先週3月17日放送の大河ドラマ「いだてん」第11話は、1960年、東京都庁で田畑政治(阿部サダヲ)や都知事の東龍太郎(松重豊)らが、日本が初めてオリンピックに参加したストックホルム大会の開会式を撮った記録フィルムを観るシーンから始まった。そのフィルムは、4年後の東京オリンピックで公式記録映画の総監督に決まった黒澤明が参考にしたいと言うので、岩田幸彰(松坂桃李)が探し出してきたものだ。


劇中で田畑たちが感心していたように、黒澤はオリンピックの記録映画に並々ならぬ情熱を傾けた。総監督に選ばれるとさっそくローマオリンピックを見に行き、競技を観戦しながら撮影プランを立てたという。《資料は全部調べたし、東京オリンピック委員会にもローマ・オリンピックに関する四百ページぐらいの報告書を出した。オリンピックの開催とその記録映画とはどうあるべきか、百メートル競技のときはたとえばこのへんにキャメラを置いてたとか、ローマ・オリンピック委員会がそれは困ると言った理由とか、そんな事柄を全部調べて出した》とは、当時東宝で黒澤映画の助監督を務めることが多かった松江陽一(のちプロデューサー)の証言だ(文藝春秋編『異説・黒澤明』文春文庫ビジュアル版)。黒澤がもっとも興味を持ったのは100メートルと十種競技。マラソンでは先頭を走るアベベを追いかけ、ゴール地点まで沿道で伴走したとか。

ただ、黒澤明とオリンピック映画がその後どんな経緯をたどるかを知っていると、「いだてん」でああいう騒動の起こったあとだけに、このタイミングで黒澤が出てくるか! と思ってしまった。まあ考えすぎですが。

それはともかく、フィルムに収められた開会式の入場行進で、日本選手団が映ったのはほんの一瞬だったため、田畑を落胆させる。現在残る写真も2枚のみ、それも参加した金栗四三と三島弥彦の両選手の顔がそろって写ったものは存在しない。しかし、これが日本がオリンピックにデビューした歴史的瞬間であったことは間違いない。

双方一理と嘉納がプラカードに採用した「NIPPON」


この開会式の直前、日本選手団のなかでひと騒動が持ち上がっていた。入場行進で掲げるプラカードの国名をどう表記するかで、選手団長の嘉納治五郎(役所広司)と監督の大森兵蔵(竹野内豊)が「JAPAN」に決めかけたところ、金栗四三(中村勘九郎)が「日本」にすべきだと異議を唱えたのだ。
これには大森も三島弥彦(生田斗真)も「漢字じゃ西洋人にわからない」と説得するのだが、四三は頑として譲らない。

議論は紛糾し、嘉納を「どうした、日本を出るときにはみんな仲良くやってたじゃないか。一体何があったんだよ」と戸惑わせる。これに弥彦が突然「あんたのせいだよ」と言い放つと、自分に記録の話ばかりしてプレッシャーをかけたあげく、ストックホルムで皆に待ちぼうけを食わせた嘉納をなじり、思わず彼の胸倉をつかむも一本背負いで返されてしまう。

が、その嘉納も、このあと四三が、ストックホルムでくじけそうになるたび、日本にいる人たちの顔を思い出して乗り越えてきたと打ち明け、だからこそ「JAPAN」では対等に戦えないと切々と自分の意見を述べたことに心を打たれる。みんな嘉納がいないあいだに、互いに認め合い、自分の意見を遠慮なくぶつけ合えるまでに成長していたのだ。これぞオリンピックの目的でもある相互理解だと嘉納は感服し(このあたりが教育者らしい)、プラカードの表記も“双方一理”として折衷案をひねり出した。それが、ローマ字表記による「NIPPON」であった。
「いだてん」黒澤明ばりの本物志向、ストックホルムオリンピックで使われたスタジアムで生田斗真力走11話
イラスト/まつもとりえこ

大森が初めて(?)監督らしい助言を与える


1912年7月6日、快晴のなかストックホルムオリンピックの開会式が挙行される。入場行進には選手と団長、監督だけでは人数が足りないと、駐スウェーデン公使の内田定槌(井上肇)や現地ガイドのダニエル(エドヴィン・エンドレ)、さらにドイツ留学中だった京都帝国大学教授の田島錦治(ベンガル)が駆り出される。大森夫人の安仁子(シャーロット・ケイト・フォックス)は記録写真を担当し、スタンドからフィールドに回ると、プラカードを持った四三の姿をカメラに収めた。開会式や競技のシーンは、黒澤明ばりの本物志向で、実際に107年前のオリンピックで使われた現地のスタジアムで撮影しているのがすごい。のちにゴム製に改装されたトラックも、砂を大量に入れて当時の様子を再現したというから凝っている。


開会式の余韻に浸る間もなく、弥彦の出場する100メートル予選が始まる。レース直前、ロッカールームで緊張する弥彦に、大森が声をかける。いわく「短距離はタイムを競い合う競技だ。つまり、敵はタイムのみ。一緒に走る選手のことはライバルではなく、タイムという同じ敵に立ち向かう同志だと思いたまえ」。思えば、大森は監督としてこのとき初めて選手に対し、メンタル面で的確な助言を与えたのではないか。素直に感謝を述べる弥彦に大森が「楽になったかね?」と訊くと、「はい、もっと早く言ってくれれば、もっと楽になったと思います。せめて3週間前に言ってくれたら」との言葉が返ってきた。3週間前といえば、大森が病気をこじらせて部屋に閉じこもり、孤立した弥彦もすっかり滅入ってしまっていた時期だ。

弥彦が初めて国際舞台に立とうとしていたころ、日本では3週間前に弥彦が送った絵はがきが三島家に届いていた。自殺をほのめかすその文面に、兄の弥太郎(小澤征悦)や女中のシマ(杉咲花)たちは慌てふためくも、母・和歌子(白石加代子)だけは息子の決死の覚悟を見抜き(字は読めないはずなのに)、「弥彦は必ず勝つ!」と信じて疑わない。

そんな母の思いも伝わったのか、弥彦はさっきの弱気はどこへやら、すっかり奮起してトラックに向かう。
結果は最下位で予選敗退。だが、レース後にロッカールームを嘉納と四三が訪ねると、弥彦の表情は晴れ晴れとしていた。このとき彼が出した11秒8は自己最高記録だったからだ。ただ、一方で四三に対し、「やはり日本人には短距離は無理なようだ」と弱音を吐く。その後、弥彦は200メートルでも予選落ち。大森監督もこの日を境に病状が再び悪化する。

弥彦、「100年かかっても無理」と本選を棄権


四三もまた出場するマラソンの日程が近づくにつれ、言い知れぬモヤモヤに取りつかれるようになっていた。そんな彼に嘉納は「金栗君、オリンピックに出ることで君が過重の責任を負うことはないんだ。国民の期待など考えず、伸び伸びとやりたまえ」と励ます。嘉納がオリンピックを国威発揚ではなく選手個々人が力を発揮する場ととらえていることは、これ以前のセリフからもあきらかだが、国家とオリンピックをめぐる関係は現在も続く問題だけに考えさせられる。

四三は翌日に400メートル出場を控えた弥彦に、先の「日本人には短距離は無理だ」の発言の真意を問いただす。が、それは弥彦に相談を持ちかける糸口にすぎなかった。ここぞとばかりに弱音を吐く四三に、弥彦は「金栗君、我々は走ればよか。
精一杯やりさえすれば、それでよかですよ」と、以前四三から励まされた言葉を熊本弁でそのまま返すも、逆効果だった。「それができんけん、つらかですよ!」と四三に怒られてしまう。やや揉めたものの、弥彦が、四三の抱えるモヤモヤは西洋人が言うところの「プレッシャー」だと教えると、四三の態度は一変する。プレッシャーとは自分だけではなく弥彦も、そして西洋の選手たちも抱えているものだと知った彼は、「正体さえわかれば、こぎゃんもん、怖くなかです」と、すっかり目の前が開けたようだ。

このとき四三に対し「こうなったら徹底的に負けてやるさ」と口にした弥彦は、次の日、最後の参加競技となる400メートルの予選にのぞむ。エントリーしていた選手5名のうち3名が棄権し、2人だけで行なわれたレースで、弥彦は最初のうちこそ先頭に立つが、結局抜かされてしまう。それでも本選出場は決めた。もちろん日本選手では初の快挙である。

ゴールして倒れ込む弥彦に、観戦していた田島教授が「次も頼むよ」と声をかける。だが、弥彦は「次はないです。準決勝はやめます」とあっさり棄権を表明、「日本人に短距離は無理です。100年かかっても無理です」と先日の言葉を繰り返した。
嘉納は「悔いはないのか」と訊くと弥彦が「はい」と答えたのを受け、「ならよし! 準決勝は棄権しよう」と彼の意志を尊重する。このときの弥彦の表情は、すべてをやりきったという安堵感にあふれていた。こんな清々しい棄権もないだろう。

第8話では、ストックホルム遠征を前に怖気づく四三を、兄の実次(中村獅童)が「おまえが行かんかったら、あとが続かん。おまえがそぎゃん弱虫やったら、100年後の韋駄天も弱虫ばい!」と一喝するシーンがあったが、今回の「100年かかっても無理です」との弥彦のセリフといい、このドラマではあらゆるできごとが現在と地続きのものとして描かれ、1世紀にわたる長いスパンでオリンピックと日本人をとらえようとしているのがうかがえる。ちなみに第11話の番組終わりの「いだてん紀行」には、弥彦の棄権から96年後、2008年の北京オリンピックの4×100メートルリレーでアンカーとして日本勢に陸上トラック競技初のメダルをもたらした朝原宣治が登場していた。

弥彦からバトンを受け継ぐように、今度は四三がマラソンに挑む。いよいよ迎えたレース本番の早朝、四三が川で日課の冷水浴をしていると、弥彦に声をかけられ、昨晩はさまざまな考えが頭をかけめぐり眠れなかったと打ち明ける。そのうえで「こうなったら俺はとことん考えます。考えに考えて、プレッシャーと二人三脚で走ります」と開き直った。気がつけば弥彦も服を脱ぎ、川に入ってくると一緒に水を浴びる(このときの生田斗真は、アキラ100%ばりの絶妙な股間の隠し方だった)。宮藤官九郎はあいかわらず、若い男たちの仲を描くのがうまいなーと思わせながら、物語は前編最大の山場に入るであろう今夜放送の第12話へと続く。


田島教授、無神経な言葉で四三を傷つける(実話)


今回、初登場したベンガル演じる田島錦司教授はなかなかにイラッとさせる存在であった。侃侃諤諤の議論の末に決まったプラカードの「NIPPON」に、そんなことはつゆ知らず「JAPANじゃないのかね」とダメ出ししたのをはじめ、400メートル予選で弥彦が2位でゴールすると、「結局ドベか」と口走り、隣りにいた嘉納に「ドベでも2着だ。予選通過!」と怒鳴られてしまう。さらにゴールに倒れ込んだ弥彦に「次も頼むよ」とプレッシャーをかけるわ、「次はない」と言う彼に「棄権するのかね?」と訊き返したりと、無神経な発言を連発する。

四三の伝記に出てくる田島のエピソードもかなりのものだ。マラソンレースを翌日に控えた7月13日、午前中に日本公使館にて弥彦をねぎらい、四三の活躍を期するパーティーに招待された日本選手団一行は、午後は船遊びを楽しんだあと、ドライブに繰り出した。そこへ1台の外国人の車が四三たちの自動車を追い越して行った。これに対し、同乗していた田島の叫んだ「チキショウッ、たとえ車でも追い越されるのはシャクだな」という言葉が四三の胸にグサリと刺さったという(長谷川孝道『走れ二十万キロ 「マラソンの父」金栗四三伝』熊本日日新聞社)。自分がレースで敗れたら何と言われるだろうと、四三の心はざわついたのだ。

まあ、田島教授にかぎらず、何かに挑む者に対し無神経な言葉を発してしまう人というのはいつの時代にもいる(たとえば、従来のドラマの枠組を打ち破ろうとして、さまざまな試みを展開している作品に対し、視聴率が低いことをしきりにあげつらう記者や評論家とか……)。なお、田島の名誉のために付け加えておけば、経済学者だった彼は、社会問題に対処する社会政策学の日本における第一人者であり、昭和に入って立命館大学の学長も務めている。

話がそれたが、先週中には、「いだてん」に登場する足袋の播磨屋の店主・黒坂辛作の役を、降板したピエール瀧に替わって三宅弘城が演じることが決まった。

三宅といえば、昨年、宮藤官九郎演出のシェイクスピア劇「ロミオとジュリエット」(松岡和子翻訳)でロミオを好演していたのが印象深い。ジュリエットのいる家の2階まで素手で登ってみせたりと、50歳とは思えないほど激しく舞台を動き回る彼の演技を見て、オリンピックをテーマとした「いだてん」にもぜひ出てほしいと思ったものだ。前回レビューで書いたとおり、これまでの放送分までもが撮り直しになるのは残念ではあるものの、三宅の登板にはがぜん期待が高まる。
(近藤正高)

※「いだてん」第11回「百年の孤独」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:西村武五郎
※放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から。各話は放送の翌日よりNHKオンデマンドで配信中
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