宮藤官九郎作の大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」(放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から)。先々週の第5話で、1911(明治44)年11月の日本初のオリンピック予選大会のマラソンにて世界新記録で優勝した東京高等師範学校の金栗四三(中村勘九郎)は、いざ世界へ向けて動き出した! と思っていたら、先週2月10日放送の第6話では予想外の方向へ話が進んだ。


コメディ仕立ての会議シーン


第5話の後半、四三は先の予選会で気づいた改善すべき点をノートに書き出し、足袋もマラソンに適したものに直してもらうため、「足袋の播磨屋」の主人・黒坂辛作(ピエール瀧)にどやされながらも注文を出した。また、記念写真の撮影では、写真館のカメラマン(山下敦弘)の言葉に従い「世界を意識して」ポーズをとっていた。どう見ても、オリンピックに向けてやる気満々という感じだが、それはどうも私の勘違いだったらしい(というかわざと視聴者にミスリードを誘うように演出したのではないか)。何と、四三はオリンピック予選会とは知らず、10里(40キロ)という未体験の距離に惹かれ、日ごろの鍛錬の成果を試すべく参加しただけだったのだ。それがわかったのは、予選会の翌月、東京高師の校長室に設けられた大日本体育協会(体協)に、校長で体協会長の嘉納治五郎(役所広司)から呼び出されたときだった。

このとき、体協では侃侃諤諤の議論の最中であった。出席者は、嘉納以下、東京高師の教授・永井道明(杉本哲太)、同助教授の可児徳(かに・いさお/古舘寛治)、米国体育学士の大森兵蔵(竹野内豊)とその妻・安仁子(あにこ/シャーロット・ケイト・フォックス)。

予選会の結果を踏まえ、翌年のストックホルムオリンピックの日本代表に誰を選ぶか。短距離では100メートル・400メートル・800メートルで優勝した三島弥彦(生田斗真)、そしてマラソンでは四三が最有力候補にあがる。だが、それ以前に、予算的に果たして何人をストックホルムへ送り出せるのかが問題であった。財務担当の可児の目算では滞在期間が1ヵ月として一人につき1000円はかかるが、文部省は一切カネを出さないと大臣(春海四方)から告げられたという。それを聞いて永井が思わず「世界記録だぞ!」と四三の記録を持ち出すが、水を差すように、安仁子が世間ではその記録を疑問視する声が上がっていると報告。四三のタイムは従来の世界記録より22分も速かったので、コースの距離が間違っていたのではないかと疑われたのだ。
兵蔵も計測は正しかったとしながら、22分はさすがに速すぎると、時間を計り間違えたのではないかと疑問を呈す。これに嘉納は「時間を計ったのは私だ。文句あるか!?」と激高する。

会議中、嘉納が怒って机を叩いたり立ち上がったりするたびに、窓際にかけられた五輪ポスターが落ちそうになり、ほかの出席者があわてるということが繰り返される。その様子はまるでコントのようだった。そもそも会議は、シチュエーションコメディではおなじみの設定だ。この分野を得意とする三谷幸喜も好んで作品のなかで会議を描いている。今回嘉納を演じる役所広司主演(柴田勝家役)で、その名も「清州会議」という映画を監督しているし、3年前の大河ドラマ「真田丸」では、真田家と北条家の領地問題をめぐる会談を描いた回が評判を呼んだ。宮藤官九郎の作品でも、朝ドラ「あまちゃん」で、すっかり寂れた北三陸に観光客を誘致すべく、杉本哲太演じる駅長ら地元の人たちが集まって「北三陸をなんとかすっぺ(略してK3RNSP)」会議を開いていたのを思い出す。

ちなみに、今回劇中に出てきたポスターは、ストックホルムオリンピックの各参加国向けに用意されたもので、下部の言葉はそれぞれの国の言語で書かれていた。日本向けのポスターには《千九百十二年 オリンピヤ競技会會/今年六月二十九日ヨリ七月二十二日迄「ストックホルム」に於※開會》(※は判読できず)と筆文字で書かれていた(佐山和夫『オリンピックの真実 それはクーベルタンの発案ではなかった』潮出版社)。

「がっかりだ」のセリフが現実とシンクロ


さて、議論がなかなか進まないなか、校舎の外では四三が、辛作に特別にあつらえてもらった足袋をさっそく履いて走り回っていた。嘉納はその姿を見つけるや、四三を何としてでもストックホルムに送り出すと決断、本人を校長室に呼び出すと、オリンピック出場を要請した。
しかし四三はこれに「行きとうなかです!」と返し、皆をざわつかせる。

このあと四三から話を聞くうち判明したのは、先述のとおり、彼がオリンピック予選にそれとは知らずに参加していたという事実であった。そもそも彼はオリンピックとは何なのかすらも知らなかった。可児が自腹を切ってつくった優勝トロフィーにも「OLYMPIC」と書かれていたのに、単なる飾りとしか認識していなかったのだ。これには日本のオリンピック参加のため情熱を注いできた嘉納は落胆する。

あげく四三が、もし国の威信をかけた大舞台で負けたら国民に顔向けができないと言い出したため、とうとう嘉納は「がっかりだ!」と機嫌を損ねてしまう。いや、しかし勝手に期待しておきながら、相手が従わないとなると「がっかりだ」と言うのは、ちょっとフェアじゃないのでは? と思っていたら、放送の数日後、五輪担当大臣が、来年の東京オリンピックで期待されていた選手が病気で療養することになったことに対し「がっかり」という言葉を用いて物議を醸した。何というシンクロニシティ。

恩師の口車に乗った四三、師匠を車に乗せて走り回る孝蔵


嘉納は三島弥彦からも五輪出場辞退の返事を受ける。学業優先がその理由であった。他方、東京高師では清国からの留学生たちが、辛亥革命のため母国からの学費の送金がストップして動揺する。これに対し、嘉納は彼らを日本に押しとどめるため学費は全部自分が出すと約束してしまう。彼の出費はかさむばかりで、嘉納先生は一生借金を返しきれなかったとナレーションが入る。


その後、四三をあらためて校長室に呼び出した嘉納は、自費でストックホルムに行くことを提案する。嘉納が言うには、支援を受けて行くのはかえってプレッシャーになるだろうとの配慮であったが、実際には予算削減の方便にすぎない。嘉納も四三の実家がけっして裕福ではないことは知らないわけではなかろうに、どうもモヤモヤしてしまう。だが、四三は崇敬する嘉納の申し出だけに断れない。そこで熊本の実家の長兄・実次(中村獅童)に、手紙を出して旅費を工面してくれるよう頼むことにした。

これより前、四三は走ることに生きがいを見出したと兄に伝えたところ、かけっこにうつつを抜かしている場合かと叱責の返事をもらっていた。以来、1年ほど連絡を絶っていたのだが、背に腹は変えられず、意を決して事情を正直に便箋へしたため、ポストに投函する。

兄から返事を待つあいだ、四三はストックホルムに向けて走り出す。オリンピックの予選会で一緒になった車夫の清さん(峯田和伸)や辛作から、できるだけ本番と似た環境で練習したほうがいいと助言され、浅草から人形町を経て日本橋、さらに芝へといたるルートを日々往復しながら走り続ける。それは、若き日の古今亭志ん生=美濃部孝蔵(森山未來)が、弟子入りした落語家・橘家円喬(松尾スズキ)を毎日、寄席と寄席のあいだを俥(人力車)で乗せて走り回っている道と重なった。

第6話の終盤、二人は花火が打ちあがるなか日本橋ですれ違う(日本橋が現在の西洋風のアーチ型石橋に架け替えられたのは、まさにこのころ、1911年のこと)。そしてラスト、四三の手紙がついに熊本の兄のもとに届くのだが、果たして鬼が出るか蛇が出るか、きょう放送の第7話が待ちきれない。

「いだてん」勝手に期待しておいて「がっかりだ」はあんまりだ。五輪担当大臣発言と嘉納治五郎シンクロ6話
イラスト/まつもとりえこ

清さんにもモデルがいた


円喬は俥に乗っているあいだ、孝蔵に噺を語って聞かせた。師いわく、噺は耳ではなく足で覚えるのだと。1960(昭和35)年の場面で志ん生(ビートたけし)からこの話を聞いた弟子の五りん(神木隆之介)は、「それ俥屋じゃないですか」とツッコむ。それに志ん生は「弟子だよ」と言い張り、「弟子はな、背中で聞くんだよ、師匠の芸を」と説くのだった。「師匠の背中を見て覚える」とはよく言うが、それをひっくり返したあたり、いかにも志ん生が言いそうなセリフである。

前回のレビューで書いたように、現実の志ん生は終生、円喬の弟子を“自称”していたものの、実際には、彼が最初に弟子入りしたのは別の落語家とされる。ドラマにおける「円喬を俥に乗せながら噺の稽古をつけてもらった」というエピソードは、志ん生本人が話していたことと事実の食い違いに整合性をつけたともいえる。

劇中の説明でもあったとおり、当時の円喬は大変な人気で、日に4軒も寄席を掛け持ちし、「四軒バネの円喬」といわれるほどだった。志ん生の聞き書きによる著書『びんぼう自慢』(小島貞二編、ちくま文庫)には、円喬と彼を引き合わせてくれたのは、その名も清さんという親しい車夫だったとある。清さん自身は「モーロー車夫」と呼ばれるモグリの車夫だったが、円喬お抱えの俥屋が知り合いにいて、志ん生を紹介してくれたのだという。清さんはてっきり架空の人物と思いきや、ちゃんとモデルがいたことに驚かされる。
(近藤正高)

※「いだてん」はNHKオンデマンドで配信中
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:西村武五郎
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