初めての異国で言葉がほとんど通じず、孤立していた四三だが、思いがけず足袋を通じて外国人選手と交流するきっかけをつかんだ。電報の少ない文字数ではそこまで伝えられてはいなかったかもしれないが、辛作は足袋の追加注文を受けて、四三に現地で何かうれしいことがあったのだと察したのではないだろうか。そして四三の喜びはきっと辛作自身の仕事に対する誇りにもつながったに違いない。
互いに支え合う日本選手団の面々
第10話では、このエピソード以外にも、四三と周囲の人たちとのつながりをあらためて確認させるような展開を見せた。
四三のほか、短距離走の三島弥彦(生田斗真)、監督の大森兵蔵(竹野内豊)とその妻・安仁子(シャーロット・ケイト・フォックス)ら日本選手団は1912年6月2日にストックホルムに到着。翌日には、四三は現地のガイドのダニエルとともにマラソンコースの下見をし、滞在3日目からは弥彦ともども本番に向けて本格的にトレーニングを開始した。しかし、あとから来たアメリカ選手団などが、大勢の選手が互いに改善点を見出しながら練習していたのに対し、四三と弥彦は出場競技も異なり、それぞれ単独でのトレーニングを余儀なくされる。
この時点で選手団長の嘉納治五郎(役所広司)は、文部省から出国許可を得るのに時間がかかり、まだ現地に到着していない。肺結核を病んだ大森の体調もあいかわらずすぐれない。これら不安材料から、前回では、四三がストックホルムに向かう途上、シベリア鉄道の車中で焦燥感に苛まれ、ついには怒りを爆発させた。それをなだめたのは弥彦だった。
だが、ストックホルム入りしてからは逆に弥彦が滅入ってしまう。原因はまず、体格・体力ともに圧倒的に上回る西洋の選手たちを目の当たりにして、劣等感を持ったことだ。さらにはマラソンの世界記録保持者として現地で脚光を浴びる四三に対し、自分はないがしろにされているという思いも募っていく。現地の新聞には、四三についての記事で誤って弥彦の写真を載せてしまったところもあり、弥彦のプライドを痛く傷つけた。
大森の病状も悪化する一方だった。最初のうちこそ毎朝、弥彦にはトレーニングメニューを安仁子を介して渡していたものの(大森はマラソンは専門外だったため、四三については放任であった)、それもやがてなくなり、安仁子ともどもホテルの部屋に引きこもってしまう。監督からまともに指導も受けられず、弥彦は孤立感を強め、ついには彼も部屋に閉じこもってしまった。
思えば、日本選手団の面々はみんな何かしら弱さを持っている。四三は貧しい家に育ち、オリンピックの遠征費を捻出するのにも苦労したし、大森は日本におけるスポーツ学の先駆者ながら、病気を抱えている。安仁子も当時の日本では地位の低かった女性であり、また西欧人妻として奇異の目で見られることも多かったであろう。そこへ来て、裕福な家庭で育ち、東京帝大に通うエリートで、スポーツ万能で鳴らした弥彦もまた、精神的な弱さを露呈したことになる。彼にとっては、生まれて初めての挫折だったかもしれない。
それでも彼らは互いに補完し合うことで、危機を乗り切ろうとする。安仁子は夫を看病しながら、監督としての仕事もできるかぎりサポートし続ける。そしてノイローゼに陥り、ホテルで自殺未遂騒ぎまで起こした弥彦を、今度は四三がなだめ、励ます。このとき、四三の「我らの一歩は日本人の一歩ばい! なあ三島さん、速かろうが遅かろうが、我らの一歩には意味があるったい!」という言葉に、弥彦は涙ながらにうなづいた。
この一件以来、四三は弥彦の練習にもつきあうようになる。そのうちに弥彦も気力を取り戻した。大森も復調の兆しを見せ、ようやくグラウンドにも顔を出す。
嘉納先生もついにストックホルムに到着
現地で撮影されたスウェーデンの風景は、高温多湿な日本とは見るからに空気感が違い、いかにもすごしやすそうだ。そのなかにあって四三たちを悩ませたのは白夜である。緯度の高い北欧では、夏のあいだ太陽が一日の大半沈まない状態が続き、四三たちの調子を狂わせた。
日本の夏至にあたる6月23日には、ついに太陽がまったく沈まない状態となった。スウェーデンではこの時期、「夏至祭」が盛大に祝われる。連日、夜通しぶっ続けの大騒ぎに、四三たちは眠れず、たまりかねて弥彦とともに祭りで盛り上がる人々のなかに飛び込む。
どうにか二人が歌い終えたところ、拍手をする者がいた。誰かと思えば、嘉納先生! 7月6日のオリンピックの開会式まであと2週間ほどというタイミングであった。資料によれば、嘉納は6月7日に日本を発ち、アメリカ経由でストックホルム入りしたという。
こうして“チームニッポン”の全員がようやくストックホルムに集結した。嘉納はホテルの部屋に選手団の面々と駐スウェーデン公使の内田定槌(井上肇)を呼ぶと、四三には播磨屋に注文していた足袋を、そして大森には本になった彼の論文『オリンピック式陸上運動競技』を渡す。大森は、論文出版が永井道明(杉本哲太)や可児徳(古舘寛治)の動きによるものと聞かされ、涙した。永井も可児も現地には来られなかったとはいえ、チームニッポンのため見事なサポートぶりを発揮したといえる。
このあと、開会式の段取りが内田公使から説明されたのだが、そこで問題が持ち上がる。入場行進で掲げるプラカードの表記について、嘉納や大森は「JAPAN」で行こうとしたところ、四三が「『日本』でお願いします」と異論を唱えたのだ。晴れ舞台を前にもうひと波乱を予感させたところで、本日放送の第11話に続く!
今回の騒ぎをどうとらえるべきか
さて、ここでちょっと黒坂辛作役のピエール瀧の逮捕(2019年2月12日)による「いだてん」への影響について書いておきたい。
もちろん、番組からの降板はいたしかたないし、出演回のウェブ配信停止、再放送での出演シーンのカットも、一時的な措置としてやむをえない面もあるのだろうな、とは思う(全面的には賛成しがたいものの)。だが、すでに放送された話についても、出演シーンをすべて撮り直すとなると話はまた違ってくる。そうなれば、後世から振り返ったとき、ピエール瀧がドラマに出演していたという事実自体が、歴史から「なかったこと」になってしまうからだ。「いだてん」が、一般的には知名度は必ずしも高くない、いわば歴史のなかに埋もれてしまった人々やできごとを掘り起こす作品であることを思えば、これほどその趣旨に反した行為もないだろう。
上記の意見に対し、すでに完結している作品ならともかく、ドラマの放送中にこんなことになったのだから、撮り直しもやむをえないと反論される方もきっとあるだろう。契約などさまざまな問題があることも重々承知である。しかし全面撮り直しとなれば、そのぶん費用はかさむことになり、結果的に事件を起こした一個人に必要以上の責任を負わせてしまうことになりはしないか。
いまのところ、全面撮り直しという話は一部メディアで報じられただけで、正式に発表があったわけではない。だが、実際にその方向で話が進められているのなら、どうかいま一度、NHKには考え直してほしいと、声を大にしてお願いする次第である。
(近藤正高)
※「いだてん」第10回「真夏の夜の夢」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:西村武五郎
※放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から。各話は放送の翌日よりNHKオンデマンドで配信中。ただし現在、一部の回は配信停止中