いきなり前話の“検証編”
前回、第12話では、1912年のストックホルムオリンピックのマラソンに出場した金栗四三(中村勘九郎)が、途中でコースを間違えてしまい、気づけばホテルのベッドの上にいた。現地ガイドのダニエル(エドヴィン・エンドレ)や内田公使(井上肇)によれば、日射病で倒れていたのを担ぎ込んだのだという。この間、いつまで経ってもスタジアムに戻ってこない四三を、嘉納治五郎(役所広司)はじめ日本選手団の面々はストックホルムの町中を探し回った。果たして四三は、その空白の数時間、どこでどうしていたのか? これについて第13話では、四三が自分の走った道を再びたどり直しながら検証していく。前回の謎を次の回で解明するという手法は、大河ドラマでは珍しいかもしれない。
四三がコースを外れたのは、17マイル地点の二股路だった。それから意識もうろうとなりながら、ある家族が庭でお茶会(スウェーデンではフィーカというらしい)をしていたところに迷い込む。その一家は、木の下に倒れ込んだ彼に、飲み物や食べ物を与えたり、上着をかけてやったりと介抱してくれた。ひょっとすると、これがなければ四三は死んでいたかもしれない。ちなみにこのとき四三が迷い込んだのはペトレという家だが、ドラマでその家族を演じていたのは、実際に四三を介抱したペトレ家の子孫の方々というからびっくりである(ドラマ公式サイト「ストックホルムオリンピック撮影リポート vol.3」)。
17マイル地点は四三とラザロの生死の分かれ道だった
四三が行方不明になっていたあいだの行動があきらかになったあと、衝撃のニュースがもたらされる。何と、彼が17マイル地点でコースを外れるのを止めようとしたポルトガル代表のラザロ(エドワード・プレダ)がレース中に倒れ、治療のかいもなく亡くなったというのだ。四三は、目の前に現れた少年四三(久野倫太郎)の幻影(?)に導かれてコースから外れたのだが、それを止めようとしたラザロが死んでしまうとは……。17マイル地点の分かれ道が、文字どおり四三とラザロの生死の分かれ道であったことに、愕然とする。
四三にとってラザロとの出会いは大きかった。声をかけたのは、四三の足袋に興味を持ったラザロからだった。四三もラザロが大工と知り、親しみを覚える。まだスポーツが金持ちの道楽ともいうべき位置づけにあったこの時代、貧しいなかでスポーツを始めた二人はすぐに心が通い合った。
ラザロの死を知ってから、四三は再び走り始める。その途中、ほかの国の選手が集まっているところに出くわす。それはラザロが倒れた地点で、選手たちは花を供えるなど彼を悼んで集まっていたのだ。四三もそこで立ち止まって手を合わせる。
近代オリンピック開始以来、とうとう初の死者が出てしまったことに、マラソンどころかオリンピックの存続も危ぶまれた。だが、このあと開かれたIOC総会で、ラザロの祖国・ポルトガルの代表が、彼の死を無駄にしないでほしいと、嘉納治五郎ほか各国代表に訴えたことから、オリンピックは4年後の1916年にも行なわれることが決定、開催地もドイツ・ベルリンに決まる。
引き継がれる死者たちの遺志
第13話ではまた、ストックホルムオリンピックで日本選手団の監督を務めた大森兵蔵(竹野内豊)が、その翌年、妻・安仁子(シャーロット・ケイト・フォックス)の故国・アメリカで亡くなったことも明らかにされた。大森は、四三や三島弥彦(生田斗真)がストックホルムを発つときにはすでにベッドから起き上がれないほど病が重くなっていた。ホテルの部屋に入って直接挨拶をしたいという四三たちに、安仁子は頑なに謝絶するが、開いたドア越しに、大森は布団から指を鳴らし、無言ながら別れを告げたのだった。
ラザロも大森もストックホルムで命を賭した末に逝った。だが、彼らの意志はその後も脈々と受け継がれていく。大森の遺した論文は、日本のスポーツ技術向上の礎となった。ラザロもまた、第13話終わりの「いだてん紀行」で紹介されていたように、ポルトガルの首都リスボンではいまなお彼をしのぶマラソン大会が行われているという。
ストックホルムの四三と初高座の孝蔵がシンクロする
第13話は第12話に対し、解決編として呼応していた。その劇中でも、ラザロと四三の運命が交錯したように、登場人物がさまざまな形で呼応し合っていた。ストックホルムと東京と遠く離れ、実際にはまだ会ったことすらない四三と若き日の志ん生=美濃部孝蔵(森山未來)も、なぜか行動がシンクロする。
第13話で孝蔵は「三遊亭朝太」の名でついに初高座を迎えた。俥屋の清さん(峯田和伸)からは、それを祝って、足袋の播磨屋の主人が仕立ててくれたという着物を贈られた。だが、プレッシャーからか孝蔵は酒に走り、着物も質に入れてしまう。初高座の当日も酔っ払って寄席にやって来る。しかも演じるのは大ネタの「富久」。それを知った師匠の橘家円喬(松尾スズキ)は「前座の分際で『富久』!?」とあきれ返る。
客席には清さんのほか、いつのまにか女郎の小梅(橋本愛)といい仲になっていた四三の友人・美川(勝地涼)の姿も。彼らをさんざん待たせたあげく、孝蔵はふらふらになりながら高座に現れる。案の定、出だしはさっぱりだったが、ふと、円喬の「噺はね、足で覚えるんだよ」との教えを思い出した途端、エンジンがかかる。圧倒的なスピード感で、噺のなかで浅草と芝のあいだを懸命に走る主人公の久蔵が乗り移ったかのようだ。
孝蔵が師匠の教えを思い出して調子を取り戻したのとシンクロするように、ストックホルムでは先述したとおり、四三もまた本番でのリタイアから立ち直って、再び走り始めた。まさに第13話のサブタイトルどおり「復活」である。この元ネタはロシアの文豪トルストイの小説『復活』だろうか。余談ながらトルストイが亡くなったのは、四三や三島弥彦たちがシベリア鉄道でヨーロッパに向かった前年、1910年のこと。「いだてん」の登場人物とトルストイは意外にも縁があり、天狗倶楽部の一員の中沢臨川(ドラマでは近藤公園が演じている)はストックホルムオリンピックの年、トルストイの評伝を上梓した。中沢とは天狗倶楽部で一緒だった三島弥彦もまたトルストイ作品を読んでいたという。小説『不如帰(ほととぎす)』で三島家をモデルにした徳冨蘆花もまた、トルストイに多大な影響を受け、彼の生前、ヤースナヤポリャーナにあった自宅に訪ねて面会している(鈴木明『「東京、遂に勝てり!」1936年ベルリン至急電』小学館ライブラリー)。
現実と同じくドラマのなかでも新たな時代へ
出てくる人物やできごとがそれぞれに呼応し合うという点で、第13話は「いだてん」のこれまでの話のなかでも際立っていた。
第13話の終わり、オリンピックの閉会を前に、四三と弥彦は嘉納治五郎にともなわれ、ストックホルムから次回開催地のベルリンへ視察に向かう。船上の人となった四三の表情はいかにも清々しく、希望にあふれていた。はたしてこれから彼らに何が待ち受けているのか。リアルタイムで元号が平成から令和に改められるタイミングで、ドラマのなかでも明治から大正へ時代が移り変わり、女子スポーツの事始めも描かれるという第2部へ。「いだてん」の物語は現代ともしっかり呼応している。
(近藤正高)
※「いだてん」第13回「復活」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:井上剛
※放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から。各話は放送の翌日よりNHKオンデマンドで配信中(ただし現在、一部の回は配信停止中)