NHKの大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」先週6月16日放送の第23話は、いつにも増してつくり手や演じ手たちの力が入った回だった。主人公・金栗四三(中村勘九郎)が尽力してきた女子体育教育が一つの成果を収めた直後、関東大震災が起きる。
その流れが絶妙だった上、震災の描写にも心を動かされずにはいられなかった。これまで四三たちの体験するどんな苦難も、どこかでおかしみを込めて描いてきた「いだてん」だが、今回ばかりは、どうしても笑いにならない部分を残して物語が進んだ。そして最後の最後には、思いがけない事実まで明かされた。

この回を18時からのBSプレミアムでの先行放送で見た私は、あまりに衝撃的な展開に圧倒されて、思わずエキレビ!の編集長のアライさんに「歴史に残る回です」とメールを送ってしまったほどだ。今回のレビューではいつもより長めに、じっくりとドラマを振り返ってみたい。
神回「いだてん」四三と志ん生は関東大震災をどう生き延びたか。明らかになってきた五りんの生い立ち23話
イラスト/まつもとりえこ

竹早の立て籠もり騒ぎの結末


第23話ではまず、前回からの続き、東京第二高女(竹早)の生徒たちの立て籠もり騒ぎの結末が描かれた。村田富江(黒島結菜)、梶原(北香那)ら生徒が教室に立て籠もったのは、同校の教師だった四三が父兄のクレームにより退職に追い込まれたことに抗議し、撤回を訴えるためである。そんな彼女たちに四三は、いきなり「村田ぁ! 梶原ぁ!」と名前を叫んだかと思うと、「腹ば減っとらんかね」と訊いて、その場にいた教師たちを拍子抜けさせる。

しかしそれは四三なりの作戦だった。すでに抗議を始めてから時間も経ち、生徒たちの腹が空いたタイミングを見計らって、教室から引っ張り出そうとしたのだ。童話「北風と太陽」でいえば太陽のやり口で、いったんはうまく行きかけるのだが、そこへクレームをつけた張本人である村田の父・大作(板尾創路)ら保護者たちがやって来て、作戦は水泡に帰す。教室でも、外から足袋の播磨屋の女将・黒坂ちょう(佐藤真弓)と勝蔵(波多腰由太)の親子が生徒たちのため食糧と竹刀やバットなどの武器を調達し(四三に辞められたら播磨屋も商売あがったりというのが肩入れの理由)、立て籠もりは長期戦になりそうな気配であった。

しかし、そこへ同じく高女の教師のシマ(杉咲花)が、村田親子が競走して片を付けようと提案し、富江は自分が勝ったら、四三をクビにしないよう大作に約束させる。
結果は、これまで四三の指導のもと体を鍛えてきた富江の圧勝だった。大作は父親としての面目を保つべく、8度もレースをやり直させたが、負けっぱなしで、ついにはその場にへたり込む。もちろん、約束どおり四三の退職は撤回された。

これが1922(大正11)年11月のこと。このあと、騒ぎの?末をシマから聞かされ、四三の恩師の嘉納治五郎(役所広司)も大笑いする。嘉納から神宮外苑の競技場がまもなく完成しようとしていることを、四三とシマが聞いたのもこのときだ。嘉納はここまで5年間、スタジアム建設に力を注いできた。

同じころ、若き日の志ん生=美濃部孝蔵(森山未來)は、結婚まもないおりん(夏帆)と早くも離婚の危機を迎えていた。家賃を貯め込み、それまで住んでいた長屋から夜逃げして、田端動坂の一軒家に転居した夫婦だが、孝蔵はあいかわらず毎日飲んだくれてカネを家に一銭も入れない。おりんはついに愛想を尽かし、仲人の小梅(橋本愛)からも離婚を勧められる。小梅は、落語の「厩火事」よろしく、孝蔵がおりんを大事に思っているのか確認するため、彼の大事にしている瀬戸物をわざと割って、おりんと瀬戸物のどっちを心配するか試してみればいいと教えた。

大正12年9月1日午前11時58分、東京に激震が走る


そうしたなかで、1923年9月1日がやって来る。学校では2学期の始まるその日、四三は始業式が終わったあと、嘉納の案内で竣工間近のスタジアムをシマと見学するつもりだった。
だが、シマはすでに村田たちと浅草オペラを見に行く約束をしていた。浅草オペラとは、文字どおり浅草を中心に当時流行していたオペラ(歌劇)である。それは本格的な歌劇というよりは通俗的なものではあったが、1920年代に一番の人気を誇った根岸歌劇団は『カルメン』の本格的上演も行ない、拠点とした劇場の名から「金竜館時代」と呼ばれる浅草オペラの黄金期を築いていた。

シマはそんな浅草オペラを楽しみに、幼い娘のりくを播磨屋に預けると、浅草へ早めに向かった。一方、四三は、5万5千人を収容できるというスタジアムを見せられ、「とつけむにゃあ」と驚く言葉も出なかった。

この日、孝蔵は家で暇を持て余していた。噺家にとって毎月2日が月給日なので、1日はとにかく銭がないからだ。その日は雨が降ったかと思えば風が吹きつけ、志ん生いわく、まるで「お天道様が風と雨とで運動会やってるような天候であった。浅草でも、シマが十二階下で村田たちを待つうちに雨がしだいに強まる。その近くで飲み屋を営む清さん(峯田和伸)は、妻の小梅から「こんな日に来る客なんていやしないよ」と言われながらも店を開けようとしていた。

再び場面は神宮外苑に切り替わる。こちらは浅草とは打って変わって青天だった。
嘉納は四三にスタジアムを案内しながら、自分は150歳まで生きて柔道を世界の隅々まで伝えるのだと熱っぽく語っていた。「そのころには火星と往き来できるようになってるかもしれん」「火星人にも柔道をたたきこまなければならん」と相変わらず現実離れした嘉納の壮大な話に、四三がいささかあきれているところで、カメラは上空へとパンし、競技場の全景を映し出す。ここで運命の時刻、午前11時58分を迎える。

そのとき、孝蔵はおりんに「酒はないか」と訊くも、「ございません」とあしらわれ、頭が来たので出かけようとしていた。彼が草履に片足を引っかけた瞬間、地面がグラグラと揺れ出す。同時刻、神宮外苑も大塚の播磨屋も、そして浅草も、東京中の大地が大きく揺らいだ。シマは地面を這いながら逃げるが、後ろで建物がきしむ音がしたので、思わず振り返る。その瞬間、十二階から煉瓦が落下した。

田端の家では、おりんが七輪の火を湯飲みの水で消そうとしていたかと思うと、その湯飲みを割ってしまう。孝蔵はそんな彼女を守ろうとしたのか、部屋のなかに押し込んだ。だが、次の瞬間、彼はふと「こりゃもたもたしてると、東京中の酒が地面に吸われちまうぞ」と思うと、おりんの財布をひったくって表へ飛び出す。そして酒屋に駆け込むと、店頭に転がっていた四斗樽からグイグイ酒をあおるのだった。
志ん生ファンには有名なエピソードだ。

このあと孝蔵は、余震が続くなか、地面が揺れているのか酔った自分が揺れているのかわからない状態で家に戻る。そんな夫におりんは「酒と女房のどっちが大事なんだい!?」と、先に小梅から教えられたとおりに問いただす。孝蔵の答えは「女房に決まってるじゃねえかよ」。これを聞いておりんが「そりゃ本心かい」と再び訊けば、「当たりめえだろ。おめえ、女房にケガでもされてみろ。明日から遊びほうけてお酒が飲めない」と、「厩火事」のサゲそのままの言葉が返ってきた。おりんはすっかりあきれ返りながら、「あたしゃ、身重なんだよ!」と、唐突に妊娠したことを打ち明け、孝蔵を驚かせる。

なお、震災時の志ん生の行動については、このとき、おりん夫人がお腹に宿していた長女の美津子(ドラマでは小泉今日子が演じる)が著書のなかで、《「東京じゅうの酒がなくなるんじゃないか心配になって」と言われてますけど、あたしが思うに、もう怖くて怖くて飲まずにいられなかったんじゃないでしょうか》と書いている(美濃部美津子『志ん生一家、おしまいの噺』河出文庫)。

シマ、行方不明になる


さて、四三は夕方近くになって下宿先の播磨屋に戻ると、播磨屋一家とりくの無事を確認する。しかしシマがまだ帰っていないと聞くや、再び表に飛び出す。そのころには浅草をはじめあちこちで火の手があがっていた。それは孝蔵の得意とした落語「富久」に出てくる火事どころの騒ぎではなく、浅草から日本橋、芝のほうまで火災が広がる。


孝蔵は高台で、下町方面が真っ赤に燃え上がる様子を見ながら、滔々と語る。とくに多くの犠牲者が出たのは吉原だった。ある者が火を避けて弁天池に飛び込んだかと思うと、人々は助かりたい一心で我も我もとそれに続き、下にいた者は溺れ、上にいた者は焼け死んだ。「あたしのなじみもいたんですかねえ」と孝蔵がつぶやくと、周囲の風景に小梅と清さんの顔がプロジェクションで投影され、ドキッとさせる。

四三は夜になってもシマを探し続けていたが、自警団に捕まり、言葉の訛りのせいで「日本人じゃないな」と疑われてしまう。そこへ大作が現れ、身分を証明してくれたおかげで何とか解放される。震災のなか、大きな余震が来るだの、井戸に毒が撒かれたといった根拠のないデマが飛び交っていた。劇中では言及はなかったが、そうしたデマに惑わされた自警団や官憲によって、多くの朝鮮人や中国人が殺害されている。

開業医である大作は富江とともに、自宅の医院が全壊しながらも、被災者の救護にあたっていた。四三はそこで富江から、シマとは正午に十二階で待ち合わせる予定だったと聞かされ、ハッとなってその方角に目をやると、そこには8階から上が崩壊した十二階の姿があった……。

浅草は2日間ですっかり焼き尽くされ、瓦礫の山となった。そこへ四三とシマの夫・増野(柄本佑)がりくを背負って、あらためてシマの捜索に出かける。
四三はシマの名を叫び続けるが、増野が突然、「諦めるしかないんでしょうか。どこかで諦めなくちゃいけないんだろうな。本当は、もう少し、諦めかけているし」と泣き崩れた。「あきらめたらいかん」と四三は励ますが、増野は、震災の起こる日の朝、結婚して初めてシマに文句を言ったこと(ご飯が堅いという本当に他愛のない文句だったが)を後悔し、自分を責め続ける。

そこへ人力車を引いた男が現れた。清さんだ! 四三と再会して抱き合った清さんは「店も家も焼けちまったけどよ、死なずにすんだよ」と無事を伝える。そして、そばですっかり落ち込んでいた増野に「悪いな。喜びは喜びでおもいきり声に出さねえと。明るいニュースが少ねえからよ」と声をかけると、一緒にシマを探してくれたのだった。

そのころ、孝蔵は薄暗い家のなかでおりんにまたしても酒を所望する。「こんなときに飲まなくたって」と言われつつ、「こんなときだから飲むんだよ」と言い返し、お椀(湯飲みはみんな割れてしまっていた)に酒を注いでもらう。よく見ると、おりんは自分の着物を羽織っていた。孝蔵がそれに気づいて「何で俺の着てるんだよ」と訊けば、「だって寒いんだもん」と、これまた「厩火事」のセリフで返される。しばらく無言になったあと、孝蔵が笑い出すと、おりんの顔も思わずほころんだ。

それから40年近く経って、寄席から帰宅した志ん生に、高座で震災のことを語ったと聞いたりん(池波志乃)は、お父ちゃんは地震を怖がって逃げ出したのだと軽口をたたく(先述の美津子の証言を反映したようなセリフだ)。このとき、ふと美津子が、志ん生の弟子の五りん(神木隆之介)に「あんたんところは大丈夫だったのかい」と訊ねると、祖母が被災したとの返事。五りんは母の形見として持ち歩いているという一枚の写真を、志ん生たちに見せる。祖父母が結婚したとき記念に撮ったその写真には、まぎれもなく、シマと増野が仲人の四三夫妻とともに写っていた……何と、五りんはシマの孫だったのか! これまで彼が高座でシマのことを語るたびに感情が入ってしまうのが不思議だったのだが、その謎がついに解けた。シマが祖母とすれば、五りんの母親は、震災時まだ幼かったりくということか? 五りんの生い立ちもあきらかになりかけたところで、「いだてん」はいよいよ前半のクライマックスを迎えようとしている。

志ん生はなぜ震災の噺を笑いに引っ張れなかったのか?


「いだてん」では、自ら物語の一登場人物として実況中継のように語る孝蔵(森山未來)と、寄席で過去を「オリムピック噺」として語る志ん生(ビートたけし)と、青年期と老年期の志ん生が分担しながら語りを務めている。それが第23回では両者の語りが一瞬重なった。それは「浅草の街がたった2日で……消えた」というセリフだ。あとで老志ん生が寄席から帰宅して、「しかし力入っちゃうな、あの地震の噺ってのは。40年も経ってんのに、どうしてもね、笑いに引っ張れねえんだよなあ」とぼやいていたように、彼のなかでは震災に対する感情はずっとシリアスなまま変わらなかったのだろう。

ただし、関東大震災では、志ん生は自分に近しい人を失うことはほとんどなかったはずである。おりんも無事だったし、親友の清さんも浅草にいながら助かった(清さんの態度からすると、おそらく妻の小梅も無事のはずだ)。それにもかかわらず、志ん生はなぜ震災に特別な感情を抱くのか? それは、浅草という場所を震災で失ったことが、志ん生のなかでは何より大きな意味を持ったからではないだろうか。

志ん生にとって浅草は、あぶれ者だった自分を受け入れ、生きる糧となる落語と出会わせてくれた場所だ。もちろん浅草は、震災後の復興によりにぎわいを取り戻すのだが、再建した浅草は、自分を育んだ猥雑さを欠いたものに志ん生の目には映ったのではないだろうか。その意味で、震災でかつての浅草の街が消えたことは、彼にとって故郷を失ったのに等しい喪失感があったに違いない。

果たしてシマは死んだのか?


増野たちがシマを探すにあたり、貼り回っていた尋ね人の紙では、彼女の年齢が25歳であることがわかった。当時の日本では、生まれたときを1歳として、正月ごとに歳をとる数え年が使われていたから、逆算すると1899(明治32)年生まれということになる(同い年の著名人には作家の川端康成や、1964年の東京オリンピック開催時の首相・池田勇人などがいる)。とすれば、「いだてん」が始まった当初、三島家に女中として仕えていたころ(1911年)のシマは数えで13歳、満年齢では11〜12歳だったことになる。おそらく尋常小学校を卒業するかしないかで、奉公に出されたのだろう。

そこで思い出されるのが、現在BSで再放送中の往年の朝ドラ「おしん」(1983年)である。主人公のおしんは1901年生まれというからシマとは同世代、幼くして丁稚奉公に出されたあと、髪結いを習得して自らの腕一本で人生を切り拓いていくという経歴もどこか重なり合う。再放送では現在、「いだてん」と同じく大正時代を舞台に、米騒動や労働争議など、同時代のまた別の側面を描いている。「おしん」再放送でもまもなくおしんが関東大震災に遭遇することになるが、「いだてん」と比較してみるのも一興かもしれない。

シマは当初はさほど出番も多くなかったので、そもそも増野と結婚する前の姓は何だったのかなど、生い立ちを含めまだ謎の部分が結構ある。第23話では、五りんの祖母であることがほぼ確定されたものの、彼はシマが震災で「死んだ」とは言わず、あくまで「被災した」と表現していたのも気になった。行方不明のまま見つからなかったということなのだろうが、ひょっとすると、シマは記憶喪失になってどこかで生きている可能性もあるのではないか……(朝ドラ的な展開だが)。物語が進むうち、どんどん魅力的になっていったシマだけに、ついそんな淡い期待も抱いてしまう。(近藤正高)

※「いだてん」第23回「大地」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:井上剛
※放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から。各話は総合テレビでの放送後、午後9時よりNHKオンデマンドで配信中(ただし現在、一部の回は配信停止中)
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