先週8月18日放送の「いだてん〜東京オリムピック噺〜」第32話終わりの「いだてん紀行」を見て、多くの人が「うわ、似てる!」と思ったのではないだろうか。何が似ているのかといえば、劇中に登場する大日本体育協会会長(2代目)の岸清一と、それを演じる岩松了である。
ドラマの公式ガイドブックでは、岩松が、今回の出演が決まったあとで脚本の宮藤官九郎から岸と顔が似ていると言われ、《僕が演じるのはおこがましい気がしていたので、顔だけでも似ていてよかったです》とコメントしていた。

その岸清一は、第32話の劇中、1932年のロサンゼルスオリンピックから帰国後、昭和天皇にオリンピックの成果を進講したのち、1940年の東京オリンピック招致に向けて体協も動き出すなか、急逝してしまった。
「いだてん」岸清一と岩松了があまりに似ていて驚愕、まーちゃん「誰のためのオリンピックか?」32話
イラスト/まつもとりえこ

昭和天皇への進講という栄誉に感激する岸


思えば、今回の岸はいつにも増して感情の起伏が激しかった。冒頭、オリンピック選手の祝賀会で、東京市長の永田秀次郎(イッセー尾形)が、女子200メートル平泳ぎの銀メダリスト・前畑秀子(上白石萌歌)に対し、「なぜ金メダルを取ってこなかったんだね」と言い放ったことに猛抗議し、しまいには「伸びたうどんみたいな顔をして」「さっさと引退して縁側で俳句でも詠んでいたらどうだ」と口を滑らせ、そばにいた田畑政治(阿部サダヲ)に止められるほどだった。ちなみに「俳句でも詠んでいたら……」というのは、永田が俳人(号は「青嵐」)でもあったことによる。

昭和天皇への進講を終え、会長を務める大日本体育協会(体協)の事務局に戻ったときには、「少し余韻に浸らせてくれ」「生きて陛下の御尊顔を拝し奉ったうえに、オリンピックに進講する日が来ようとは」としみじみ語ったかと思えば、鏡を見て急に「こっちのまぶただけ二重になってるじゃないか!」と言い出す。

岸はまた、進講のなかで東京のオリンピック招致についても言及していた。1940年の第12回オリンピックの開催地はローマが有力候補として見られていたものの、4年後の1936年の第11回ベルリン大会は、開催国のドイツでヒトラーが政権を取れば開催を返上する可能性があり、もしそうなればローマが第11回大会に繰り上がり、案外楽々と東京に第12回大会が転がり込むかもしれない……岸はそう説明したのだが、実際にはそんなにうまくはいかなかった。1933年に政権に就いたヒトラーは、宣伝相のゲッベルスの指示に従い、ベルリン大会の開催を決めたからだ。ローマとの一騎打ちでは勝ち目がないうえ、日本はこのころ国際連盟を脱退して国際的に孤立を深めていた。さらに東京オリンピックの言いだしっぺである永田市長が部下の汚職の責任をとって辞任してしまう。

東京オリンピック招致で嘉納が奇策を打ち出す


東京オリンピック招致活動には、岸清一や嘉納治五郎(役所広司)、陸連の山本忠興(田中美央)のほか、新たに外交官の杉村陽太郎(加藤雅也)、元貴族議員で公爵の副島道正(塚本晋也)が加わった。杉村は嘉納塾出身で柔道を得意とし(初対面の田畑を背負い投げした)、国際連盟事務次長を務めていたが日本の連盟脱退により失職していた。体協の理事に誘われながら決めかねていた田畑も、嘉納によって半ば強引に招致委員会のメンバーにさせられてしまう。
このあと、永田に替わって牛塚虎太郎(きたろう)が東京市長となった。

杉村は1933年のウィーンでのIOC総会で、嘉納と岸に次ぎ日本から3人目のIOC委員となる。そのころ、岸はぜんそくで入院し、田畑と野口源三郎(永山絢斗)が見舞う。そこへ帰国した杉村が現れ、1940年のオリンピックの開催候補は、ローマ、ヘルシンキ、東京の3都市にほぼ絞られ、2年後のIOC総会で投票が行われることになったと伝えた。岸は、さらなる感動のためにも病になど臥せっていられないとやる気を示すが、それからまもなくして10月29日に急逝する。岸の後任のIOC委員には副島が就いた。

岸の訃報をウィーンから戻る船上で知った嘉納は、どうにか納骨に間に合った。遺影を前に「男泣きは君の専売特許だったもんね」と語りかける嘉納。「岸君、君がその目で見たかった光景を、われわれは必ずこの東京で実現する」と嘉納が誓うと、田畑もそのために邁進すると約束する。

だが、嘉納はいつになく悲観的な態度を見せる。ローマはすでに立派な競技場も建設するなど準備を着実に進めており、各国のIOC委員も圧倒的にローマ支持が多かったからだ。招致委員会の会議では、田畑はほかの委員の意見を繰り返して言うばかりで自分の意見を言わないので、副島や杉村に怒られる。
だが、彼はそれを待っていたかのように熱弁を振るい出した。
「誰のためのオリンピックかって話じゃんね〜」
「誰のためのどういうオリンピックなら日本はできるのか。選手のため? 国民のため? 軍のため? それによって自然石か大理石かコンクリートか、自信持って決めませんか?」
「もちろん紀元2600年は大事、日本人にとってはね。でもそれだけではローマに勝てません。遠方から来る外国人選手にとっては、飯は口に合うのか、練習は十分にできるのか、便所は和式か洋式か、そっちのほうが大事でしょう」
「何期待してんの、オリンピックに? ただのお祭りですよ。走って泳いで、騒いで、それでおしまい。平和だよねえ。政治がどうの、軍がどうの、国がどうの……違う違う違う。簡単に考えましょうよ。ローマには勝てない。じゃあどうします、『戦わずして勝つ』の嘉納さん?」
田畑にそう振られ、嘉納はウルトラCともいうべき奇策を提案する。イタリア首相のムッソリーニに直談判して、オリンピックを譲ってもらおうというのだ。
「直接会って『譲ってください』って言えば、案外簡単に譲ってくれるかもしれん」。だが、独裁者として知られるムッソリーニ相手にそんなことができるのか、ほかの委員は難色を示すが、杉村はちょうどイタリア大使に就任したばかりとあって乗り気になる。かくして“オリンピックをローマに譲ってもらおう作戦”(と勝手に名づけてみた)が開始される。

招致活動にあたって嘉納は、欧米では日本のことが何も知られていないと、PR用の資料として写真集をつくるよう田畑に命じた。田畑は仲間たちと集まって話し合いながら編集を進め、日本の伝統や文化についてまとめた分厚い写真集を完成させる。題して『日本』。嘉納はこれに「題名が気に入った。『JAPAN』じゃなくて『日本』としたところに気概を感じるよ」と満足する(このセリフは、ストックホルムオリンピックの開会式でプラカードの国名の表記について、金栗四三が「JAPAN」ではなく「日本」を主張し、嘉納が「NIPPON」と決めたエピソードを思い出させた)。だが、嘉納が写真集を持って立ち上がろうとしたところ、その身体に異変が起こる。はたして岸を喪い、嘉納が倒れるなか、オリンピック招致はどんな進展を見せるのか。ムッソリーニは会ってくれるのか。きょう放送の第33話へと続く。


田畑の結婚で、マリーの占いがまたしても外れる


第32話では、オリンピック招致の話が進むなかで、田畑が結婚する。相手は新聞社の同僚・酒井菊枝(麻生久美子)だ。

田畑は以前、結婚相手を世話してほしいと上司の緒方竹虎(リリー・フランキー)に頼んでおきながら、緒方が話をまとめてきたときにはすでに頭のなかはオリンピックでいっぱいで見合い写真さえ見なかった。ロサンゼルスから帰ってもしばらく興奮が収まらない彼は、毎夜仕事終わりに社に残って回顧録の執筆に励む。そんな田畑に、同じく残業していた菊枝が「一人で食べるのも気が引けるので」と夜食を分けてくれた。一緒に食べているときも、田畑は菊枝が無口なのをいいことにオリンピックの話をしゃべりまくる。そんな日が続くうち、彼は菊枝に惹かれていく。日本橋のバー「ローズ」で菊枝についてうれしそうに話す田畑に、ママのマリー(薬師丸ひろ子)は「やっと夢中になれるものを見つけたのね」と言い、「田畑さん、お見合いするんじゃなかった?」と思い出すと、またしても勝手に占いを始める。はたして、田畑が夢中になっている人と、見合いの相手と、どちらに脈があるのか? マリーの出した答えは「残念、どちらとも結ばれないわ」であった。

翌朝、田畑はあらためて緒方に見合いを断るのだが、緒方に促されて、それまで見ていなかった見合い写真を見て驚愕する。そこにはほかならぬ菊枝が写っていたからだ。これまで占うたびにことごとく外してきたマリーだが、今回の占いも外れ、「どちらとも結ばれる」結果となった。田畑と菊枝は1933年4月、水連の松澤一鶴(皆川猿時)や新聞記者から政界に転身した河野一郎(桐谷健太)など大勢の人たちに祝福されながら結婚式を挙げる。
その余興で落語家を呼んだところ、「古今亭志ん馬」という落語家が出てきた。誰かと思えば、田畑が少年時代に勝鬨亭で出会い、カネをすり盗られたこともある美濃部孝蔵(森山未來)ではないか。孝蔵はこのころ、結婚式などの余興のほか、ラジオにも呼ばれるようになり、落語でどうにか食えるようになっていた。

仲野太賀演じる青年はどんな活躍を見せる


杉村陽太郎、副島道正と新たな人物が登場した第32話だったが、熊本の金栗四三(中村勘九郎)のもとにも未知の人物が現れた。それは小松勝(仲野大賀)という青年で、四三の著書『マラソン』に感銘を受けて訪ねてきたのだ。四三はあいさつもそこそこに小松の足を触ると、サイズを訊く。それは小松のための足袋を選んでやるためだった。そして当の四三は九州一周のマラソンに出発するという。それを前に小松も言われるがままに冷水を浴びせられる。そういえば、志ん生(ビートたけし)の弟子の五りん(神木隆之介)も、「死んだ親父の言いつけなんで」と病み上がりでも朝の冷水浴を欠かさなかったが、小松と五りんの父は何か関係があるのか?

ところで、小松を演じる仲野太賀(今年6月に太賀から改名)は、ちょうど放送時、岩松了の作・演出の舞台「二度目の夏」に出演中だった(きょう9月1日の神奈川公演が千秋楽)。宮藤官九郎の脚本によるドラマ「ゆとりですがなにか」では、“ゆとりモンスター”とも呼ばれる問題児を好演した仲野だが、「二度目の夏」では理知的かつ繊細な青年を演じていて、その演技の振り幅に感服した。はたして今回の小松はどう演じられるのか、楽しみだ。

「いだてん」第32話キーワード事典


以下、第32話に出てきた事柄について、事典風に説明を補足しておきたい。


前畑秀子……第32話の冒頭に出てきた、前畑が祝賀会で永田秀次郎からベルリンオリンピックでは優勝してほしいと熱望されたというエピソードは実話にもとづく。永田はこのときうっすらと涙を浮かべていたという。ドラマでは、永田とのやりとりのあと、前畑は夢のなかに出てきた亡き両親(演じていたのは康すおんと中島唱子)から激励されて次のベルリンに向けて練習を始める。いかにもフィクションっぽいが、これも前畑の自伝での記述にもとづいている。自伝『前畑ガンバレ』(金の星社)によれば、ロサンゼルスオリンピックのあと、次をめざすか迷っていたころ、母親が夢に出てきて「いったんやりはじめたことは、どんなに苦しいことがあっても、最後までやりとげなさい」と励まされたという。前畑は母と父にあいついで先立たれ、一時は水泳をやめることも考えたが、親戚や恩師である椙山正弌(椙山女学校校長)の勧めもあって、ロサンゼルス、ベルリンと連続してオリンピックに出場することができた。

紀元2600年……番組中でいまのところちゃんとした説明がないのが気になるが、ここでいう紀元とは、『日本書紀』の記述から神武天皇が初代天皇に即位した年を元年(西暦では紀元前660年とされた)とする「皇紀」のことである。1940年は皇紀では2600年の節目を迎えることから、東京オリンピックのほか、札幌冬季オリンピック、東京での万国博覧会などさまざまな記念事業が計画された。オリンピックや万博は幻に終わったものの、1940年には政府主催の紀元2600年の記念式典が行われ、盛大に祝われた。紀元2600年をめぐる一連のイベントや、それを機に起こった観光ブームについては『皇紀・万博・オリンピック』(中公新書)という本に詳しい。同書の著者の古川隆久は「いだてん」で時代考証を担当している。

円蔵と金語楼……田畑は自分の結婚式に余興で呼んだ落語家が孝蔵だと知ったとき、思わず「円蔵か金語楼よこしてくれってそう言ったよ」とぼやいていたが、円蔵とは6代目橘家円蔵、金語楼は柳家金語楼を指す。6代目円蔵はのち1941年に6代目三遊亭円生を襲名し、戦時中には志ん生と一緒に満州に渡ることになる。「いだてん」では田畑が1960年の場面で円生のファンを公言していた。一方の金語楼は、自作の兵隊落語で売れっ子となり、戦後は「ジェスチャー」などテレビでも人気を集めた。「いだてん」では若き日の志ん生が師匠だった柳家三語楼から破門されたあと、噺家仲間の万朝(柄本時生)のとりなしで落語界に復帰したが、実際に三語楼と志ん生のあいだを取り持ったのは当時志ん生の兄弟子だった金語楼であったらしい(結城昌治『志ん生一代 下』小学館)。

岸清一……第32話で嘉納から「男泣きは君の専売特許だったもんね」と言われていたとおり、実際にも何かにつけてよく泣く人だったらしい。小学生がわずかばかりの寄付金を持ってきたときにも、子供たちの純情に感激して泣きながら受け取り、「尊いお金だ」と喜んだとか。岸は東京帝国大学時代にはボート部に所属し、のちには日本漕艇協会を設立して会長となり、体協会長と兼任したが、当人は生涯、弁護士であることを誇りとしていた。貴族院議員に就任したときも、「俺は運動関係でなったのではない。弁護士でなったのだ」と強調したという(岸同門会編著『岸清一伝』大空社)。

劇作家と大河ドラマ……「いだてん」には、岩松了以外にも、橘家円喬役の松尾スズキといい、アナウンサーの松内則三役のノゾエ征爾といい、劇作家の出演が目立つ。ちなみに岩松了の大河出演は、2009年放送の「天地人」で真田昌幸を演じたのに続き2度目。このほか、過去に大河ドラマに出演した劇作家は下記のとおり(遺漏があるかもしれないので、あしからず)。

・福田善之('65年「太閤記」竹中半兵衛役、'67年「三姉妹」伊藤俊輔役)
・唐十郎('78年「黄金の日日」原田喜右衛門役)
・渡辺えり子(現・えり/'99年「元禄繚乱」阿久利役)
・野田秀樹('04年「新選組!」勝海舟役)
・三谷幸喜('06年「功名が辻」足利義昭役)
・岩井秀人('16年「真田丸」甚八役)

国際連盟脱退……第32話で描かれたとおり、1933年2月24日、国際連盟の特別総会に日本全権として出席した松岡洋右は、前年に建国された「満州国」の存在が認められなかったことから、国際連盟からの脱退を表明、翌月には日本政府が正式に脱退通告を行なった。

もっとも、当の松岡は、日本を発つ前に元老の西園寺公望と会い、連盟脱退の回避に努めると約束しており、それが最終的に脱退にいたったことを悔いたという。じつは常任理事国だった日本に対し国際連盟は強制力のない「勧告」しか行えなかったため、満州国を維持したまま連盟に留まることは可能だった(等松春夫「満州事変から国際連盟脱退へ」、筒井清忠編『昭和史講義──最新研究で見る戦争への道』ちくま新書)。それもあって、日本の多くの有識者も脱退には反対していた。

しかし国民の大多数は脱退論を支持した。国際連盟の特別総会を前に、日比谷公会堂では対国際連盟緊急国民大会が開催され、全国にラジオ中継されるなか、連盟脱退を求める宣言が採択された。松岡もこうした世論の沸騰を無視するわけにいかなくなる。1933年4月27日、連盟脱退を表明した松岡が帰国すると、横浜港には大群衆が出迎えた。このときラジオで実況中継を担当したのは、ロサンゼルスオリンピックで実感放送を行なった河西三省であった(筒井清忠『戦前日本のポピュリズム』中公新書)。(近藤正高)

※「いだてん」第32回「独裁者」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:大根仁
※放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から。各話は総合テレビでの放送後、午後9時よりNHKオンデマンドで配信中(ただし現在、一部の回は配信停止中)
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