宮藤官九郎のオリジナル脚本によるNHKの大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」(放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から)。先週1月27日放送の第4話の冒頭では、第1話にも出てきた東京高等師範学校(東京高師)でのマラソン大会が再び描かれた。
もちろん視点は異なる。第1話では東京高師校長の嘉納治五郎(役所広司)の側からの視点だったのが、今度は生徒の金栗四三(中村勘九郎)の側からレースの模様が描かれた。

オリンピック予選会に向け練習法を模索する四三


第1話で嘉納は、日本がオリンピックに参加する母体として大日本体育協会を東京高師内に設けた。マラソン大会はこのとき、嘉納が協会設立をめぐり日本体育会の会長・加納久宜(辻萬長)と激しく議論するなか行なわれた。同じ場には天狗倶楽部の俊足・三島弥彦(生田斗真)も呼ばれていた。このとき、弥彦の乗ってきた自動車(明治末の子の当時はもちろん高級品)の近くで立小便をして、彼からどやされていた生徒こそ四三であった。このエピソードからだろう、第4話のサブタイトルには「小便小僧」とつけられていた。

東京高師のマラソン大会は、「徒歩競走」の名で基本的に全校生徒が参加して行なわれていた。このドラマでスポーツ考証も務める筑波大学教授・真田久の論文「嘉納治五郎の考えた国民体育」(菊幸一編著『現代スポーツは嘉納治五郎から何を学ぶのか』ミネルヴァ書房所収)によれば、高師での長距離競走は1898(明治31)年に始まり(当初の名は「健脚競走」)、1904年以降は従来の秋の遠足会が徒歩競走と改められ、1908年には春の遠足会も徒歩競走となり、春・秋の行事として定着したという。

四三は初めて参加したマラソン大会で3位だった(嘉納がゴールテープを持って駆けつけたときには、すでに上位の選手たちは到着済みだったのがおかしかった)。彼はその敗因を、「排便ばする」「わらじは好かん」「スタミナ」……すなわち、事前に排便をしていなかったため出遅れたこと、わらじはマラソンに不向きであること、そしてスタミナ不足にあると分析。次の勝利に向け、この三つを解決する策を考えるとともに、徒歩部(いまでいう陸上部)に入って練習を重ねる。わらじに代わる履物の問題については、大塚にある「足袋の播磨屋」で店主・黒坂辛作(ピエール瀧)に足袋をみつくろってもらい、まずは解決した。


そこへ飛び込んできたのが、翌1912年に開催されるストックホルムオリンピックに向け、出場者を決める選考会が開かれるとの報だった。そこには10里(40キロ)を走るマラソンも含まれていた。未知の距離に挑むべく、四三たちは新たな練習法を考える。そこでたどり着いたのが、「水抜き・脂抜き」という過酷な練習法だった。これは四三が自修室で読んでいた本から見つけたものである。番組終わりの「いだてん紀行」では、当時の理論書として『理論実験 競技運動』(武田千代三郎著、1904年)という本が紹介されていたが、そこにはたしかに練習中の飲食物の注意として、《脂肪多きもの、水分多きもの、興奮性、刺戟性のもの、及び澱粉質のものを成るべく避けるのが必要である》と書かれていた(国立国会図書館のデジタルコレクションで閲覧できる)。ちなみにこの本の著者の武田千代三郎は、内務官僚にしてスポーツ理論の権威であり、大正時代には嘉納が設立した大日本体育協会の副会長も務めている。駅伝競走の名付け親もこの人物だ。

四三たちは、汗をかいて体内から水分を出し切ろうと夏場にも厚着をするなど、滑稽なほどの努力を重ねる。もちろん、それは間違ったトレーニング法だ。四三は脱水症状のせいか幻覚を見たあげく、ついにたまりかねて水をがぶ飲みし、さらには先輩の徳三宝(阿見201)が食べようとしていたあずき氷に貪りつく。結局、このときの失敗から四三は「自然に従え」との教訓を得た。


「噺」を担当する古今亭志ん生(ビートたけし)のパートも好調だ。とくに四三が足袋の播磨屋を見つけるところで、志ん生がテレビで見ている格好で、1960(昭和35)年のローマオリンピックのマラソンを裸足で走って優勝したエチオピアのアベベのニュース映像を挿入してきたのは見事だった。ちなみにアベベは、本来はランニングシューズで練習していたが、ローマに来てからそれまで履いていたものが擦り切れたので、新しいものを探したが自分に合ったものが見つからず、結局、裸足で出場したという。合わないシューズを履くよりも、むしろ走り慣れた裸足のほうがいいとの判断だったようだ(山田一廣『アベベを覚えてますか』ちくま文庫)。

計画的な四三と行き当たりばったりの嘉納


ストックホルムオリンピックに向けた予選会についてはやはり第1話にも出てきたが、第4話ではその裏話も明かされた。予選会場として羽田に運動場の建設が、アメリカ帰りの体育学士・大森兵蔵(竹野内豊)の指導のもと急ピッチで進められるのだが、嘉納はその費用を、三島弥彦の兄で横浜正金銀行頭取の三島弥太郎(小澤征悦)からの融資でまかなおうとしていた。だが、建設のさなか、弥彦から兄はカネは出さないとあっさり伝えられ、嘉納はその場で倒れ込んでしまう。

それにしても、嘉納は理想は高いが、それを実現するにあたっての行動には結構行き当たりばったりなところが多い。現実の嘉納はかなりの政治力を持っており、オリンピック参加の準備も周到に進めたはずだが、このドラマでは、「正当な理由があれば返さなくてもいい借金もある」と言い放つなど、滑稽なほど理想主義者で情熱家のおじさんとして描かれている。これに対し彼の学校の生徒である金栗は、現在の常識からすれば間違った方法もとるとはいえ、そこにはまがりなりにも論理による裏づけがあり、嘉納とくらべたらよっぽど計画的ではないか。

思えば、役所広司は、映画「Shall we ダンス?」(1996年)あたりから、真剣になるほどおかしみを増すおじさんを好演してきた。一昨年のドラマ「陸王」では、マラソン向きのスポーツシューズ開発に執念を燃やす老舗足袋メーカーの社長を演じていたのが記憶に新しい。このとき彼のライバルとして立ちふさがるシューズメーカー社員を演じたピエール瀧とは今回再び共演、それも瀧の役どころが足袋屋の主人というのが偶然にしてはできすぎである。


さて、運動場は何とか完成し、四三たちも道に迷いながら会場に向かい、ついにオリンピックの予選会が開幕しようとしていた。第1話でも描かれた大雨のなかでの死闘が、今夜放送の第5話で金栗四三の視点からどのように描かれるのか楽しみだ。
「いだてん」滑稽なほどの情熱おじさん嘉納治五郎は役所広司にぴったり、今度はピエール瀧が足袋屋の妙4話
イラスト/まつもとりえこ

日露戦争後の青年は、現代の若者とそっくり?


熱中できる対象としてマラソンを見つけた四三とは対照的に、彼の同郷の親友である美川秀信(勝地涼)はどうも冴えない。前回、吉原に遊びに行ったため、肋木にぶら下げられる罰を受けたかと思えば、今回は同じ罰を受けていた徳三宝を笑い飛ばし、舎監の永井道明(杉本哲太)に咎められ、当の徳三宝にもぶん殴られてしまう。学校に入ってからもなかなか目標が定まらず、時に教師に反発しながら必死に自分探しを続ける美川君の姿は、現代の青年にも通じる。これというのも時代状況によるところも大きいのだろう。

幕末・維新から明治も日露戦争あたりまでの日本では、個人の立身出世がそのまま国家の発展につながっていた。まさに日本という国そのものが青春時代だったといえる。目標のはっきりとした時代、そこで活躍する若きヒーローたちはいまなお人気が高い。だからこそ、大河ドラマではこれまでに幕末が何度もとりあげられてきた。また2009年から2011年にかけての年末には、日露戦争にいたる明治日本を、軍人の秋山好古・真之兄弟らを中心に描いた司馬遼太郎原作の大型ドラマ「坂の上の雲」が、総合テレビの大河ドラマの時間帯に放送された。

これに対して、「いだてん」で描かれるのは日露戦争後、明治も終わりの時期である。
いわば、日本がそれまで半世紀近くにわたり欧米に追いつけ追い越せとやってきた末に、大国ロシアに戦勝し、坂をのぼりきったあとの時代だ。同じく地方から上京したとはいえ、国を背負う大志を持っていた秋山兄弟と、四三や美川とではまったく違う。ある歴史学者は、日露戦争後の青年たちについて次のように書いている。

《「日露戦後」の青年は、必ずしも意気軒昂たる存在ではなかった。当時の同時代的な多くの論評から浮かび上がってくるのは、国家や社会との接点を見失い、一方で物質的な利益を追求することに恥じらいを感じなくなり、他方で人生如何に生きるべきかという自我の問題に悩む、ばらばらな砂粒のような個としての青年像である》(有馬学『日本の近代 第4巻 「国際化」の中の帝国日本 1905〜1924』中央公論新社)

「いだてん」の作者・宮藤官九郎はこれまでに若者の群像劇を多数書いてきたが、彼が「坂の上の雲」に出てくるような国家を背負った若者たちを描くことはちょっと想像がつかない。これに対して明治末の青年は、国家とは縁遠く、ときに人生に悩みながらも個人的な目標を見出そうという点で現代の若者にも通じるところが多々あり、宮藤にとっては格好の素材といえる。

日本初のオリンピック予選会の開かれた1911(明治44)年には、前年に明治天皇の暗殺計画を企てたとして検挙された社会主義者の幸徳秋水ら12名が処刑される(大逆事件)など、社会的な閉塞感も強まっていた。政界では、官僚閥の桂太郎と政友会総裁の西園寺公望が交互に政権を担当する時代(桂園時代)がしばらく続いており、国民の不満がたまっていく。経済も、日露戦争の戦費を調達するため募集した巨額の内外債の元利支払いや貿易赤字などにより停滞していた。横浜正金銀行の三島弥太郎が、オリンピック関連の融資を断ったのには、そうした事情があった。

劇中、羽田の運動場の建設シーンでは、嘉納治五郎が清国から招いた留学生らの姿もあった。事実、嘉納は清国から留学生を受け入れるため、日本語学校の設立にも尽力している。
この学校からは作家の魯迅や、辛亥革命の指導者となる黄興や胡漢民らが輩出された。辛亥革命が起こったのはまさに1911年、オリンピック予選会の開かれる前月の10月のことで、翌年1月には孫文が中華民国臨時政府を樹立、同2月には清国皇帝・溥儀が退位する。日本でも辛亥革命に触発され、明治維新に続く第二の維新を求める声もあがった。

こうした国内の停滞と隣国の革命のなか、嘉納治五郎や金栗四三はオリンピック参加のため奮闘していたことになる。オリンピックはその後、明治から大正、そして昭和へと時代が進むにつれ、国威発揚の場として利用されていく。今後、こうした時代の変化のなかで生きることになる登場人物たちを、宮藤はどのように描いていくのだろうか。それこそ彼が初挑戦した大河ドラマにおける最大の見ものではないか。
(近藤正高)

※「いだてん」はNHKオンデマンドで配信中
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:一木正恵
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