NHKの大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」(放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から)。先週3月3日放送の第9話では、新たに「ストックホルム青春編」がスタート。
日本初のオリンピック選手となった金栗四三(中村勘九郎)と三島弥彦(生田斗真)がスウェーデン・ストックホルムに着くまで半月以上におよんだ大旅行が描かれた。

第8話の演出を担当したのは、演出家で映画監督としても活躍する大根仁。これまでにもNHKのドラマを外部の演出家が手がけた例はあるが(TBS出身の久世光彦が1990年放送の「振りむけば春」を演出したのが最初という)、大河ドラマでは大根が初めてとなる。脚本の宮藤官九郎とはほぼ同年代(大根が1968年、宮藤が1970年生まれ)で、2015年の映画「バクマン。」では、大根が監督、宮藤が俳優として初めてコラボレーションが実現した。大根は今回の演出のために、自らシベリア鉄道に乗ったという力の入れようであった(ドラマの公式サイトにそのレポートが掲載されている)。
「いだてん」オリンピック監督を演じる竹野内豊「ぎぼむす」に続き死の影が忍び寄る…9話
イラスト/まつもとりえこ

アニーよ出汁をとれ!


新橋発の列車は、四三と弥彦、そして選手団の監督となった大森兵蔵(竹野内豊)とその妻・安仁子(シャーロット・ケイト・フォックス)を乗せて走り出したが、選手団長の嘉納治五郎(役所広司)の姿が見えない。四三が大森に訊くと、国立の東京高等師範学校の校長である嘉納は国の役人という立場ゆえ、長期海外出張の許可をもらうのに色々と手間取っているらしい。


まさにそのころ、嘉納は許可を得るべく文部省に赴くも、担当の役人から、ひとまず申請書を出すようにと冷たくあしらわれていた。憤懣やるかたない嘉納は、役人に向かって「俺は嘉納治五郎だぞ!」と捨て台詞を吐くも、それでどうにかなるわけもなく、むなしさが残るばかり。

汽車には、ウラジオストック行きの船に乗り換える敦賀(福井県)まで助教授の可児徳(古舘寛治)が代わりに同行した。しかし嘉納はついに現れないまま、一行は出国する。この間、四三たちは停まる駅ごとに大歓迎を受けた。

ヨーロッパに向けてシベリア鉄道に乗りこんだのは、ウラジオストックに着いて2日後。
四三と弥彦、大森が車中すごすことになった客室は2等寝台ながら、弥彦が「うちの風呂より狭い」と形容するほどのスペースだった。食堂車はあるが、大森は少しでも節約するため、自炊すると告げる。だが、同じ客室に乗り合わせたドイツ人に誘われるがまま、初日から食堂車に出かけてしまい、あげくドイツ人の飲み食いした分まで代金を支払わされる始末。

翌日からは自炊を始めるも、安仁子がつくった味噌汁(名古屋駅で学生からもらった八丁味噌が役に立った)がどうも四三の口に合わない。なぜかと思えば、出汁をとっていないからだった。四三がクレームをつけるのを横目に、夫の大森は「おいしいよ」と文句一つ言わず食べ続ける。


命懸けでストックホルムに向かう大森


列車が満州(中国東北部)のハルビンを通りすぎたときには、3年前の1909年にこの地で暗殺された初代首相・伊藤博文に思いをはせる。このとき、事件の回想シーンで伊藤を演じた浜野健太は、昨年の大河「西郷どん」に続く同役での登場だ(このキャスティングは大根仁の発案とか)。ハルビンでは四三と弥彦が途中下車して街中を歩いていたところ、ロシア兵に呼び止められパスポートの提示を求められたほか(このとき四三はうっかりパスポートを返してもらえないところだった)、中国の兵士たちの姿も見え、緊迫した雰囲気が漂う。

道中、汽車が駅に停まるたび、四三と弥彦は外に出て体を動かすなどしていたが、それでも狭い客室ですごす時間のほうが長い。そうなると、相手のあらにばかり目に入ってしまうというのはよくあること。四三も、弥彦が車中で女性と見れば声をかけずにいられないことに苛立ち始める。話題にも事欠くようになり、黙っていても険悪な空気が漂う。
劇中では、そのときの四三と弥彦の会話に、語り手の古今亭志ん生(ビートたけし)が長屋の夫婦のやりとり風にアテレコして、ピリピリムードをなごませた。

四三の不信の目は、大森にも向けられた。彼が安仁子と英語でいちゃつくのにすっかり辟易して、可児宛てのはがきについ「いかに西洋人の真似をしたとて日本人は日本人なり」と書いてしまう。それを読んだ可児と教授の永井道明(杉本哲太)はやはり自分たちが同行すべきだったとほくそ笑んでいたところ、嘉納が現れた。ここから彼の口より、オリンピックに大森夫妻が派遣された理由が初めて明かされる。

じつは大森は肺結核のため、もはや4年後まで体がもたないと思われた。
そこで安仁子は、これを逃したら夫はオリンピックを見るチャンスを永遠に逃してしまうと、嘉納に懇願したのだった。大森はこのとき、病気を押して「オリンピック式陸上運動競技法」と題する論文も書き上げていた(この論文は大森がストックホルムに渡っているあいだに出版された。同書は現在、国立国会図書館のデジタルアーカイブスで閲覧できる)。すべてを知って、可児と永井は悔い改める。

旅が進むにつれ、大森はますます激しく咳き込むようになる。団長の嘉納もおらず、こんな状態で果たして戦えるのかと四三から怒りをぶつけられた弥彦は、彼を食堂車へと連れていくと、「臆するな、韋駄天。
練習の成果、見せてやろうじゃないか」と励ました。四三も一緒に食事をするうち、しだいにわだかまりも解けていく。気づけば、テーブルマナーもすっかり身についていた。固く握手を交わしたあと、弥彦の所属する天狗倶楽部の決めポーズを一緒にすると、二人は再び仲を取り戻す。

そして一行はついにストックホルムにたどり着く。狭い列車内でのシーンが続いただけに、実際に現地でロケした映像は開放的に感じられた。劇中に出てきたスタジアムは、ストックホルムオリンピック開催時に使われた本物だ。ここで四三と弥彦がどんな活躍を見せるのか、見ているこちらも胸を躍らせながら、物語は今夜放送の第10話へと続く。

四三はなぜシベリア鉄道で乗り物酔いしなかったのか?


ところで、ずっと「いだてん」を見ている方は、今回のシベリア鉄道の道中で四三に何か疑問を抱かなかっただろうか。ここで第3話で四三が熊本から汽車で上京したときのことを思い出していただきたい。彼は2日がかりで東京に着くまでに、乗り物酔いに苦しんでいたではないか。それが今回のストックホルム行きでは、もっと長い日数を列車のなかですごしながら、四三が気分を悪くする描写はなかった。

この疑問は、四三の伝記を読めば氷解する。じつは、ドラマでは描かれなかったが、彼はストックホルムに向かうにあたり、テーブルマナーや英会話のレッスンを受けるとともに、長旅で乗り物酔いをしないようにと、自主的に電車や船に乗って体を慣らしていたのだ(長谷川孝道『走れ二十五万キロ 「マラソンの父」金栗四三伝』熊本日日新聞社)。おそらくドラマでは展開上、このエピソードを入れられなかったのだろう。ただ、そうした事実を知らずに、劇中の四三がシベリア鉄道では酔っていないことに気づいた視聴者には、ちょっと不自然に見えたはずだ。せめて語りのなかででも説明があればよかったのにと思う。

ドラマではまた、四三たち一行がウラジオストックからセントピータースバーグ(サンクトペテルブルク)までずっと同じ列車に乗っていたように描かれていたが、実際には、ロシア中部のチタでモスクワ行きの急行に乗り換えている。また、モスクワでは途中下車して、日本領事館を訪ねたり、クレムリン宮殿に立ち寄ったりしている。四三が生まれて初めて自動車に乗ったのも、このとき休憩のため駅からいったんホテルへ移動したときだった。クレムリンには、大森も「一世一代の見物だから」と体に鞭打って出かけたが、宮殿内は上り下りが多く、結局四三に背負われながらの見物になったという(『走れ二十五万キロ』)。

モスクワには朝着き、夕方には出発する慌ただしさだった。翌朝には帝政ロシアの首都セントピータースバーグに到着。ここでは2泊し、日本大使館で日本料理を振る舞われたり、夜にはロシア上流社会のパーティに出席したりしている。パーティでは、弥彦が若いロシア令嬢相手にペアでスケートの演技を披露し、喝采を浴びたとか(鈴木明『「東京、遂に勝てり!」1936年ベルリン至急電』小学館ライブラリー)。

とはいえ、「いだてん」はあくまで“事実にもとづくフィクション”だ。事実をうまく料理して面白いエピソードに仕立てているところも多い。たとえば、客室でドイツ人と一緒になったことも、ハルビンで弥彦が伊藤博文が殺された場所だとつぶやいたことも史実だが、いずれもそこからうまく話をふくらませていた。

夫より19歳年上だった安仁子


第9話では、番組終わりの「いだてん紀行」とあわせて、大森兵蔵と安仁子(アニー)夫妻にスポットが当てられた。そこで説明されていたとおり、二人の馴れ初めは、大森がアメリカ留学中、名家の娘だったアニーの世話をするハウスボーイとなったことだ。彼は使用人であり、アニーとは一緒に食事をすることも許されなかったが、いつしか彼女に惹かれるようになる。そんなある日、庭でツタウルシの毒により高熱を出した大森を、アニーが熱心に看病したのをきっかけに心を通わせるようになり、結婚するにいたる。国籍、社会的立場の違いに加え、安仁子は大森より19歳も上と(1907年に結婚したとき、彼女は50歳になっていた)、年齢差を超えての結婚であった。

安仁子は、母のきょうだいを4人とも結核で亡くしており、この病気の恐ろしさをよくわかっていた。それだけに、大森がストックホルム行きを決めたとき、それを引き止めるか否か悩んだ。結局、安仁子も同行する決断を下すのだが、夫妻の伝記にはこのときの彼女の心境が次のように書かれている。

《強引に彼を引き止めることができるのは、妻の彼女をおいてほかにいない。冷静な思慮は、夫を発(た)たせてはいけないと彼女に命じた。しかし、夫と一つに結ばれている心は、オリンピックにかける彼の情熱と決意を、くまなく受け止めていた。彼に念願を叶(かな)えさせたい。そのために病身の彼を支え、ともに歩む道を安仁子は選んだ》(松田妙子『私は後悔しない 兵蔵とアニーの愛の生涯』主婦と生活社)

汽車での移動中、大森は安静時間を自ら決めて固く守り、安仁子もその時間中は一切話しかけずに付き添ったという。

金栗四三が大森と出会ったのは、安仁子から英会話を教わるため夫妻の家に通っていたときらしい。現実の四三は晩年、大森について取材を受けた際、なぜ大森が監督としてストックホルムに赴いたのかと訊かれ、次のように答えている。

《無理に頼んだのだ。誰も行く人がいなかった……。経験した者は、誰もいなかったからなあ……。大森さんはアメリカでスポーツをやってきた人だし、奥さんもアメリカ人だったので……無理矢理に行ってもらった。咳をして、苦しそうだったのに……》(水谷豊『白夜のオリンピック……幻の大森兵蔵をもとめて』平凡社)

この取材時、四三はすでに病床にあり、大森の苦しさが若い頃以上に痛感されたのではないか。

もうひとつの「ぎぼむす」がスタート


「いだてん」で大森兵蔵を演じる竹野内豊は月9ドラマ「ビーチボーイズ」でブレイクしたこともあり、壮健なイメージを持っていたのだが、昨年のドラマ「義母と娘のブルース」では病気で早世する父親の役だったし、このところ病弱な人物を演じることが目立つ。

「義母と娘のブルース」で竹野内の再婚相手役だったのが綾瀬はるかだ。その綾瀬が「いだてん」で演じる池部スヤ(旧姓・春野)は、前回、熊本・玉名の名家・池部家に嫁いだばかり。第9話では、ある朝、やはり病弱らしい夫の咳で目を覚まし、縁側に出ると、向かいの母屋の縁側から姑の幾江(大竹しのぶ)に手招きされる。これからは毎朝、起きたら、幾江が顔を洗えるようタライに水を汲んでおけというのだ。池部家にはこのほかにも色々としきたりがあり、嫁はきちんと守らねばならないらしい。まさに「義母(姑)と娘(嫁)のブルース」が始まろうとしていた。

第9話ではまた、若き日の古今亭志ん生=美濃部孝蔵(森山未來)にも転機が訪れる。半年ものあいだ俥に乗せてきた落語家の橘家円喬(松尾スズキ)から「三遊亭朝太」の名を与えられ、正式に弟子入りが認められたのだ。志ん生は後年にいたるまで、このとき渡された五厘分の小銭と命名の紙片を額に入れて大事に保存していた。

このように登場人物が大きく動き出すなか、ただ一人、嘉納治五郎だけが身動きが取れずにいた。はたして彼は無事、ストックホルムにたどり着けるのか!? こちらも気になるところである。
(近藤正高)

※「いだてん」第9回「さらばシベリア鉄道」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:大根仁
(各話は放送の翌日よりNHKオンデマンドで配信中)