四三、監督を背負ってスタジアムへ
マラソンの号砲が鳴ったのは、1912年7月14日午後1時。この日の朝、大森安仁子(シャーロット・ケイト・フォックス)が部屋のカーテンを開け、四三(中村勘九郎)は目覚めた(前回ラストに出てきた、川での冷水浴はこのあとという設定だろうか)。
そのころ、四三の熊本の実家に、幼馴染の池部スヤ(綾瀬はるか)が四三に精力をつけてもらいたいと鯛を持って訪ねてきていた。夫で玉名の商家の主人である池部重行(高橋洋/高は正しくははしごだか)も一緒だ。これに対し四三の長兄の実次(中村獅童)は、いまからストックホルムに鯛を送っても2週間かかり、そのあいだに腐ってしまうからと固辞する。しかし、スヤは、池部は胃弱で鯛を食べられないし、こんなに大きいので自分と義母だけでは食べきれないと言う。そこで彼女は、みんなで鯛を一緒に食べながら、四三を応援しようと思いついた。
日本選手団監督の大森兵蔵(竹野内豊)の体調はあいかわらずすぐれず、妻の安仁子は止めるが、彼は四三のレースだけは見なければとそれを振り切り、四三と一緒にホテルからスタジアムへ出発した。が、道に迷ったあげく、電車にも乗り遅れ、早くも大森は疲弊してしまう。仕方がないので、四三は彼をおぶって歩いてスタジアムに向かうことに。この様子に、かつて少年時代の四三が、やはり病弱だった父・信彦(田口トモロヲ)に連れられて熊本の第五高等学校へ嘉納治五郎を見に行ったときの回想が重ね合わせられる。ちなみに史実では、四三たちは、この日にかぎって車が来ないため電車で行こうとしたら、スタジアム行きの電車は満員に次ぐ満員で、しかたなく歩いたらしい(こういう話を読むと、来年の東京オリンピックでの交通の混雑への懸念がふと頭をよぎる)。
四三たちに先んじて、選手団長の嘉納治五郎(役所広司)や京都帝国大教授の田島錦司(ベンガル)、またすでにレースを終えた三島弥彦(生田斗真)らはスタジアムに到着していた(なぜみんなそろって行かなかったのか)。
当の四三はようやくスタジアムに着くと、あわててロッカールームに駆け込む。ポルトガル代表のラザロ(エドワード・ブレダ)は緊張のためか心ここにあらずという感じだ。四三がラザロに靴のひもがほどけていることを教えると、逆に四三も足袋のはぜが開いていると指摘される。そうこうしている間に選手たちは招集され、四三を残して出て行ってしまう。彼は急いで着替えると一人遅れてスタート地点へ。すぐに号砲が鳴る。スタンドでは嘉納・三島・田島がスタートする四三を日の丸を振りながら見送った。
スタジアムで日本で、四三の健闘を祈る人々
オリンピックという大舞台に挑むアスリートに周囲の人たちがよせる思いは、現在とさほど変わらないだろう。ただ、当時はラジオやテレビなど実況中継するメディアがなかった(電信や電話はあったけれど)。選手たちがスタジアムから街路へと出て行ったあと、再び戻ってくるあいだ、スタジアムで待つ人たちは、旗竿に掲げられる国旗により、どこの国の選手がトップになったかなど途中経過を知らされていたというのは、目からうろこであった。
現地がそんな状況なのだから、遠く離れた日本にいたっては、レースの模様をリアルタイムで知るすべはまったくない。四三を送り出した東京高等師範学校では、学友たちと教員の永井道明(杉本哲太)と可児徳(古舘寛治)が、校長の嘉納から結果を伝える電報が来るのをいまかいまかと待っていた。
四三はスタートこそ遅れたものの、序盤は好調だった。最初に飛ばし過ぎて失速する他国の選手たちをしり目に、しだいにスピードを上げていく。調子に乗って給水地点でも、水をとらないまま通りすぎていった。
同じころの東京、初高座が決まった三遊亭朝太こと美濃部孝蔵(のちの古今亭志ん生/森山未來)は、演目に「富久」を選ぶも、どうも稽古に身が入らない。そこで、久々に清さん(峯田和伸)から借りた人力車を引き、ひたすらに噺を口にしながら走る。師匠の円喬から噺は体で覚えろと言われたのを忠実に守ってのことだ。孝蔵が走るごとに、街が火の海となる様子がアニメーションで描かれる。「富久」で語られる火事のイメージだが、のちのちドラマに出てくるであろう、関東大震災や東京大空襲をも予見させ、どうも不吉な感じがした。
四三もまたレースの最中、兄・実次からの激励や、新橋駅で学生たちに「敵は幾万」の歌で見送られる様子を走馬灯のように思い浮かべながら、ひたすらに走っていた。炎天下のなか、次々と選手が倒れていく。四三も呼吸が乱れ、いったん足が止まった。
やがて折り返し地点の教会が見えてくる。そこでラザロの姿をとらえると、彼のあとを追って折り返す。下り坂なのでスピードが上がった。四三のなかでむらむらと野心が湧きあがり、ラザロを抜きにかかる。沿道には先回りして現地ガイドのダニエル(エドヴィン・エンドレ)と内田公使(井上肇)が待っていたが、ここでも給水せずに通過。そしてやっとラザロに追いつき、「失敬」と言うと追い抜いた。
だが、その直後、四三に異変が起こる。森のなかを走っていたところ、急に体がふらついたかと思うと、力が入らず、コントロールがまったく効かなくなってしまったのだ。
四三はどこへ行った
ストックホルムオリンピックのマラソンでは結局、南アフリカのマッカーサーが優勝。2位は同じくギッシャム、そして3位が何と、われらが韋駄天!……と語り手の古今亭志ん生(ビートたけし)が言うと、寄席の客から歓声が起こるが、志ん生はすぐに「ウソです」と手のひらを返す。まさに緊張と緩和。しかし今回の笑いどころはここぐらい。あとはつらい展開が待っていた。
四三は一向にゴールとなるスタジアムに戻ってこない。最後の選手が入ってきたが、弥彦によれば「棄権した選手のなかに日本人はいない」という。
しかしレースが終わっても四三は現れない。「IDATENはどうなったか」とクーベルタンに訊かれた嘉納は「消えました」と答えるしかなかった。このあといよいよ心配になった嘉納や三島、大森、田島は手分けしてストックホルム市内の病院などを四三を探してまわる。それでも見つけられず、全員ホテルへと戻ってきた。すでに内田公使とダニエルは先に帰って待っていた。ひとまず東京へ電報を打たないといけない。失踪と伝えれば大ごとになるとの嘉納の判断で、棄権と知らせることになった。
そのころ、熊本では、すっかり寝入ってしまったスヤがいきなり起き上がったかと思うと、そばにいた夫や実次に、「四三さんはどぎゃんなりましたかね?」と訊ねて、実次から「そりゃスヤさん、明日かあさっての新聞に載らにゃわからんばい」と笑われる。
再び場面が替わり、冒頭と同じく安仁子がカーテンを開ける。ベッドには誰かが寝ていた。安仁子は部屋を出て、嘉納たちが集まっているところに現れる。
それにしても、ホテルに嘉納たちが帰ってきたとき、先に戻っていた内田とダニエルはなぜ、四三が熱射病で倒れたことをすぐ言わなかったのだろうか? また、四三がコースを間違えてから、倒れてホテルに担ぎ込まれるまでのあいだに一体何があったのか? このあたり、ちょっとしたミステリーである。ストックホルム編が完結するというきょう放送の第13話では、その空白の部分も明らかにされるのだろうか。
(近藤正高)
※「いだてん」第12回「太陽がいっぱい」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:一木正恵
※放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から。各話は放送の翌日よりNHKオンデマンドで配信中