四三の親友のくせに美川君ってばヒドイ!
第3話では、金栗四三(中村勘九郎)が東京高等師範学校に入学するため熊本から上京し、のちに人生を捧げることになるマラソンと出会うところまで物語が進んだ。
アバンタイトル(オープニングタイトル前のパート)は約8分と長めにとられ、語りを務める古今亭志ん生(ビートたけし)の自宅での場面──志ん生夫人のおりん(演じるのは志ん生の孫である池波志乃!)がここで初登場──をマクラ(?)に、四三のこれまでの物語を手短に振り返ったあと、四三が熊本から家族総出で見送られながら東京に向かう様子が描かれる。駅のホームで、長兄の実次(中村獅童)が涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら四三との別れを惜しむ姿が、おかしくもあり、弟への深い愛情を感じさせた。
四三と東京までの道中をともにしたのは、中学の親友で同じく東京高師に入学することになった美川秀信(勝地涼)。第3話は、真面目で不器用な四三と、遊び好きでちゃっかり者の美川と、対照的な二人を軸に噺が繰り広げられた。
二昼夜も列車に揺られながらの東京までの道中では、乗り物に弱い四三がすっかり汽車に酔ってしまったのに対し、美川は車中で見かけた美人をナンパしようとして四三に止められる。東京に出てからも、学校の寄宿舎に行く前に、四三は美川に誘われるがまま浅草へ遊びに繰り出すのだが、その途中、電車内で道を尋ねている隙に財布をすられてしまった。あげく、すっかり日が暮れて寄宿舎に入ると、美川が雑誌『冒険世界』を持っていたため、舎監(寄宿舎の監督係)の永井道明(どうめい)教授(杉本哲太)に見咎められ、いきなり頭をはたかれる。だが、美川は『冒険世界』は自分ではなく四三のものだと訴えたおかげで、その後、四三は肋木(ろくぼく)にぶら下がって罰を受けるはめに。まあ、実際、『冒険世界』は汽車のなかで四三が美川に渡したのだが、それにしたって親友に罪をなすりつけるなんて、美川君ってばヒドイ……。
とまあ、いきなり新天地で手痛い洗礼を受けた四三だが、入学式で幼少期より憧れていた嘉納治五郎校長(役所広司)の謦咳に接してがぜんやる気を出す。
体育の授業の柔道では、柔道日本一の先輩・徳三宝(阿見201)に果敢に技をかけようとして投げ飛ばされるも、それを見ていた嘉納校長を感心させる。もっとも、四三の伝記『走れ二十五万キロ マラソンの父 金栗四三伝』(長谷川孝道著、熊本日日新聞社)によれば、実際に四三が体育で選択したのは柔道ではなく剣道だったようだ。他方、徳三宝は実在した学生で、気に食わないことがあると相手を容赦なく殴る乱暴者だったが、柔道には努力を惜しまなかった。柔道部の寒稽古では、毎朝誰よりも早く講道館(嘉納治五郎が開いた柔道の総本山)の練習に顔を出し、さらにそのあと東京高師の道場に通って汗を流す日課を欠かさなかったという。四三はそんな彼の姿に、《日本一になるほどの人物は、やはり人並以上のモノをもっている》と頭の下がる思いを抱き、のちにマラソンを始めてからは自ら誰よりも多く練習をこなすようになる(『走れ二十五万キロ』)。
これに対し、ドラマのなかで四三が「人並以上の努力をすること」の大切さに気づくのは、夏休みに帰省した際に、兄から「偉か人は熱中する才能ば持っとるばい」「おまえもひとかどの人間になるには熱中する何かば見つけるこったい」と言われたのがきっかけとなっていた。「天才は努力を努力と思っていない、魚が水を泳ぐように自然にやってしまう」とはビートたけしがよくする話だが、兄のセリフはそれを思い出させる。
この帰省中、四三は、ひそかに恋心を抱いていた幼馴染の春野スヤ(綾瀬はるか)が女学校を出てから見合いをするという話を聞き、傷心して東京に戻ることになる。だが、スヤも本当は四三のことが好きだった。四三が再び東京に向かうため汽車に乗ると、彼女は自転車で全速力で追いかけ、「四三さん、お達者で」と別れを告げる。
東京に戻った四三は、またしても美川に誘われて赴いた浅草で、スポーツ同好会「天狗倶楽部」のマラソン大会に遭遇する。彼らが「走りたいから走っている」と知った彼は、自分が熱中できるものはこれだと直感。その後、学校でも生徒全員参加でマラソン大会が開催されると知るや、心を躍らせるのだった。
華麗なる三島家の人々
第3話ではこのほか、天狗倶楽部のメンバーである三島弥彦(生田斗真)の家族も登場した。とくに白石加代子演じる弥彦の母で、「女西郷」と呼ばれた三島和歌子のインパクトは大だった。初っ端から、弥彦がバットで打ったボールを和歌子が仕込み刀で真っ二つにするという登場のしかたは、まさに白石ならではだろう。
和歌子の亡くなった夫で、弥彦の父親は、山形県令(いまでいう知事)や警視総監などを歴任した元薩摩藩士の内務官僚・三島通庸(みちつね)だ。なお、劇中、三島邸の食堂には、通庸の肖像画とともに、「日本洋画の父」と称される画家・高橋由一の「山形市街図」が壁にかかっているのが確認できた。これは、通庸が山形県令を務めていたころ、高橋に依頼して自らつくりあげた近代都市の風景を描かせた油絵である(古田亮『高橋由一──日本洋画の父』中公新書)。ついでにいえば、通庸は嘉納治五郎とも関係が深い。嘉納が創始した講道館柔道は、1880年代後半、全国の警察の道場で正式に採用されたが、このとき大きな役割を果たしたのが、当時警視総監となっていた三島であった(クリストファー・W・A・スピルマン「嘉納治五郎──柔道と日本の近代化」、筒井清忠編『明治史講義【人物篇】』ちくま新書)。
通庸亡きあとも三島家は、長男の弥太郎(小澤征悦)が貴族院議員のほか横浜正金銀行の頭取、さらには日本銀行総裁を務め、栄華をきわめた。この弥太郎は、陸軍大将・大山巌の長女と結婚したものの、妻は結核を理由にわずか7ヵ月で離縁され、2年後に早世したという。
『不如帰』では、姑が病気の嫁を邪険にしたあげく息子と別れさせる。ドラマでは、そのことを姑のモデルとなった和歌子に悟られまいと、女中のシマ(杉咲花)が隠し通そうとするさまがコメディタッチで描かれていた。しかしシマの努力も、和歌子が映画となった『不如帰』を観てしまい水泡に帰す。映画を観終えて怒りが収まらず、またしても仕込み刀を振り回す和歌子の姿はさすが迫力があった。
劇中の映画まで忠実に再現
なお、明治末のこの当時、活動写真と呼ばれた映画には音声がまだなく、上映時にはスクリーンの傍らに活動弁士と呼ばれる職業の者がつき、セリフや解説を語って聞かせていた。今回、この役を務めたのが、本物の活動弁士の坂本頼光(らいこう)だ。
じつは私はこの第3話を、坂本さんとそのファンとともに観る機会に恵まれた。放送中はみんなで一緒に、彼がいつ出てくるのか、どのくらい出演場面があるのかとやきもきしながら待った末(その雰囲気に、ふと同じく宮藤官九郎作品の「あまちゃん」で、ヒロインのアキが初めて出演したドラマを放送時に地元の人たちと一緒に見ていたところ、出演シーンが丸々カットされてなかったというエピソードを思い出してしまった)、ようやく終盤になって登場。残念ながら顔がアップになることはなかったが、それでも坂本さんの名調子が大河ドラマ、それも話芸を大きなモチーフとするこの作品で流れたのは快挙といえる。個人的にも彼とは20年近い付き合いだけに、感慨深いものがあった。
ちなみに、坂本さんによれば、この場面の撮影時には1922(大正11)年)に製作された当時の人気女優・栗島すみ子主演の『不如帰』が使われたという。ただ、ドラマの時代設定は大正より前の明治。
五りんの冷水浴は何かの伏線か?
第3話では、入学してまだ半年も経たないはずなのに、夏休みに四三が美川とともに帰省する展開に、思わず「早すぎないか?」と首をひねったのだが(と18歳で上京して1ヵ月も経たないゴールデンウィークに帰省した自分が言うのもナンだが)、これも前出の伝記によれば、事実にもとづいたものらしい。もっとも、現実の四三と美川は、千葉・館山湾で2週間の水泳訓練を受けたあと、富士山を袴に下駄ばきで登ったあと(ただし軽装が災いして頂上までたどり着けずに下山)で帰省したというからタフである。
このように、「事実に基づいたフィクション」を謳いながらも事実を活かすべきところではきっちり活かす、作者の宮藤官九郎はじめ「いだてん」のスタッフにはあらためて頭が下がる。そういえば、第3話の冒頭では、志ん生の弟子になった五りん(神木隆之介)が、いきなり「親父の言いつけで毎朝やらなくちゃいけなくて」と言って、青年時代の四三と同じく冷水浴をしていたが、これも何かの伏線だろうか。それも含めて、本日放送の第4話以降もドラマの展開に目が離せない。
(近藤正高)
※「いだてん」はNHKオンデマンドで配信中
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:西村武五郎