「そりゃ男が悪か。女子には何の非もなか。
女子が靴下ば履くのではなく、男が目隠しばしたらどぎゃんですか!」
NHKの大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」、先週6月9日放送の第22話では、竹早こと東京第二高女の教師となっていた金栗四三(中村勘九郎)からこんなセリフが飛び出した。
「いだてん」金栗先生「そりゃ男が悪か。女子には何の非もなか!」金八先生張りの長ゼリフで説得22話
イラスト/まつもとりえこ

金栗先生、保護者たちに吠える


発端は、四三の提案で1922(大正11)年秋に開催された女子の陸上大会でのこと。竹早から出場した村田富江(黒島結菜)が、50メートル障害競走を前に、新しいスパイクがきついと、いきなり靴下を脱いだかと思うと、素足になってスパイクを履き直したのだ。女性が素足をさらすことがまだ珍しかったこの時代、会場に来ていた新聞記者たちは色めき立って村田にカメラを向ける。後日、新聞紙面では「選手の多くは黒靴下を履いたが、なかには彫刻のような両足を冷たい風にさらして平気でいる者もある」と、いささか文学的な表現で報じられた。しかし折しも文部省は女子学生が運動競技中に腿を出さないよう各学校に通達。村田が足をさらした写真もなぜか流出し、浅草の怪しげな露天商……何と四三の旧友・美川(勝地涼)が零落した姿だった!……からその写真が、あろうことか村田の父で開業医の大作(板尾創路)の手に渡ってしまう。

大作は娘にこんな格好をさせた担任の四三を解雇するよう、ほかの生徒の父親らとともに学校に押しかけた。これに対し、四三は自らの意志で靴下を脱いだ村田を擁護すべく、事情を説明する。いわく「靴下を脱いだおかげで娘さんは日本記録ば出したとです」。だが大作は、娘に向かって「おなごが人前で脚を丸出しにするなんて、もう嫁には行けんぞ!」と叱責。これに四三はいきり立つと、「おなごが足ば出して何が悪かね」「男子はよくて女子が悪か理由ばお聞かせ願いたい」と大作たちに問いただす。

ほかの父親「だから言ってるだろう。
みっともないからだよ」
四三「それはおかしか! そもそもこん子らはきれいか脚に憧れて陸上ば始めたとです。西洋人モデルごたるシャン(美人)な脚になりたかけん走っとっとです。見られてもかまわん。だけん出す! 何の問題もなかです」
大作「そうはいかん!」
四三「な〜しですか?」
大作「好奇の目にさらされるからだ、娘の体が!」

大作のこの言葉を受け、四三が発したのが冒頭にあげたセリフである。現代にいたっても、痴漢は肌をさらしている女性にも責任があるなどといった主張をよく聞くが、もちろん問題はすべて好奇の目で女性を見る男のほうにある。四三のセリフはその意味で現代にも向けられている。

それにしても、四三がこれほどまでに熱血教師になるとは思いもしなかった。この回の前、第21話では、彼は村田ら生徒に槍を投げてもらおうとして断られ、このままでは自分の面目が丸つぶれだと頭を下げて頼みこんでいたのが、いかにも不器用だった。作者の宮藤官九郎は、当初このシーンで四三に「もう時代は変わったばい、女子が走って何が悪かね!」などと、往年の学園ドラマの金八先生ばりの長ゼリフで生徒を説得させるつもりで脚本を書いたものの、口下手で奥手な四三が生徒を説き伏せる姿がどうもしっくり来ず、結局、先述したように書き直したという(「週刊文春」2019年6月13日号)。

しかし、今回の四三は生徒を守るべく、これまでとは打って変わって長舌をふるい、保護者たちを説得しようとする。これというのも、生徒たちと交流するうちに信頼を深め合ったからだろう。いつしか四三は、生徒たちに「パパ」と呼ばれるほど慕われるようになっていた。


四三、天才少女に蹴り上げられる!


今回、第22話では、終盤に出てきた先の場面を含め、「脚」がキーワードとなった。そもそも、村田たち竹早の生徒たちがきれいな脚に憧れたのは、当時活躍したフランスのテニス選手スザンヌ・ランランの影響からだ。俊敏な動きを活かした革新的なプレイと広範囲に打ち込むショットで知られたランランは、服装も動きやすくておしゃれなものを心がけ、《大胆な袖なしブラウスに絹のショールをあわせ、頭に鮮やかな色のスカーフを巻いた。スカートは短いうえに生地が薄く、スリムでしなやかなボディラインがくっきりと見えた》というから(デイビッド・ゴールドブラット『オリンピック全史』志村昌子・二木夢子訳、原書房)、当時としてみれば欧米でもかなりセンセーショナルだったのではないか。

村田たちはこのあと、「そういえば陸上選手の足ってシャンよね」と気づき、四三を訪ねて脚を触らせてもらうと、自分たちも走ればきれいな脚になれると確信する。こうして、竹早の生徒たちは四三の指導のもとジョギングを始めた。

竹早では陸上だけでなく、以前からテニスが盛んだった。村田は梶原(北香那)とのペアで、岡山高等女学校へ遠征に赴く。そこで対戦したのが、人見絹枝(菅原小春)という長身の生徒だった。しなやかな身のこなしで(ダンサーである菅原の面目躍如だった)、強烈なショットを次々と打ち込む人見に、村田たちは完敗する。

このとき引率者として同行した教員の増野シマ(杉咲花)は、人見に陸上選手の素質を見出す。四三もこれに同調し、人見と対面するや、脚を袴の上から触らせてもらおうと手を近づけたところ、ハイキックでしたたか蹴り上げられてしまう(そりゃそうなるだろう)。彼女は「本が好きじゃけえ、文学部へ進むつもりです!」と言い残して、その場を立ち去った。
この人見絹枝こそ、日本人初の女子オリンピック選手だが、それはまたのちのお話。人見の自伝によれば、彼女もまた父親から反対されながらテニスに打ち込んでいたという(織田幹雄・戸田純編『炎のスプリンター 人見絹枝自伝』山陽新聞社出版局)。

四三の尽力で女子の陸上大会が実現したのはこのあとだが、そこから先述の村田をめぐる騒動が巻き起こった。さらには大作の署名運動により四三は依願免職を迫られる。この話はすぐに生徒の耳にも入り、村田たちは四三の不当解雇反対を訴えて、教室に立て籠もる。シマを含め教師たちが説得にあたるが、生徒たちは退学も覚悟の上だ。彼女たちが「走りやすい格好で走って何が悪いんですか」「女らしいらしくないって誰が決めたんですか!? 男じゃないですか!」「パパをやめさせるな!」と口々に主張するなか、それまで黙っていた四三はようやく口を開くと、「村田ぁ! 梶原ぁ!」と叫び、教室へと歩み寄る。さて、彼は一体どうやって彼女たちに対処するのだろうか……。

「いだてん」は関東大震災をどう描くのか


第22話では、シマが第一子を儲けたかと思えば、彼女の東京女子高等師範での恩師である二階堂トクヨ(寺島しのぶ)が密かに想っていた野口源三郎(永山絢斗)に妻子がある身だと知るや女子体育に一生を捧げると決意し、1922年には二階堂体操塾(現在の日本女子体育大学)を設立した。

そんなふうに登場する女性たちがそれぞれ転機を迎えるなか、若き日の古今亭志ん生=美濃部孝蔵(森山未來)も、金原亭馬きんの名で真打に昇進したのを機に、小梅(橋本愛)と清さん(峯田和伸)の勧めで、りん(夏帆)という女性を妻に迎える。もっとも、真打披露のため噺家仲間の万朝(柄本時生)が贈ってくれた羽織を本番を前に質屋に入れてしまうわ、結婚してからも飲む・打つ・買うと遊蕩三昧で、まったくもってどうしようもない。新妻りんはそんな夫を、わけもわからないまま、ただ見守るだけであった。


第22話で出てきた四三の解雇反対を訴えての生徒たちの教室立て籠もりは、史実ではもう少しあと、昭和初期に竹早で起こった校長排斥運動を下敷きにしていると思われる。このときにはすでに竹早ではスポーツが盛んに行なわれていたが、新たに赴任した老校長はそれを弾圧しようとしたため、生徒たちが実力行使に出たのだった。

二階堂体操塾には、1924年、岡山高女を卒業した人見絹枝が入学している。人見は高女卒業直前の4年生のときに県内の陸上競技会に出場し、走り幅跳びで非公認ながら当時の日本記録を出して優勝。これを受けて和気昌郎校長から、二階堂体操塾を強く勧められる。これに対し彼女は「体操学校なんか頭の悪い人たちの集まるところだ。私はそんなところには行くもんか」と初めは拒否していたが、校長があまりに熱心なので結局折れたのである(『炎のスプリンター』)。

きょう放送の第23話では、人見が上京する約半年前、1923年9月1日に起こった関東大震災が描かれる。四三は、孝蔵は、そのほか『いだてん』の登場人物たちは、帝都東京を襲ったこの未曾有の大災害にどんな対応を見せるのか、注目したい。(近藤正高)

※「いだてん」第22回「ヴィーナスの誕生」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:林哲史
※放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から。各話は総合テレビでの放送後、午後9時よりNHKオンデマンドで配信中(ただし現在、一部の回は配信停止中)
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