金栗四三の生い立ちをスピーディに描く
第2話のあらすじを年表風にまとめるとこんな感じになる。
・明治24(1891)年、熊本県・春富村の没落した造酒屋の家の四男として金栗四三誕生。その名は、父・信彦(田口トモロヲ)が43歳のときの子供ということでつけられた。その前年には、ドラマの語り手である美濃部孝蔵、のちの5代目古今亭志ん生が誕生。
・四三・5歳(子役:久野倫太郎)。第五高等学校を訪れていた嘉納治五郎(役所広司)に抱き上げてもらおうと、病弱な父とともに春富村から熊本まで片道約40キロを歩いて出かける。しかし結局、嘉納に抱き上げてもらうどころか、その顔すら人垣に阻まれてまともに見られず。
・四三、尋常小学校に入学。体が小さくて友人たちになかなかついていけない。だが、兄嫁の出産からヒントを得て、独自の呼吸法を編み出し、俊足を身につける。
・明治34(1901)年、四三・10歳(子役:船元大馳朗)。高等小学校まで往復12キロを走って通学。人呼んで「いだてん通学」。
・明治38(1905)年、四三・14歳(演じるのはここから中村勘九郎に)。兄たちが父を死に際に説得してくれたおかげで中学に進学。海軍兵学校をめざし、恩師の五条先生(姜尚中)から教えられた冷水浴で体を鍛える。が、中学4年生で受験するも視力検査で落とされてしまう。絶望していたところ、医者の娘の春野スヤ(綾瀬はるか)と再会し、励まされる。その後、中学の親友の美川(勝地涼)が東京高等師範学校を受けると聞かされる。そこは嘉納治五郎が校長を務める学校だった。それを知るや、彼も高等師範をめざすことに。
こうして振り返ると、それぞれのエピソードを1話に仕立てれば、そのまま1〜2ヵ月はドラマが持ってしまいそうだ。もし、主人公が一人であればそうなっただろう。
「口ひげの青年」は夏目漱石だったのか?
物語の展開は早いが、一つひとつの話はディテール豊かに描かれていた。たとえば、金栗父子が第五高等学校(五高。ドラマで四三の母親・シエを演じた宮崎美子の母校・熊本大学のルーツである)へ出かけるくだりでは、西南戦争の激戦地である田原坂を通りかかったところで、かつて父・信彦が同戦争で政府軍の兵士から伝家の宝刀を守り抜いたという話も出てきた。大河ドラマの前作「西郷どん」との思わぬリンクだ。
この五高に出かける場面では、嘉納治五郎の柔道の試合を人垣に阻まれて見かねていた四三少年を、口ひげの青年(ねりお弘晃)が抱き上げて見せてやるというエピソードも印象的だった。語りでは、この青年がのちの文豪・夏目漱石らしいことがほのめかされる。嘉納治五郎と、無名時代の四三と漱石が、思いがけず一つの場所に居合わせていたとは、まるで山田風太郎の明治物の小説のようで面白い。
時代考証からいえば、当時四三は5歳で、年号でいえば明治29(1896)年と、たしかに漱石が五高に赴任した年にあたる。ただし、嘉納が五高の校長を務めたのは明治25年からの2年間で、このころにはすでに東京高等師範学校の校長となっていた。四三が見に行ったのは、嘉納が久々に熊本を訪問したときだったのだろう。ついでにいえば、漱石はこれ以前にも嘉納と接点があった。
第2話ではまた、四三とは同年代ながら、何もかも対照的な志ん生の生い立ちを並行しながら描いたことも、ドラマに幅をもたらしていた。学問や体を鍛えることでひたすらに上をめざす四三に対し、子供のころからばくち、酒・たばこを覚え、堕落した日々をすごしていた志ん生。あげく吉原の遊郭で遊んだカネを踏み倒そうとするのだから、どうしようもない。だが、そんな彼の人生も円喬との出会いにより変わろうとしていた。
「トンネル」を使った見事な場面転換
このようにさまざまなエピソードを1話のなかにふんだんに盛り込みながらも、混乱させないところに、第1回に続いて構成の妙を感じさせた。そこでふと思い出したのが、「いだてん」のタイトルバック画を手がける画家の山口晃が『洛中洛外図』について語っていた話だ。『洛中洛外図』とは京都の町の鳥瞰図の一種で、「いだてん」のタイトルバック画をはじめ、山口にもインスパイアを受けた作品が多い。
『洛中洛外図』では、ある部分は細かく、ある部分は省略しという具合に縮尺の異なるさまざまな風景が同じ画面に描かれているが、それぞれの境目を雲で上手くつなげて、不自然ではないように見せているという。山口いわく、《その雲をいかに上手く配置していくかもセンスの問われる所》であり、とりわけ『洛中洛外図』の傑作の一つ「舟木本」の雲のレベルは図抜けて高く、《雲としてだけ見ても、バリエーション豊かで、リズムがあって非常に面白い。もちろん、間を上手くつないでいて、途切れがありません》(山口晃『ヘンな日本美術史』祥伝社)。
「いだてん」の構成の妙も、異なる物語と物語のつなぎ方にこそあるように思われる。そこで『洛中洛外図』における雲の役割を果たしているのは、志ん生の語りであり、第2話ではまた、四三が真っ暗なトンネルを走って潜り抜けるたびに成長し、場面も転換するという具合にトンネルも効果的に使われていた。
「新しい女」を象徴した自転車
第2話では、綾瀬はるか演じる春野スヤが歌い、四三にも教えていた「自転車節」が印象に残った視聴者も多いだろう。劇中で歌われたのは、こんな歌詞だった。
「ちりりんちりりんと出て来るは 自転車乗りの時間借り 曲乗り上手と生意気に 両の手離した洒落男 あっち行っちゃ危ないよ こっち行っちゃ危ないよ 危ないよと言ってる間に そらずっこけた」
「自転車節」は、語りで説明されていたとおり、もともとは「ハイカラ節」という流行歌の替え歌として生まれたものだ。藤澤衛彦編纂『明治流行歌史』(春陽堂)によれば、それは明治42(1909)年のこと。「自転車節」からもまた、「カラカラカラと出て来るは にきび盛りの女学生」「カラコロコロと出て来るは いきな姿の芸者連」などと歌い出されるいくつもの替え歌が生まれ、やがては「ハイカラのーえ節」なる新たな流行歌も派生したという。ドラマでは、綾瀬が同じ節で「逢いたかばってん逢われんたい たった一目でよかばってん あの山一丁越すとしゃが」とも歌っていたが、こちらは熊本地方で歌われていた「熊本自転車節」と呼ばれるものらしい。レコードが普及する以前のこの時代、流行歌は、各地方や階層、集団に広がっていく過程でさまざまな形で替え歌され、それがまた広まっていくというのが普通だったのだろう。
明治末のこのころ、自転車に乗る女性は「新しい女」の象徴であった。NHKの朝ドラ「あさが来た」(2015〜16年)でも、自転車が女性の社会進出を象徴するモチーフとして使われていたのを思い出す。その終盤では、女子大学を設立したあさが、学校の運動会で生徒たちと一緒に自転車乗りに参加するつもりだと話す場面もあった。
きょう放送の第3話では、金栗が東京高等師範学校に入学し、オリンピック予選に出場するまでが描かれるようだ。サブタイトルは「冒険世界」。これは、第1話にも登場した天狗倶楽部のメンバーで作家の押川春浪(演じるのは武井壮)が主筆を務めた雑誌のタイトルからとったものだろう。思えば、「いだてん」では、第1話が「夜明け前」、そして第2話が「坊っちゃん」と、各話のサブタイトルが日本の近代文学史に残る作品名からとられている。ドラマの展開とあわせて、こちらも(今後も続くとして)毎回楽しみだ。
(近藤正高)
※「いだてん」はNHKオンデマンドで配信中
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:井上剛