NHKの大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」先週8月18日放送の第31話では、「1932年・ロサンゼルスオリンピック編」(と勝手に名づけてみた)がクライマックスを迎えた。
「いだてん」日系老人「俺は日本人だ!」日本選手の活躍に勇気づけられて叫ぶ31話
イラスト/まつもとりえこ

前畑の銀メダルに続き、日本勢が表彰台を独占


冒頭では前回のラストからの続き、前畑秀子(上白石萌歌)が出場した女子200メートル平泳ぎ決勝の模様が描かれた。スタート直前、プレッシャーに打ち震える前畑に、総監督の田畑政治(阿部サダヲ)が「おい前畑、どうしても勝ってくれ!」とさらにプレッシャーを与える。
だが、前畑はチームメイトから緊張する場合は“河童のまーちゃん”(田畑のあだ名)がキュウリを食べる姿を思い出すよう言われていたので、田畑の顔を見てかえって緊張がほぐれたようだ。号砲が鳴り、スタートした前畑をプールサイドで田畑は追いかけるが、係員に止められる。水中カメラによる力泳シーンは迫力があった。

ゴールでは憧れの先輩・鶴田義行(大東駿介)が待ってくれていた。プールから上がると、前畑は3分12秒4の日本記録を出し、2位との結果が発表される。4年前のアムステルダムオリンピックの人見絹枝(菅原小春)に続き、日本女子2人目のメダリストの誕生だった。試合直後の実感放送で、レースの感想を求められた前畑は「自分でやったとは思えない。きっと神様が助けてくださったのです」と答える。

このあとも日本水泳陣の活躍は続く。100メートル背泳ぎでは日本勢が表彰台を独占し、1500メートルでも金・銀メダルを獲得した。前者について前回レビューで私はうっかり、劇中ではスルーされていたと先走って書いてしまったが、今回ちゃんと出てきた。ただし、あっさりとしたとりあげ方ではあったが。
表彰式(実際にはこの大会の表彰式は、閉会式にメインスタジアムで全競技まとめて行なわれたという)では、会場から現地の日系人による「君が代」の歌声が聞かれた。その光景に、1940年の東京オリンピック招致のため来ていた嘉納治五郎(役所広司)は「普段肩身の狭い思いをしている彼らにこれほどうれしいことはない」と語る。体協会長の岸清一(岩松了)も泣きながら、必ずや東京にオリンピックを持って来るんだと息巻くが、隣りにいた田畑が「だからそれはすべてが終わってから」と抑える。

若手の“踏み台”だった鶴田がまさかの2連覇


最後の種目は200メートル平泳ぎ。その決勝前夜、出場を控える小池礼三(前田旺志郎)は緊張のためなかなか寝られず、隣りのベッドで寝ていた鶴田にしきりに話しかけ、ついには「だから小池、寝てくれ小池!」と怒られてしまう。選手では最年長の鶴田はこれまで若い小池の成長を促すため“踏み台”となりながらも、自身も一緒に出場する予定だった。

そして迎えた決勝。いよいよスタートというところで、ノンプレイングコーチの高石勝男(斎藤工)をはじめチームメイトが応援歌「走れ!大地を」を歌い出す。いざレースが始まると、鶴田がリードし、それを小池が追う形となった。実感放送での松内則三(ノゾエ征爾)のアナウンスも「鶴田、小池を抜かせてくれない」「きょうはいつもの鶴田じゃない」と興奮気味だ。とうとう鶴田は小池に抜かせないままゴールし、アムステルダムに続きオリンピック2連覇を果たす。ゴール後、高石も思わずプールに飛び込み、同輩の鶴田と喜びを分かち合う。実感放送の終わりで、鶴田は「1日1回だけ、彼(小池)に勝つつもりで泳ぎました。
しかし一度も勝てませんでした。きょうは小池君が年寄りに気を使ってくれたんでしょう」と、小池に感謝を述べた。

ロス五輪の締めくくりを日本泳法で飾る


最終的に日本水泳陣は5種目で金メダルを獲得した。閉会式のエキシビジョンでは、田畑や監督の松澤一鶴(皆川猿時)ら指導陣も一緒に日本泳法を披露する。それは嘉納がIOC会長のラトゥール(ヤッペ・クラース)からなぜ日本の水泳は強いのかと訊かれて、日本には昔から古式泳法というのがあったからだと説明したのがきっかけだった。当初、田畑は「俺は断じてやらんぞ」と言い張ったが、結局、一緒に泳ぐことになった。

まず、助監督の野田一雄(三浦貴大)が、両手足を縄で縛ってプールに飛び込んだかと思うと、そのまま水上に浮かび上がって泳いでみせて、観客を驚かせる。「手足がらみ」という技だ(演じた三浦は、中学時代から水球をしていて、日本泳法の経験もあったという)。さらに、水上で舞うかのような「いな飛び」という技を見たアメリカの選手は「まるで白鳥のようだ」とその美しさを讃える。その後も「大抜手」「片抜き手一伸(ひとえのし)」といった技が披露され、拍手喝采を浴びた。田畑は片抜き手一伸のつもりがクロールになっていたのがご愛嬌だったが。

最後は水のなかで書道を披露する「水書」を9人で披露。一人1枚ずつ紙に墨書して、並んで掲げたのは「Xth OLYMPIAD(第10回オリンピック大会)」の文字だった。
このあと、外国人選手たちもプールに飛び込み、歓喜のうちにフィナーレを迎える。このとき着衣のままプールに飛び込んだ髭の白人男性は、田畑に向かって「明日から世界中の水泳選手が打倒日本に燃えるだろう」と英語で言ったあと、「ベルリンデ、アイマショウ」と伝えた。

「俺は日本人だ!」日系人たちが口々に叫ぶ


オリンピックが大成功のうちに幕を閉じた翌朝、選手たちは選手村から引き揚げていった。田畑は選手村で世話になった黒人男性のデイブから、「一種目モ失フナ」の貼り紙を片づけるように言われる。それは田畑が選手たちに全種目制覇を肝に銘じさせるために貼ったものだった。だが、デイブから書かれた言葉の意味を訊かれ、田畑は「ノー・ミーニング(意味はない)。所詮、戯言さ」と言って紙をはがす。その下から現れたのは、「オリンピックにおいて大切なことは勝つことではなく参加することである。人生において大切なのは勝つことではなく努力すること。征服することではなく、よく戦うことだ」という近代オリンピックの創始者クーベルタンの言葉が記されたパネルだった。田畑が貼り紙の言葉を“戯言”と言ったのは、厳命した全種目制覇が果たせなかったからだろうか。

しかし田畑の奮闘はけっして無駄ではなかったことが、次のシーンで証明される。ロサンゼルス市内では、バスで出発した日本選手団を、現地の人たちが日の丸を振って見送った。
そこへ一人の日系の老人(吉澤健)がバスの前に立ちふさがって停車させる。老人は、田畑の手を握って礼を言うと、アメリカに渡って27年にして初めて白人から声をかけられ、日本人選手の活躍を祝福されたと涙ながらに伝えた。これに乗じて、食堂で働く日系人女性のナオミ(織田梨沙)も、以前、日本の選手たちに絶対に勝てっこないと言ったことを詫びる。彼女は、それまで日本人は白人に勝てないと大人たちから言い聞かされ、日本を祖国に持ったことを恨んでいたという。ほかの日系人たちも迫害され、ずっと肩身の狭い思いをしてきた。それが日本選手の活躍で一変する。

ナオミは「日本人、白人にけっして負けない。そのことを教えてくれた。私、祖国見直しました。ありがとうございました!」と頭を下げると、プールでそのメダル獲得の瞬間を見届けた前畑秀子を抱きしめる。老人も田畑に「私たちは初めて大道の真ん中でいま『私は日本人だ』と言うことができます」と言うや、バスのボンネットに上がって、「俺は、日本人だ」と群集を前に叫んだ。これを受けて、ほかの日系人たちも「日本人だ!」と口にし、さらにナオミが「アイ・アム・ジャパニーズ・アメリカン!」と叫ぶと、「アイ・アム・アイリッシュ・アメリカン!」「アイ・アム・アフロ・アメリカン!」と日系人だけでなくさまざまな異なるルーツを持つ現地の人々からも声が上がった。
脚色はされているものの、田畑がロサンゼルスで日系人の女性や老人から、劇中で語られたのとほぼ同じ言葉とともに感謝の念を伝えられたことは実話である(杢代哲雄『評伝 田畑政治 オリンピックに生涯をささげた男』国書刊行会)。

このシーンはたしかに感動的ではあったが、それから10年もしないうちに日本とアメリカが戦争を始め、アメリカの日系人たちが収容所に送られることを思えば、複雑な気持ちにもなった。ちなみに1984年に初めて昭和をとりあげた大河ドラマ「山河燃ゆ」(原作は山崎豊子の『二つの祖国』)では、戦時中のアメリカの日系人の悲劇が描かれていた。

まーちゃん、珍しく自分を責める


日本選手団は帰国して東京でも大歓迎を受ける。田畑は日比谷公園での市民歓迎会を前に、勤務先の朝日新聞社に立ち寄る。しかしこのとき社内にいたのは酒井菊枝(麻生久美子)だけだった。菊枝はオリンピック会期中、事前に田畑から渡された予定稿に、メダルを獲得した選手の名前を書き入れてくれていた。田畑は彼女から留守中に発行されたオリンピックの号外を見せてもらう。目を通すうち、銅メダルに終わった大横田勉(林遣都)の記事に言葉を詰まらせる。そして、いきなりその場で土下座したかと思うと、「すまん、大横田!」「どうして気づいてやれなかったんだ。人一倍、体調を気にしてたのに」「だから彼の落ち度じゃない。すべて俺の責任!」「いつもどおり泳げば大横田は金だった」などと激しく自分を責めた。

そんな田畑を、菊枝が「全部(金メダルを)取るなんて面白くないし、次の目標が亡くなりますから」「一個残してきたのは、田畑さんの……品格、そう品格だと思います」となぐさめる。
思えば、彼女が初めて劇中で言葉を発した瞬間だった。しかしこれに対する田畑の返事は一言「変な声」……っておい! いやまあ、そのあとで「酒井君、ありがとう。品格か」とちゃんと礼は言っていましたが。

このあと、市民歓迎会で前畑秀子に対し「なぜ金メダルを取ってこなかったんだね」と、田畑並みに空気を読まない発言が飛び出す。その発言の主は、東京市長の永田秀次郎(イッセー尾形)であった。ちょうど会場に入るところでその場面に出くわした田畑、さすがに黙っていられず、「永田さん」と声をかけたところで、きょう放送の第32話へとつづく。

Nスペで明かされた松澤一鶴の知られざる功績


第31話では、久々に金栗四三(中村勘九郎)も登場した。東京から郷里の熊本に戻った四三は、すっかり廻船問屋の主人に収まっていた。かといって商売に身を入れているわけでもなく、押し花なんぞしている始末。この身を持て余している感じが、前回までしばらく落語から遠ざかっていた若き日の志ん生=美濃部孝蔵(森山未來)と重なった。しかし、孝蔵がかつての噺家仲間の高座を見て復帰すると決めたように、四三もまた、ロサンゼルスオリンピックでの選手たちの活躍に触発され、しばらくやめてしまっていた冷水浴を再開、再び走り始める。

田畑が日系人から御礼を言われた話をはじめ、今回も史実が見事に物語に織り込まれていた。エキシビジョンで日本泳法を披露したというエピソードも、史実をもとにしているという。私が探したかぎり、それを記した資料は見つからなかったのだが、そうした忘れられた事実を発掘してきて描き出すのも、「いだてん」の魅力の一つだろう。

発掘といえば、先週の総合テレビの「いだてん」の放送後、NHKスペシャルでは「戦争と“幻のオリンピック” アスリート 知られざる闘い」と題し、最近見つかった松澤一鶴の資料から新たな事実をあきらかにしていた。「いだてん」にも登場する松澤は、戦時中にあってもスポーツの精神を追求し、ひそかに選手を集めて記録会も開いていた。記録会に出場した選手のなかには、幻の1940年の東京オリンピックでの活躍を期待されながらも、果たせないまま召集され戦死した者も少なくなかったという。

戦後、1964年に開催された東京オリンピックでは、閉会式で各国の選手たちが整然と並ぶのではなく手を取り合って行進し、人々を驚かせた。この“平和の行進”はこれまで偶然起きたものとされてきたが、じつはこれを発案して実現させたのも松澤であったという。

「いだてん」では皆川猿時が演じ、コメディリリーフ的性格の強い松澤だが、じつはスポーツの精神を守り抜いたという意味で、田畑政治や嘉納治五郎に引けをとらない理想主義者であったことを今回のNHKスペシャルで教えられた。今後、「いだてん」で彼を見る目も変わりそうだ。(近藤正高)

※「いだてん」第31回「トップ・オブ・ザ・ワールド」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:西村武五郎
※放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から。各話は総合テレビでの放送後、午後9時よりNHKオンデマンドで配信中(ただし現在、一部の回は配信停止中)
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