ピンチが生んだ「実感放送」
7月30日、選手たちが開会式に出発しようとしていたところ、大横田勉(林遣都)がトイレからなかなか出てこない。大横田は活躍の期待された若手選手の一人だが、どうも腹の調子がよくないらしい。水泳はこのあと大会8日目の8月6日から始まった。100メートル自由形では、宮崎康二(西山潤)が1位、河石達吾が2位となる。ゴールした宮崎を、ノンプレイングコーチの高石勝男(斎藤工)が涙ながらに抱きしめた。
このロサンゼルスオリンピックでは、日本放送協会から河西三省(トータス松本)や松内則三(ノゾエ征爾)らアナウンサーが派遣され、日本に向けてラジオで実況放送を行なう予定だった。しかし、開催直前になってアメリカの大会組織委員会から待ったが入る。ラジオで実況すれば、競技会場から客足が遠のくというのがその理由だった。日本に放送する分には問題ないはずだが、特例は認められないという。しかたがないので、アナウンサーたちは、競技が終わってからその日の結果だけ伝えるつもりでいた。そこへ田畑が、それでは写真も載せる新聞に勝てないと新聞記者らしい疑問を呈す(日本の新聞各社は競技の写真をどこよりも早く載せるべく、船と飛行機でリレーして日本まで送り届ける体制をつくっていた)。ここから、競技をアナウンサーたちが観戦して記憶したうえ、スタジオに戻って、あたかも実況しているかのように競技の様子を再現して伝える「実感放送」というアイデアが生まれた。
このロサンゼルスオリンピックでは、先述の宮崎康二に始まり日本水泳陣が続々と金メダルを獲得した。いちばん優勝から縁遠いと懸念された100メートル背泳ぎでも、清川正二が1位、入江稔夫が2位、河津憲太郎が3位と日本勢が表彰台を独占する快挙を果たす。しかし「いだてん」ではそうした歴史的快挙はスルーされ、むしろ敗者にこそスポットを当てる。そこでフィーチャーされたのは、前回は現地での選手最終選考で敗れた高石勝男であり、そして今回は大横田勉であった。
お腹を壊す選手が続出! 全種目制覇に赤信号
宮崎と河石がワンツーフィニッシュを決めたその日の夜、田畑は上機嫌で、今後の競技に出る選手たちにも牛鍋を大盤振る舞いする。だが、このあと、800メートルリレーのアンカーを誰にするか話し合っていた松澤監督と野田一雄コーチ(三浦貴大)の部屋に大横田が現れて腹痛を訴える。ほかの選手たちに聞けば、大横田は数日前から腹の調子が悪かったが、監督たちに言えばメンバーから外されると思って伝えなかったという。結局、このときは松澤の指示で薬を飲み、どうにか持ち直した(いまのオリンピックならドーピング検査で引っかかる恐れがあるので、薬を飲ませるにももう少し慎重になるはずだが)。しかしそれと入れ違いで、今度は女子競泳の前畑秀子(上白石萌歌)が腹痛を訴え、大騒ぎとなる。前畑は、願掛けにお守りを水と一緒に飲んだという。
大横田はその後、出場予定だった800メートルリレー当日になって胃腸カタルと診断され、ドクターストップがかかる。
田畑も選手たちに同調するも、松澤は「いや、勝っちゃん(高石)では勝てん。横山(隆志)で行きます」ときっぱりと告げた。あきらめきれない田畑は「勝っちゃんが試合に出ることでチームが活気づけば、奇跡が起こるかもしれん! たとえ負けても……」と言いかけて、ハッとなる。そもそも高石を外したのは、全種目を制覇するという田畑の意向によるものだ。松澤はそれを実現するべく、けっして情にほだされず、より勝つことが確実な横山をメンバーに選んだのだった。それが奏功して800メートルリレーでも日本勢は金メダルを獲得する。
大横田はリレーを欠場したあと、8月10日の400メートル自由形に満を持して出場する。しかしいつもの伸びが見られず、すっかり出遅れる。
実感放送のスタジオで、水をかく真似をしたり、レースの模様を“再演”し終えた大横田は、最後に河西から日本の人たちへのコメントを求められ、「……すいません、試合に出られない者もあるなかで自分は恵まれていました。それなのに、肝心なときに……期待に応えられず……」と涙ながらに話すうちに言葉を詰まらせる。それを高石が見かねて「もういい大横田、もうしゃべるな」と彼を抱きしめるのだった。
考えてみれば、負けたばかりの選手に、その試合の様子を再現させるというのは酷な話である。ドラマでは、試合の様子と、実感放送の光景を重ね合わせることで、大横田の敗北をよりドラマチックに描いたといえる。
孝蔵、どん底から落語家に復帰する
東京では、ロサンゼルスオリンピックが始まると、銀座のバー・ローズのママのマリー(薬師丸ひろ子)がロサンゼルスでの日本水泳陣の成績を占っていた。全種目制覇はならないというのは当たったが、大横田が優勝するという占いは外す。田畑はそれを上司の緒方竹虎(リリー・フランキー)からの電報で知って、「占いババアめ!」と叫ぶ。そのころ東京の朝日新聞社では、酒井菊枝(麻生久美子)が出発前の田畑より託された予定稿の見出しを、大横田の名の下にあった金の文字を銅に書き替えていた。
第30話では、若き日の古今亭志ん生=美濃部孝蔵(森山未來)が、師匠の柳家三語楼に破門されて以来、あいかわらずどん底の生活を送っている様子も描かれた。
腹痛の原因となる虫が出てくるこの落語と、大横田、前畑と選手たちがあいついで腹痛を訴えるのと重ね合わせる宮藤官九郎の手さばきはあいかわらず見事であった。孝蔵も、万朝が落語家として“化けた”ことに触発され、ようやくやる気を出す。万朝にカネを借りて質から羽織を出すと、やはり万朝の仲介で師匠に破門を解いてもらい、「柳家甚語楼」の名で落語家として再スタートする。
一方、ロサンゼルスオリンピックでは、前畑秀子も女子200メートル平泳ぎの決勝に進んだ。会場には、日本選手行きつけの日本料理店で働く日系人の女性・ナオミ(織田梨沙)の姿もあった。彼女は、水泳の男子選手たちの活躍に、ロサンゼルスの日系人がまた白人にいじめられると悪態をついていたが、田畑からチケットをもらって観戦にやって来たのだ。はたして前畑は結果を残せるのか。きょう放送の第31話へと続く。
実感放送が生まれた複雑な事情
ロサンゼルスオリンピックで実感放送が行なわれたのには、実際にはドラマで描かれたよりももう少しややこしい事情があったようである。そもそもの発端は、アメリカの放送会社のNBCに対し、オリンピック大会組織委員会が多額の放送権料を請求したことだった。組織委員会側がそうしたのは、ドラマでも説明されていたのとほぼ同じく、競技の実況放送を行なえば入場券の売れ行きに響くのではないかと懸念したためである。これにNBCは、「有意義な放送はまったく無条件に許可すべきで、巨額の権利金は将来に悪例を残す」と主張した。結局、話し合いはまとまらず、実況放送はできなくなり、日本もそのとばっちりを受ける。ただし、NBCは、日本側に、実況はできない代わりに本国へ競技の結果などを伝えるために使うという前提で、毎日1時間、ロサンゼルスのスタジオを確保してくれた。ここから実感放送が生まれたのである(以上、NHK放送文化研究所の小林利行による論文「放送史への新たなアプローチ3 『実感放送』 伝説の背景〜日本初のオリンピック“実況”を再検証する〜」を参照)。
時代は下って、オリンピックは放送衛星を通じて世界中にテレビ中継されるようになった。これにともないテレビ放送権料はうなぎ登りに上がっていく。1984年に再びロサンゼルスで開催されたオリンピックでは、大会組織委員会が各国の放送会社に対して視聴率に見合うだけのテレビ放映権料を獲得する。これが税金を使わない「民営大会」を実現するうえで大きな収入源となった。いまやNBCを含む全米テレビネットワークは、巨額の放映権料によって毎回オリンピックの開催を支え、強い発言権を持つ。夏季オリンピックが7月〜8月に実施されるのが恒例となったのも、アメリカでほかのスポーツイベントと重ならないのがこの時期ぐらいしかないという事情による。
選手たちの大敵は「食べすぎ」だった
「いだてん」で描かれたように、大横田が体調不良から金メダルを逃したのは史実である。その原因が、食べすぎで胃腸を壊したというのも、一応、事実から発想したのだろう。ロサンゼルスオリンピックに出場した選手たちは、選手村では食べ物がふんだんに用意されていたことを口々に語っている。オレンジやメロンは食べ放題だった。優勝した800メートルリレーのメンバーのひとり遊佐正憲は、いっぺんに25個もオレンジを食べて肝心の食事がとれなかったことが2度ほどあったという。また、宮崎康二も食べすぎで、帰国の船のなかで黄疸になってしまい、横浜港での大歓迎も病床にあって受けられなかったと後年明かしている(文藝春秋編・発行『「文藝春秋」にみるスポーツ昭和史 第1巻』)。
ただし、第30話に出てきたエピソードのうち、前畑秀子がお守りを飲んだというのは、実際にはロサンゼルスではなく、その4年後のベルリンオリンピックのときの話である。このとき、決勝の行なわれるプールへ向かう前に前畑は、たくさんのお守り(日本を発つ際に方々からもらったもの)を入れた風呂敷包みを開くと、不意にそのお守りを持って洗面所に行き、丸めて水と一緒に飲んでしまったという。これから始まる決勝までに何年間も死にもの狂いで練習をしてきた彼女は、それでもだめならもう神様にお願いするよりしかたがないと思って、そんな行動をとったのだろうと、後年自伝に書いている(兵藤秀子『前畑ガンバレ』金の星社)。なお、ドラマでは、前畑が大先輩の鶴田義行に片想いしていると思しき描写があった。前畑の自伝には、ロサンゼルスオリンピックを前にスランプに陥ったとき、鶴田が心配して彼女の泳ぎを見てくれたとの記述があるが、はたして特別な感情を抱いていたのかどうか。
片想いといえば、第30話では、選手村でまだ若い小池礼三(前田旺志郎)が、女子選手を思って悶々とするさまが描かれていた。事実、小池は後年、《陽光さんさんと輝くロスで、女の子をみると、もう中学五年の私には刺激が強すぎました》と証言している(『「文藝春秋」にみるスポーツ昭和史 第1巻』)。中学5年は現在の高校2年生に相当するから、まあそうなってもしかたなかっただろう。
東京、1940年オリンピック招致争いで出遅れる
さて、第30話では、嘉納治五郎(役所広司)がオリンピックと併せてロサンゼルスで開かれたIOC総会に出席し、1940年のオリンピックを東京で開催するよう提案した。しかし、すでに同年のオリンピック開催地には9都市が立候補していることを知り、愕然とする。とりわけイタリアのローマは、時の首相ムッソリーニが積極的に誘致活動を進め、有力候補と目されていた。
劇中では、次の1936年の第11回オリンピック・ベルリン大会は、ドイツで政権の座を狙っていたヒトラーがオリンピック嫌いのため返上されるかもしれないと、嘉納が示唆していた。そうなった場合、もっとも準備が進んでいるローマが繰り上がり、続く1940年のオリンピックはほかの候補地で開かれることになるかもしれない。そう嘉納から聞いた田畑は「ってことは、(ヒトラーの)ナチスが政権をとれば、40年のオリンピックが東京に転がり込んでくる可能性が出てくる」と喜んだ。が、嘉納は、ユダヤ人を公然と差別するヒトラーのようなやつのお下がりなど絶対にいらん! と、ここでも政治がスポーツに介入することに異を唱える。
ちなみに、このとき嘉納に同行した体協会長の岸清一は、ロサンゼルスから帰国後、昭和天皇に「第十回国際オリムピック大会に就て」という演題で進講している。その際、1940年の東京オリンピック開催の可能性について、劇中で嘉納が説明したのとほぼ同じことを天皇に話していた。岸は、IOC会長のラトゥールとムッソリーニは、ヒトラーがオリンピックを返上した場合にはローマで代わりに開催するとひそかに約束しており、もしそうなれば「案外楽々と」1940年のオリンピックが東京に転げ込むかもしれないとしながらも、ラトゥールとムッソリーニが約束を交わしている以上、ローマを破って東京で1940年のオリンピックを持って来ることは、ドイツで政変(ナチスが政権を取ること)がないかぎりは「非常に困難なりと存じます」と述べた(橋本一夫『幻の東京オリンピック』NHKブックス)。
ドラマの今後の展開を先回りして書いておくと、1940年の東京オリンピックは開催が決まりながらも、結局、日中戦争の激化から返上されている。総合テレビでは今夜、「いだてん」のあと9時からのNHKスペシャルで「戦争と“幻のオリンピック” アスリート 知られざる闘い」と題し、幻に終わったこの東京オリンピックに出場するはずだった選手たちのその後を追跡するという。同番組では、「いだてん」にも出てくる松澤一鶴の果たしたある役割にもスポットが当てられるようだ。ドラマとあわせてこちらも見逃せない。(近藤正高)
※「いだてん」第30回「黄金狂時代」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:津田温子
※放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から。各話は総合テレビでの放送後、午後9時よりNHKオンデマンドで配信中(ただし現在、一部の回は配信停止中)