NHKの大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」は、金栗四三(中村勘九郎)が主人公となる前半もそろそろ終盤である。先週6月2日放送の第21回の冒頭では、アントワープオリンピックでメダルを逃したあと、一人ヨーロッパを放浪していた四三が、ドイツ・ベルリンでスポーツに親しむ女性たちと出会う。
そのなかには第一次世界大戦で夫を亡くした女性もあったが、スポーツにより立ち直ろうとしていた。そんな彼女たちの姿に感動した四三は、帰国後には「おなごの体育ばやる」と決意する。
「いだてん」女学校教師・四三が夕日に向かって「諸君らはもうみな美しく可憐な少女ばい」乙女チック21話
イラスト/まつもとりえこ

女学生たちの関心をスポーツに向けた四三の“作戦”


1920年秋、四三が東京の下宿に戻ると、妻のスヤ(綾瀬はるか)が彼を熊本に連れ戻すつもりで待っていた。しかし四三は、新たな夢の実現のため、すでに恩師の嘉納治五郎(役所広司)に相談して東京府立第二高等女学校(通称・竹早、現・都立竹早高校)への着任を決めていた。そんな夫に、いままでさんざん待たされてきたスヤはさすがに怒って、幼い息子と二人で熊本へ帰ろうとする。だが、四三は彼女をいきなり抱きしめたかと思うと、「お義母さんには俺から話すけん、おまえはそばにおってくれ」と引き止めるのだった。このとき、スヤは抱きしめられると困惑するも、夫の夢を今回も受け入れると決めると表情を和らげる。
表情だけで心情の変化をも表現する綾瀬はるかの演技が今回も見事だ。

こうして四三は1921年春、竹早に着任。そこでは、女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)を卒業したシマ(杉咲花)も教師となっていた。「シマちゃん先生」と呼ばれているのが、何だか朝ドラっぽい。

四三の担当教科は地理・歴史だったが、着任早々、そっちのけで体育の重要性について熱っぽく語る。しかし生徒たちの反応は冷ややかだった。
放課後、一緒にトレーニングをしようと呼びかけるも、1日目はついに誰もやって来なかった。翌日の授業では、欧米女性に対し日本女性の体は貧弱だと説くのにヌードイラストを使ったため、大顰蹙を買ってしまう。四三の教育に好意的だったシマからも、さすがにやりすぎだと小言を言われる始末。

それでも四三はあきらめない。放課後にはあいかわらず、一緒にトレーニングをするべく運動場で生徒を待ち続けた。そんな彼にたまりかねて、クラスのリーダー格である村田富江(黒島結菜)が「御忠告」するべく、友人の梶原(北香那)・溝口(松浦りょう)・白石(百瀬さつき)を引き連れてやって来る。
村田は、ただでさえ竹早は「シャンナイ(美人がいない)スクール」と世間では言われているのに、この上、体育をやれば肌は黒くなり、手足も太くなって、嫁のもらい手がなくなると主張する。当時の女学校では、卒業するよりも中退して結婚するのが理想であった。それゆえスポーツや体育など無用だと、村田は「勤め先を間違えたと思っておあきらめくださいまし」と伝えると、その場を立ち去る。

これには四三は一瞬落胆するも、突然何を思ったのか、村田たちを呼び止める。このままでは自分の面目が丸つぶれだと、1回だけ槍を投げてほしいというのだ。彼女たちも教師に頭を下げられては断りきれず、お互いに押しつけあった末に、まず梶原が両手で槍を投げてみせる。
続いて溝口が片手で投げてみると、梶原よりも遠くに飛び、周囲で見ていた生徒たちからも拍手が起こる。これに梶原が奮起して再挑戦。今度は彼女も片手で投げると、さっきよりも遠くへ飛ばし、「溝口さんより飛びました」と自慢げに言う。そんな彼女に、四三は「着物の袖がなかなら、もっと飛んだね」とさりげなくアドバイスした。次に投げる村田がこれを聞いて、上着を脱ぎ、髪を結んでいたリボンをたすき掛けにして袖を絞る。四三から「何か叫んでみなっせ」と言われた彼女は、思わず「くそったれ〜!」と叫ぶと、槍を放った。
はたして槍は運動場の向こう側へと飛んでいき、大歓声が上がる。校舎から見ていたシマも思わず運動場まで降りてくると、生徒たちと喜びをともにした。そんな彼女たちに、四三が語りかける。「諸君らはもうみな、美しく可憐な少女ばい」「なーんが、シャンナイスクールか。言いたかやつには言わせときゃよか」「おるに言わせればオールシャンばい」「日に焼けて、お日様ん下で体ば動かして汗ばかいたら、もっともっともっともっともっとシャンになるばい」……。

この日以来、放課後には生徒たちがさまざまなスポーツに興じるようになった。
理屈で説得するのではなく、まずは実体験を通してスポーツの楽しさを知ってもらおうとした四三の作戦勝ちであった(どこまで計算していたのかは怪しいが)。四三の下宿先である、足袋の播磨屋(四三が帰国したときには「ハリマヤ製作所」となっていた)で店主の黒坂辛作(三宅弘城)から、村田たちはシマと一緒に体操着を仕立ててもらう。腕や足をあらわにしたその格好に、生徒たちからは「お嫁に行けません」との声が上がるが、これにシマは「嫁になんか行かなきゃいい〜!」と一喝する。

シマ、小梅と清さん、そして孝蔵にも縁談が……


そんなシマも、竹早に赴任する前、増野(柄本佑)という百貨店に勤める男と見合いをしていた。だが、いまは仕事をやめるつもりはなく、オリンピックへの出場もひそかに夢見ていた彼女は、あらためて増野と二人きりになると結婚を断る。これに対し増野は、「続けてください。仕事も、走るのも。結婚のために何も犠牲にしてほしくないんです。もうそんな時代じゃない」と、シマの希望を受け入れると言ってくれたのだった。こうして二人は1921年夏、結婚する。仲人の四三夫婦とともに記念写真を撮ってくれたのは、四三がストックホルムオリンピックに出るときと同じカメラマン(演じるのは映画監督の山下敦弘)であった。

第20話ではまた、若き日の古今亭志ん生=美濃部孝蔵(森山未來)が1年ぶりに東京に戻り、浅草の飲み屋で飲んでいると、自分を東京から離れる原因をつくった遊女の小梅(橋本愛)と俥屋の清さん(峯田和伸)が一緒に店を切り盛りしているところに出くわす。何と、二人はいつのまにか結婚していたのだ。孝蔵は孝蔵で、三遊亭円菊という名前で再出発し、やがて彼にも縁談が持ち込まれる。

欧米も日本でも女子スポーツは普及し始めたばかりだった


先週の番組終わりの「いだてん紀行」では、近代オリンピック創始者のクーベルタンが、女子スポーツに否定的だったと紹介されていた。事実、1920年のアントワープオリンピックには65名の女子選手が参加したとはいえ、男子2561名にくらべるとまだ圧倒的に少なかった。女子種目もテニス・競泳・飛び込みに限られ、陸上と体操は埒外に置かれた。

しかしこのころ、ヨーロッパでは、第一次世界大戦で徴兵された男性に代わって労働力を担った女性たちが、それまで近づくことのできなかったスポーツクラブや公営の運動場にも足を踏み入れ、スポーツに親しむようになっていた。これを受けて、欧米各国で女性によるスポーツチームやクラブが生まれる。フランスではFSFSF(フランス女子スポーツクラブ連盟)が発足した。1919年に同連盟の会長となったアリス・ミリアはその年の暮れ、IOCに手紙を出して、翌年のアントワープオリンピックで女性が参加できる種目を増やしてほしいと訴えている。だが、先述のとおり会長のクーベルタンからして女子スポーツに否定的だったIOCの対応は冷たかった。それならと、ミリア率いるFSFSFは1921年に「国際女子競技大会」をモナコで開催する。大会は成功を収め、同年末にはイギリス・フランスの女性の競技会とヨーロッパ各国の代表とによりFSFI(国際女子スポーツ連盟)が設立され、ミリアが会長となった(デイビッド・ゴールドブラット『オリンピック全史』志村昌子・二木夢子訳、原書房)。

四三が大戦後のドイツでスポーツに興じる女性たちを見て、女子スポーツの普及を次なる目標に据えたのには、上記のような背景があった。女子スポーツをめぐる状況に関していえば、少なくともこの時点では欧米と日本のあいだにさほど差はなく、むしろリアルタイムで連動していたともいえる。

欧米との差といえば、アントワープオリンピックで予選敗退した内田正練(葵揚)は、第20話の劇中、それまでの日本泳法を捨て、すでに欧米の選手では一般的になっていたクロール泳法をマスターしなければならないと、故郷・浜名湾の仲間たちに訴えていた。しかし、クロールが登場したのは1912年のストックホルムオリンピックで、この時点でまだ10年も経っていない。その点では、日本選手にもまだ欧米の選手たちに追いつく余地はあり、実際に十数年後には追いつき追い越すことになる。

このように1920年代初め、体育・スポーツをめぐり、さまざまなところで将来に向けて種が巻かれ始めていた。しかしそれが花を咲かせるまでには、当然ながら苦難もともなうことになる。きょう放送の第21話では、竹早の生徒たちが一騒動を起こすようだが、さて、どうなることやら。(近藤正高)

※「いだてん」第21回「櫻の園」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:西村武五郎
※放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から。各話は総合テレビでの放送後、午後9時よりNHKオンデマンドで配信中(ただし現在、一部の回は配信停止中)