大河ドラマで描かれた二・二六事件
劇中では、主人公の田畑政治(阿部サダヲ)と面識のあった大蔵大臣の高橋是清(萩原健一)が反乱軍の青年将校に殺害され、さらに朝日新聞社も襲撃を受け、田畑や上司の緒方竹虎(リリー・フランキー)が抵抗する様子が描かれた。高橋是清を演じた萩原健一は撮影時には亡くなっており、殺害シーンは、生前に収録した映像や、高橋のあだ名である達磨の絵を組み合わせて表現されていたが、かえって喪失感が出ていたように思う。
NHKの大河ドラマで二・二六事件が出てきたのは、1984年放送の『山河燃ゆ』以来35年ぶりである。同作の冒頭では、東京の大学に通っていた日系アメリカ人2世の天羽賢治(松本幸四郎=現・白鸚)が、ちょうどアメリカから来日していた弟の忠(西田敏行)とともに、両親の郷里の鹿児島を訪ねたあと東京に戻る途中、湯河原(神奈川県)の伊藤屋旅館に宿泊する。それが1936年2月25日夜のこと。同旅館には本館の隣りに別館があり、このとき、前内大臣の牧野伸顕が滞在していた。はたして翌26日未明、牧野を殺害するため、反乱軍の別動隊が別館を襲撃する。天羽兄弟はその騒ぎに巻き込まれてしまう。
じつは『山河燃ゆ』の原作である山崎豊子の小説『二つの祖国』には、二・二六事件は出てこない。しかし、大河ドラマで初めて昭和が舞台となるとあって、時代の大きな曲がり角となったこの事件を、物語の始まりにとりあげないわけにはいかないという思いがスタッフにはあったのではないだろうか。
二・二六映画第1号の原作は直木賞受賞作
二・二六事件を扱った映像作品は数多い。映画では、1954年に公開された『叛乱』で初めて同事件がとりあげられた。その原作である立野信之の同名小説(1952年刊)は、当時未公開だった青年将校らの遺書などを駆使して事件の全貌を初めて描き、直木賞も受賞している。それだけに、映画でも事件の経過をかなり現実に即して描いている。
終盤では、非公開・再審なし・弁護人なしの軍法会議により、事件を首謀した青年将校17名および事件に関与したとされた北一輝・西田税に死刑判決が下され、順番に処刑されるさまが描かれる。銃殺シーンが延々と繰り返されるのは、正直、陰鬱な気持ちにさせられた。つくり手の側には、事件の重大さを伝えるためには、ここまでしつこく描かねばならないという思いもあったのだろう。
監督は俳優の佐分利信が監督を務め、西田税役で出演もしていたが、途中で重病となり、阿部豊が「応援監督」として制作を引き継いで完成にいたった(西田役は佐々木孝丸が代演)。青年将校の安藤輝三を細川俊夫、磯部浅一を山形勲が演じたほか、香田大尉を丹波哲郎、中村上等兵を鶴田浩二と、まだ若手だったのちの大物俳優の姿も確認できて興味深い。なお、小説『叛乱』は、刊行当時、映画以外に舞台やラジオ化もされ、その後1964年には『銃殺』というタイトルで鶴田浩二主演により再び映画化されている。
1958年に公開された『重臣と青年将校 陸海軍流血史』(土居通芳監督)は、張作霖爆殺事件から満州事変、五・一五事件などを経て二・二六事件へといたる軍部の動きが描かれた。この映画では、単に事件を再現するだけでなく、創作も多分に盛り込まれている。たとえば、宇津井健(当時27歳)演じる安藤輝三が決起に参加するかひそかに悩んでいたところ、懇意にしていた藤野(竜崎一郎)という新聞記者から、「目的がどんなに立派でも暴力革命をやるのはいかん」としきりに諭されるシーンは印象深い。これについて監督の土居は《なにしろ僕は戦後派だから軍人は嫌いだ。まして暴力と結びつく話なので、心の中では全てを否定してかかった。
『陸海軍流血史』ではまた、安藤は藤野の娘の里子(三ツ谷歌子)と互いに惹かれ合いながらも、二・二六事件のため結ばれないまま終わる。青年将校が決起のため、恋人や家族と別れるという展開は、このあとの二・二六事件の映像化作品にも繰り返し描かれることになる。
舞台背景としての二・二六事件
利根川裕の小説『宴』(1965年)も、人妻と青年将校との結ばれない恋を描いてベストセラーとなり、1966年から翌年にかけてテレビドラマや舞台、映画化(五所平之助監督)もされた。ドラマ版では小山明子と高橋幸治、舞台版では岡田茉利子と市川染五郎(現・松本白鸚)、映画版では岩下志麻と中山仁がそれぞれ主演し(偶然なのだろうが、ここにあげたヒロイン役の女優は実生活ではいずれも松竹出身の映画監督──大島渚・吉田喜重・篠田正浩──と結婚している)、ヒットしたという。
『宴』と同時期、1966年には三島由紀夫も、二・二六事件から題材をとった小説『憂国』(1961年)を自ら製作・監督・主演して映画化している。もっとも、同作は事件を直接に扱ったのではなく、それに付随する形で起きた輜重兵(しちょうへい)中尉・青島健吉夫妻の自決に材をとったものだった(福間良明『二・二六事件の幻影 戦後大衆文化とファシズムへの欲望』筑摩書房)。青島をモデルにした武山信二中尉は、ほかの青年将校らとともに昭和維新運動に共鳴しながら、新婚まもないとの理由で決起参加を求められなかった。二・二六事件が起きると、武山は上官の命令で青年将校たちを鎮圧する立場に回らねばなくなり、悩んだ末に、妻とともに自決を決意する。映画では、夫妻が最後の抱擁を交わしたのち、死にいたるさまが描かれた。
出演するのは三島と鶴岡淑子の二人だけ。あらすじは墨書による英文)を示され、セリフは一切なし。能舞台という現実離れした空間で演じられる一方、三島扮する武山中尉が切腹する様子は凄惨なほどリアルに描かれた。
余談ながら、三島はこのころタクシーに乗った際、運転手が映画『宴』の看板を指しながら「先生の『宴』という小説は大当たりですね」と話しかけてきて閉口したというエピソードがある(『二・二六事件の幻影』)。運転手はたぶん三島の小説『宴のあと』と混同したのだろう。いずれにせよ、『宴』と『憂国』はまったく色合いは異なるとはいえ、舞台背景として二・二六事件をとりあげた点で共通する。
学生運動の隆盛のなかで
映画『憂国』の公開と前後して、政治活動にのめり込んでいった三島由紀夫は、1968年には私設防衛組織「楯の会」を結成する。三島が行動を過激化させていく動機には、若い世代による新左翼運動が激化していたことへの懸念もあった。ただし、当時、学生運動に参加していた若者たちには、三島の小説や任侠映画を好んだりと、どこか右翼的な心情にも共感する者も少なくなかった。
東映が製作した『日本暗殺秘録』(1969年)はそうした時代背景から生まれた作品だ。高倉健や藤純子、菅原文太など当時の東映のオールスターキャストで撮られた同作は、幕末の桜田門外の変に始まり、明治・大正・昭和と各時代の暗殺者の群像を描いたもので、最後は二・二六事件で締めくくられる。監督の中島貞夫は公開当時、《戦前の若いテロリストと七〇年[引用者注:日米安全保障条約の延長が予定された1970年]を前にした学生たちの心情を比べてみたい》と、その企図を説明していた(『二・二六事件の幻影』)。二・二六事件編の主人公ともいうべき磯部浅一に扮したのは、任侠映画で高倉健と並んで絶大な人気を集めていた鶴田浩二である。
翌1970年公開の『激動の昭和史 軍閥』(1970年)では、『日本暗殺秘録』とは逆に、二・二六事件を機に軍部が台頭し、日本が戦争へと進んでいくさまが描かれた。
政治色が薄くなった二・二六映画
その後、先鋭化の一途をたどった新左翼運動は、1970年代に入り、連合赤軍事件や各セクトによる内ゲバなど凄惨な事件があいつぐなかで退潮していく。1980年に公開された『動乱』(森谷司郎監督)が、二・二六事件を描きながらも、政治色の薄い作品となったのは、そうした時代の変化も影響しているのだろう。
『動乱』では、高倉健と吉永小百合という日本映画のトップスターが初めて共演をはたした。物語は、高倉演じる宮城大尉と、貧しい農家から身売りに出されてからというもの数奇な運命をたどった薫(吉永)という女性の関係を軸に展開し、最後には二・二六事件のあと宮城が処刑される。ただし、宮城も薫はいずれも架空の人物であり、決起する青年将校の名前もすべて別の名前に変えられている。本作でも二・二六事件はあくまで背景でしかない。
農村から身売りされた娘が、国を憂う青年将校と互いに惹かれあっていくという構図は、二・二六事件をとりあげた作品の一つの定型になっている。1991年に公開された『斬殺せよ』(須藤久監督)でも、貧しい農家に生まれ、娼婦に零落した女性と青年将校の悲恋が描かれた。
脚本家が不満を訴えた大作『226』
昭和から平成に改元された直後に公開された『226』(五社英雄監督、1989年)は、久々に二・二六事件を本格的にとりあげた大作として注目された。しかし、『動乱』にはまだ、青年将校たちが農村の疲弊などへの憤りから決起するという筋立てがあったのに対し、『226』ではそうした動機すらほとんど描かれない。そのうえ、登場人物の名前が劇中ではテロップなどで明示されないため、事件について基本的な知識がないとわかりづらいところがある。だが、映画評論家の筈見有弘に言わせると、《この映画にとってはそれはどうでもいいことなのである》という(『226』映画パンフレット)。筈見はこの一文のあと次のように本作を評した。
《かつてこのように国を憂い、このように行動した青年群像があったという事実を、余分なものを切りそいで、一直線につたえようとしているのだ。
『226』では青年将校たちの「純真な心、一直線な行動」をより強調するためだろう、彼らと恋人や家族との別離の場面が差し挟まれる。もっとも、脚本を手がけた笠原和夫としては、こうした志向について後年、《あれは、結局、変な愛情映画になっちゃってね》と語ったように(笠原和夫・荒井晴彦・すが秀実『昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫』太田出版)、本作には不満が残るところがあったようだ。笠原は、前出の『日本暗殺秘録』をはじめ、『仁義なき戦い』『二百三高地』『大日本帝国』など多くの実録物を手がけた脚本家である。
二・二六事件を題材としながら“愛情映画”になったのは、製作した松竹の社風も影響しているのだろう。これが、上記の笠原作品を送り出した東映であれば、もっと違ったものになったかもしれない。事実、映画公開後、当時の東映社長・岡田茂は「なんで、お前ら、笠原に松竹で『226』をやらせてるんんだ」と社内で怒ったという(『昭和の劇』)。ただし、『日本暗殺秘録』や『仁義なき戦い』ばりにハードに二・二六事件を映画化したとして、バブルの絶頂期の観客に受け入れられたかどうかは、おおいに疑問が残るところである。
『226』はその筋立てはどうあれ、キャスティングは豪華なものとなった。事実上の主役といえる野中四郎大尉を萩原健一が演じたほか、青年将校には三浦友和・本木雅弘・竹中直人(これほど磯部浅一にそっくりな配役はないと思う)・加藤昌也(現・雅也)・佐野史郎・宅間伸など当時の中堅・若手俳優がそろえられるとともに、鎮圧する側に立った軍人や重臣を金子信雄・高松英郎・仲代達也・渡瀬恒彦・松方弘樹・加藤武・長門裕之などの大物が演じている。かつて『叛乱』や『陸海軍流血史』で反乱軍側の人物(後者では大川周明役)を演じた丹波哲郎が、ここでは青年将校の命運を左右することになった真崎甚三郎大将を演じるなど、二・二六映画の総決算という趣きもある。なお、本作では監修を、事件で牧野伸顕の襲撃に失敗したのち自決した河野寿大尉の兄・河野司が担当し、劇中にも根津甚八と本木雅弘演じる河野兄弟が登場する。
(後編に続く)