアのウラジオストックに渡ると、シベリア鉄道で2週間かけてセントピータースバーグ(サンクトペテルブルク)に入り、さらにバルト海を渡って、ようやくスウェーデンの首都ストックホルムに到着する予定であった。じつに17日間の長旅だ。
ただし、ヨーロッパまでの全行程を船で行くなら40日はかかったことを思えば、はるかに速い。しかも列車も一番安い三等車を乗り継いでいけば、意外と安く行けたという。
列車のなかで四三は、新聞記者たちから「けっして国体を辱めざることを期すという心境かな?」などと誘導尋問されるように訊かれ、「はい」とうなづくと、訊かれた言葉がそのまま新聞に載った(この時代で言う「国体」とは、天皇を中心とする国家の体制を指す)。当事者の気持ちが無視され、メディア側の思い描くとおりに発言が捏造されてしまうということは現代でもありそうだ。このあたりの描写に皮肉を感じる。
盛大な見送り、記者からの取材にプレッシャーを感じるなか、四三は車中で可児と野口源三郎(永山絢斗)ら徒歩部の仲間と遭遇して安堵する。聞けば、こっそり乗ってしまったという。一方で、選手団長の嘉納治五郎の姿が見えない。どうやら新橋駅で何らかの事情で足止めされ、列車に乗れなかったらしい……。あいかわらずの嘉納のお騒がせぶりで、出発から波乱含みのストックホルム行き。果たして彼らの前に何が待ち受けているのか!?
サブタイトルは軍歌からシティポップへ
第8話のサブタイトルは「敵は幾万」だったが、続くきょう放送の第9話のそれは「さらばシベリア鉄道」と、軍歌からいきなり80年代のシティポップの曲名を拝借したもので振り幅が大きい。
新橋駅での見送りの際に学生たちに歌われた「敵は幾万」(1891年)は、言文一致体の小説で知られる作家・山田美妙の詩(1886年発表)に、作曲家の小山作之助が曲をつけたものである。いわゆるヨナ抜きの五音音階は、小学唱歌やその後の軍歌でも多用された。これに対し、「さらばシベリア鉄道」は、1981年にミュージシャンの大瀧詠一が歌手の太田裕美に提供してヒットした(作詞は松本隆)。この歌は同年リリースの大瀧のアルバム『A LONG VACATION』にも彼がセルフカバーして収録され、いまなお聴き継がれている名曲である。
大瀧詠一は、明治以降の日本で西洋音楽が受容され、独自の発展を遂げる過程を分析した研究でも知られた。ひるがえって「いだてん」は、スポーツが日本で普及していく過程を追うドラマだ。いまは亡き大瀧が、もしまだ存命で「いだてん」を見たら、どんな感想を抱いたのか、ちょっと気になるところではある。
(近藤正高)
※「いだてん」はNHKオンデマンドで配信中
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:井上剛