「来春、師範学校を卒業予定の学生です。先日、実家の兄に呼ばれて、帰郷したところ、いきなり幼馴染の女性と見合いをして結婚するよう迫られました。


幼馴染は地元の庄屋に嫁いだものの、最近、夫を胃病で亡くしました。幼馴染の姑は、息子と嫁が一気にいなくなった喪失感から、一時は死のうとまで思い詰めていたところ、実家に戻った幼馴染が釜を洗っているのをたまたま目にし、その姿に生きる希望を見出したそうです。そこで姑は、幼馴染に自分のもとへ戻って来てもらおうと、私を庄屋に養子として迎え、彼女と結婚させることを私の兄と組んで画策したのでした。

じつは私は、昨年、所用でヨーロッパに行く必要があり、兄はその庄屋に田んぼを売って数千円もの旅費を捻出してくれました。田んぼは、売却後も私の家で自由に使わせてもらっているのですが、兄としては先述のような恩義がある以上、私には先方へ養子に行ってもらいたいと望んでいます。

正直に告白すれば、私は幼馴染に対し、彼女が庄屋に嫁ぐ以前よりひそかに好意を抱いていました。しかし、私には現在、3年後に向けてある大きな目標があります。それを叶えるためには、すべてを投げ打って取り組まねばならず、いまは結婚を考える余裕などありません。もっとも、その目標にはまた金がかかります。そのためにも養子になったほうが得策だと兄は言うのですが……。

果たして、私はこの縁談を受けるべきなのでしょうか? とはいえ、兄と姑は、すでにあさってにも祝言を挙げるつもりで話を進めているようです。回答者様には、恐れ入りますが、なるべくお早めにご回答いただけますと助かります。
何卒、よろしくお願いいたします。(東京市・21歳・学生)」


……と、いきなり人生相談風に書き出してしまったが、先週4月21日に放送された大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」第15話で、主人公の金栗四三(中村勘九郎)が帰郷したところ、幼馴染の春野スヤ(綾瀬はるか)と見合いをさせられる様子を見ていたら、つい、こんなふうに四三が相談するのを妄想した次第である(すみません、「ねとらぼガールサイト」で最近、北村ヂンさんが始めた「テレフォン人生相談」レビューに影響されました)。

ドラマではもちろん、四三はこんなふうに誰かに相談する暇もないまま、兄・実次(中村獅童)と義母となる池部幾江(大竹しのぶ)に押し切られて、スヤと祝言を挙げると、表向きには庄屋の主人となった。大正2(1913)年春のことであった。しかし彼は新婚初夜、新妻に対し、ストックホルムオリンピックでの雪辱を晴らすべく、次の1916年のベルリンオリンピックにすべてを賭けると誓うと、翌朝、再び東京へ戻る。

孝蔵、浜松で「ちいちゃん」と「まーちゃん」と出会う


そのころ、三遊亭朝太こと美濃部孝蔵(のちの古今亭志ん生/森山未來)は、三遊亭小円朝(八十田勇一)らとともにドサ回りで浜松に滞在していた。当地には勝鬨亭という寄席があり、三度の飯が出て、楽屋に泊まれるうえ、近くには八百庄という造り酒屋があった。八百庄には、ちいちゃん(片山萌美)という娘が働いており、孝蔵をはじめ男どもをとりこにする。この店にはまた、まーちゃん(山時聡真)というメガネをかけた賢そうな次男坊がいて、孝蔵がその日高座でやった「付き馬」の感想を訊けば、「あんなに長い噺をつっかえずに言えて、た〜んと稽古したんだな、偉いやぁって(思った)」と生意気な口を聞き、さらには「面白かねえら」とばっさり。孝蔵は、そこに現れた小円朝からも、前座のくせに大ネタをかけることを咎められ、喧嘩となり、ついには追い出されてしまう。

東京高等師範学校に戻った四三は、校長の嘉納治五郎(役所広司)に結婚したことを伝えそびれる。嘉納は、大日本体育協会の会合で、四三に選手の立場から話をさせるつもりだったが、話にのぼるのは借金問題のことばかり。このとき体協は、弁護士の岸清一(岩松了)や、高師教授の永井道明(杉本哲太)らがすっかり主導権を握り、嘉納は会長にもかかわらず微妙な立場になっていた。


そんななかで四三はベルリンオリンピックに向けて、野口源三郎(永山絢斗)ら徒歩(陸上)部の仲間とともに猛特訓を開始する。真夏の海岸で、日中もっとも気温の高い時間に、帽子もかぶらないで、がむしゃらに走り込む、その名も「耐熱訓練」。ストックホルムで日射病で倒れてリタイアした経験から、暑さに耐えられる体をつくるための訓練だ。もっとも、こんな無茶なトレーニングは現代ではありえないだろう。

同じころ、孝蔵も噺家仲間の万朝(柄本時生)と浜名湾の浜辺にいた。湾では、地元の若者たちが遠泳訓練中だ。浜松は昔から水泳が盛んな土地で、地元の人たちは自分たちの泳ぎを「浜名湾流」と名乗っていた。地元の中学生(いまでいえば高校生)たちは毎年夏になると合宿を行ない、自らを「河童」と呼ぶほど水に親しんだ。それは速さを競うのではなく、鎧姿でも泳ぐなど戦国武士の修練を受け継いだものだった。

合宿の総仕上げは、16キロ、6時間にもおよぶ大遊泳。ナレーションによれば、この河童軍団から、やがて金栗、三島に続くオリンピック選手が現れるらしい。軍団のなかには、さっきのまーちゃんの姿もあったが、ひょっとすると彼もいずれオリンピックにかかわってくるのだろうか……?

浜名湾の河童軍団が16キロを泳いでいたころ、四三は倒れても倒れても、ストックホルムのことを思い出しながら奮起しては起き上がり、走り続けていた。
そんな四三を思って、スヤが熊本から手を合わせて祈る。新妻の思いが伝わったのか、彼はついに40キロを倒れずに完走するにいたった。

四三、教職の道を断ってオリンピックを目指すことに


それから秋がすぎ冬になり、大正3(1914)年2月。卒業を控え、同級生たちが教師として各地への赴任が決まるなか、四三は一人、教師になる道を断って、オリンピックの準備に専念すると宣言する。熊本にも手紙で「養子話も縁談も破談にしてかまいません」と伝えており、幾江が金栗家に怒鳴り込んでくる。

高師の教師たちも、四三の決断に異を唱える。永井は「きさま、正気か! 教職に就くことは高師の義務だ!」とおかんむり。どちらかといえば四三の味方であるはずの助教授の可児徳(古舘寛治)も、「教師をやりながらでもオリンピックは目指せるんじゃないの?」と懐疑的だった。

しかし、嘉納だけは違った。いきなり四三に靴を脱いで足を見せるよう命じると、その血豆だらけで不格好な足を指して、「教師は生徒の手本にならなくてはいかん。こんな足では人の上には立てん。不合格!」と言い放った。だが、当の四三はその言葉の真意が飲みこめない。
そこで嘉納は「こんな足では、世界一のマラソン走者ぐらいにしかなれんと言っておるのだよ」と畳み掛けた。これで四三もようやく、嘉納が自分を後押しすると言ってくれていることに気づく。尊敬する嘉納から「君はマラソンを極めて、我が国におけるオリンピックのプロフェッショナル第一号になりたまえ」と激励され、彼は目の前が開けたのだった(あれ、でも、当時のオリンピックはアマチュアの祭典だったのでは……)。

スヤもまた、四三の夢につきあう決心をして、「(義母には)四三さんがオリンピック制覇の宿願を達成するまでの辛抱ですと言い聞かせております」と手紙を送る。妻が理解してくれたことに四三は返信で感謝を伝えた。その手紙で冷水浴を勧められ、スヤも試しに、思い切って着物を脱ぎ、井戸の水を浴びてみる。「ひゃあ〜っ!」。東京の四三もまた同じころ、いつものように水を浴び、同じように声を上げていた。こうして夫婦の心が通い合ったところで、本日放送の第16話へ続く。
「いだてん」四三、綾瀬はるかとまさかの結婚、水浴び! オリンピックは大丈夫? 進路はどっちだ15話
イラスト/まつもとりえこ

史実では孝蔵と同時期に東海道を下っていた四三


金栗四三の伝記『走れ二十五万キロ 「マラソンの父」金栗四三伝』(長谷川孝道著、熊本日日新聞社)によれば、四三が「耐熱訓練」を行なっていたのは、千葉県館山の北条海岸だという。北条海岸は、かつて1年生の夏に水泳訓練をした場所だ。ここで彼はひと夏、毎日、地獄のようなトレーニングを続けた。
当初の目標距離は8キロと、フルマラソンの5分の1の距離にすぎなかったが、炎天下で走るのは死ぬほどの苦しさだった。しかし、これを40日間続け、8月下旬にはついに完走。翌日にも走りぬくと、翌々日からはさらに10マイル(約16キロ)に延ばして、これも完走。ついには20マイルに挑むも、やはり何とか走りこなした。
「いだてん」四三、綾瀬はるかとまさかの結婚、水浴び! オリンピックは大丈夫? 進路はどっちだ15話
生前の本人に取材して書かれた金栗四三の評伝『走れ二十五万キロ』(熊本日日新聞社)。その著者で、熊本陸上競技協会会長も務めた長谷川孝道氏は、去る4月17日に87歳で亡くなったと報じられた。謹んで哀悼の意を表したい

翌1914年の春、四三がベルリンオリンピックをめざして、教師の道を断ってマラソンに専念したというのも、史実どおりである。ただし、この時代、東京高師の生徒に対しては、文部省が卒業後の赴任地を決めており、じつは四三も愛知第一中学(愛知一中、現・愛知県立旭丘高校)に赴任するよう辞令を受けていた。

当時の愛知一中の校長・日比野寛(ひびの・ゆたか)は、生徒全員に走ることを奨励して「マラソン校長」の異名をとり、「病めるものは医師に往け。弱きものは歩け。健康なるものは走れ。強壮なるものは競走せよ」という名言も残している。四三にはぜひ指導者として来てほしいと、直接文部省に談じ込んで、獲得に成功したらしい。

しかし、四三はこの赴任を取り消してくれと、東京高師の生徒係監事に頼みこむ。
ドラマでは、永井道明が四三の申し出に「教職に就くことは義務である」と叱り飛ばしていたが、実際にこれを言ったのはこの監事だったようだ。四三は聞き入れられないとなると、意を決してそのまま名古屋に向かい、日比野校長に直談判して、文部省に取り下げを申し出てもらおうとする。このとき彼は、ベルリンオリンピックに向けての思いを伝えると、ついには日比野を納得させ、「文部省へは私が話をつける」との言葉を得た(ドラマではこれが嘉納治五郎のセリフになっていたが)。このあと、四三は高師に戻って嘉納からも了承を得ている。

それにしても、現実において四三と孝蔵が同時期に東海道を下っていたというのが興味深い。なお、ドラマに登場した勝鬨亭は、浜松の歓楽街に実在した寄席で、その名は日清戦争の戦勝にちなんでつけられたという(浜松市立中部公民館編・発行『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』)。

なお、孝蔵が東京を離れて旅に出たのは、当時の落語界の勢力争いが背景にあった。孝蔵が弟子となった三遊亭小円朝は、名門・三遊派の頭取だった。そこへ来て、上野鈴本を中心に一流の芸人を買い占める計画が持ち上がり、これに驚いた神田や京橋の寄席の席亭(寄席の主人)は、先に芸人たちを抱えて対抗しようとした。そのため三遊派に相談を持ちかけ、会社をつくって月給制にすれば儲かると言って丸め込んでしまう。ところが、月給制に対してはほかの落語家から反対派が続出し、それに同調する寄席もあいつぐ。このため三遊派はしだいに寄席から締め出され、給料が払えなくなり、幹部からも脱退者が続出。会社の代表名義にされた小円朝は孤立してしまう。こうして彼は弟子をつれて旅に出た……ということらしい(結城昌治『志ん生一代(上)』小学館、矢野誠一『志ん生のいる風景』文藝春秋)。

この道中では、小円朝と別れた(第15話では彼に追い出されるというふうに描かれていたが)孝蔵が、ある事件に巻き込まれる。これについてはおそらく、第16話以降に出てくるだろうから、楽しみにしたい。

【宣伝】現在発売中の「週刊文春」5月2・9日ゴールデンウィーク特大号に、筆者が取材・構成を担当した「『いだてん』脚本・宮藤官九郎さんへの20の質問」「『いだてん』深読み事典」が掲載されています。前者では宮藤さんが「いだてん」脚本を担当する経緯から、今後の見どころまでを語り、後者では、「東京篇」「落語篇」「スポーツ篇」「文学篇」に分け、それぞれ細馬宏通・堀井憲一郎・藤島大・木村洋の各氏が、「いだてん」に登場する人物、ネタ元などについてくわしく解説しています。ドラマのファンにはもちろん、未見の方にも興味を持っていただけるはずなので、ご一読いただけると幸いです。電子版もあります。
(近藤正高)

※「いだてん」第15回「あゝ結婚」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:一木正恵
※放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から。各話は放送の翌日よりNHKオンデマンドで配信中(ただし現在、一部の回は配信停止中)
編集部おすすめ