腐女子でフェミニストの金田淳子は『刃牙』をどう読んだ? 『SAGA[性]』のセックス描写に感心

腐女子でフェミニストの金田淳子は『刃牙』をどう読んだ? 『SAGA[性]』のセックス描写に感心

やおい・ボーイズラブ・同人誌を中心とした腐女子文化を研究する社会学研究者・金田淳子が、初の単著の題材に選んだのは『刃牙』だった――。『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)にて連載中の板垣恵介による格闘漫画『刃牙』シリーズを独自の視点で分析・妄想した書籍「『グラップラー刃牙』はBLではないかと1日30時間300日考えた乙女の記録ッッ」(以下、『乙女の記録ッッ』)が河出書房新社より11月26日に発売された。

自他ともに認めるフェミニストである金田が、いかにもマッチョな世界観をしていそうな少年漫画に大ハマリしていることを意外に感じている人もいることだろう。しかし、金田はフェミニズム的な視点でも『刃牙』に面白さを見出しているらしい。大の腐女子である金田に、あえて『刃牙』に登場する女性たちに語ってもらった。
取材・文/原田イチボ(HEW)

主人公の母親・朱沢江珠が怖い


――著書を拝読しましたが、とても面白かったです! ただ、この本の出版を認めた秋田書店は懐が広いなと……。

本当ですよね(笑)。いわゆる謎本(漫画やアニメなどを考察した書籍を指す俗語)はいろいろ発売されていますが、そういう本で、公式の許可をもらって漫画のコマを引用している本はほとんど存在しないと思います。なので、手前味噌ですが『乙女の記録ッッ』は業界内でも斬新な試みではないかと思います。

――漫画のコマを引用しながら、金田先生が「この2人はデキているんじゃないか?」といった妄想を繰り広げていくという。でも「アンタとヤリたかった……」や「好みのタイプだ」など、実際に劇中であったセリフですもんね。

そうなんですよ。刃牙を知らない女友達には、ただの私の妄想だと勘違いされがちなんですが、私が言っていることの9割は実際に劇中にあるシーンですからね。刃牙さんが出会い頭にパンチしてきた男の拳にキスするシーンも実在するから!
腐女子でフェミニストの金田淳子は『刃牙』をどう読んだ? 『SAGA[性]』のセックス描写に感心

――(笑)。フェミニズムに関心があると、少年漫画を読んでいて、「この描写はちょっとキツいな」と感じる瞬間がありませんか? 女性キャラクターが完全なサポート役だったり、エロ要員だったり……。私も『刃牙』シリーズが大好きなのですが、『刃牙』は意外とそういうストレスが少ないように感じます。

もちろん引っかかる描写がゼロなわけではありませんが、そうなんですよね。これは完全な偏見でお恥ずかしいのですが、私は『週刊少年チャンピオン』に載っている漫画について、ヤンキー漫画だと聞いていたので、「不良たちが女性をひどい目に遭わせる場面が多そう」という勝手なイメージを持っていました。ひどい目に遭っているとかでなくても、女性キャラがなぜか露出度の高い格好をしていて、それが読者に対してサービスとして提示されていたら個人的に嫌だな、とも思っていました。でも『刃牙』を実際読んでみたら、そもそも女性キャラクターが2~3人しか出てこないので、そういうストレスが全然ない(笑)。さらに、登場する女性たちが、なかなか良い描き方をされているなとも感じました。まずは朱沢江珠(あけざわ・えみ)さんですよね。

――主人公・刃牙の母親ですね。刃牙の父親である“地上最強の生物”範馬勇次郎に振り向いてもらいたい一心で、息子の刃牙を鍛え上げるという。

もちろんわが子に対する虐待ぶりは絶対に肯定できませんが、好きな男の歓心を得るために、その男との間に生まれた子供すら犠牲にする苛烈さを持った女性というのは、面白い表現だと思います。女性キャラ、とくに母親キャラは、物語では自己犠牲や優しさを十二分に備えた存在として描かれることが多いと思うのですが、江珠さんは死ぬ直前までそういう要素が全然ない。普通に考えたら、悪役じゃないですか。でも作中では、刃牙さんは一貫して江珠さんを愛していますし、完全な悪役という風には描かれていないんですよね。たぶん少年読者から見て、江珠さんってちょっと怖いキャラクターだと思うんですよね。「こういう怖い人が主人公の母親だなんて、どう受け止めたらいいの?」みたいに困惑させたんじゃないかと思います(笑)。

江珠さんの印象的なセリフに、「負けるかよッ!!」というものがあるんですが(『グラップラー刃牙』18巻第159話)、いろんな解釈ができると思うんですけど、私は勇次郎に対して「あたしがあんたに負けるかよッ」と心中で叫んでいるのだと解釈しています。だとすると、江珠さんの勇次郎に対する感情は、奉仕したいというだけではなくて、「屈服させたい」という部分もあったと思うんですよね。何か大事なものを犠牲にして戦いに勝利しようとするのは、男性キャラクターではよくある設定ですが、90年代初めに描かれた女性キャラクターで、主人公の母親ということを考えると、すごく挑戦的だと思います。

双方の合意あるセックスが描かれた『バキ特別編 SAGA[性]』


――物語のヒロインである松本梢江も、ひと筋縄ではいかない雰囲気がありますね。

『刃牙』を読むかぎり、たぶん板垣先生はかなり芯が強い女性キャラクターがお好きなのかなと感じています。梢江さんも初登場時はちょっと王道ヒロインというか、都合のいい女性キャラクターっぽい雰囲気だったんですが、物語が進むにつれて変化していった印象です。

――花山相手に「最愛に比べたら最強なんて」と食ってかかるシーンは、芯の強さが発揮されていましたね。

刃牙さんと梢江さんのデート中に花山さんが突然現れて「その娘が………欲しいのか……… それとも……… オンナが欲しいのか……… どっちだ………」「オンナだったらいくらでも世話するぜ」と言ってくるんですよね。花山さんと刃牙さんが深い仲だったと考えなければ、理解できないような、急に何なん?みたいなセリフなんですけど(笑)。それに梢江さんが激怒して、「わたしのこと嘗めてンじゃん」と巨漢の花山さんを蹴り始めるという。私はこのシーンから、尊敬の意味を込めて、梢江さんを“さん”付けで呼び始めました(笑)。

――自分の印象として、たぶん板垣先生は恋愛関係も闘いの一種として捉えていて、闘いである以上はお互い対等という価値観なのかなと感じます。

たしかに『SAGA』でも「格闘とセックスはッッ そっくりだ!!」と語っていますね。相手をひとりの闘争者としてちゃんと認めた上での関係性を描いていると思います。

――金田先生は、刃牙と梢江の初体験を描いた『バキ特別編 SAGA[性]』をフェミニズムの視点から高く評価していますね。

そう。まずセックスについて双方の合意がちゃんと描かれているんですよね。私はBLをよく読みますが、短編が多くて紙幅が限られているということもあって、実は合意があいまいなまま、流されるような形で、または強引にセックスが始まる作品はかなり多いです。TL(ティーンズラブ)でもそのような作品がほとんどだと聞きます。つまり女性読者がメインのジャンルにおいても、双方の合意がはっきり描かれたセックスシーンって少ないんですよ。だから、「こんなにはっきりセックスの合意を描いた漫画があるんだ!」と驚きました。もちろんフィクションなので、合意のないセックス表現は絶対ダメというわけではないのですが、刃牙さんと梢江さんというまっすぐな性格の2人の初体験として、非常に納得のいくものだと思います。

ただ『SAGA』で避妊描写がないことだけは残念で、刃牙さんの性格を示すうえでも、ちゃんと描いたほうが良かったのでは?と思っています。でも実は多くの他の作品でも、ほとんど避妊は描かれないのが現状なんですよね。

他にも『SAGA』のよいポイントとしては、女性側だけではなく、男性側の身体の感じやすさが丹念に描かれていることも珍しく感じました。合意のもとでの対等な性行為というものが提示されている。いわゆる男性向けエロ漫画の、女体中心に描く文法とはまったく違った手法でセックスが描かれていて、本当にチャレンジングなんですよね。

あと、梢江さんの素晴らしいポイントとしては、刃牙さんのことを「強いから」好きになったわけじゃない、というところですよね。

――むしろ闘いを少し冷めて見ている部分もありますよね。

そうそう。刃牙さんが男社会で勝ち上がったから、そのトロフィーとして女性が与えられた、という描写ではないんですよね。作劇上の都合もあったとは思いますが、第2部の最凶死刑囚編で刃牙さんはほとんどの時間を、闘いではなく、梢江さんとのデートに費やしています。年相応のやり取りをして関係を深めて……っていう、すごくちゃんとした付き合い方が描かれているのが好ましいですよね。まぁついにセックスだってタイミングで、勇次郎がいらんことを言いにくるんですけど(笑)。
腐女子でフェミニストの金田淳子は『刃牙』をどう読んだ? 『SAGA[性]』のセックス描写に感心

「作者や現実のゲイに失礼」というBL批判に疑問


――ところで、『刃牙』のBL妄想を発表することに対して、男性読者から批判が寄せられたりはしなかったんでしょうか?

私もお叱りを受けると予想していたんですが、それが全然なかったので驚きました。たぶん「言われてみたら、そういう読み方もあるな」と感じた人が多いんだと思います。「アンタとヤリたかった」とか「そそられていた」とか「男同士がイチャイチャと」とか、そのまんまなセリフも多いですし、そもそも勇次郎や刃牙さんは、「闘いはSEX以上のコミュニケーションだ」とか「格闘とセックスはそっくりだ」と言ってますよね。みんなが薄々感じつつもあまり声を挙げていなかったことを、2019年に『刃牙』を読んだ私が急に「うわー! この人たち、デキてる!」って大声で騒ぎ出したから、「たしかにそうかもしれないけど落ち着いて」みたいな感じでしょうか……(笑)。

『刃牙』の読者さんたちって、「そういう見方もあったんですね」みたいな感じで受け止めてくれて、本当に懐が深いんですよ。たとえば、刃牙さんが最大トーナメントで優勝して、横並びになった出場者たちに祝福されるシーン――私は“刃牙さんわっしょいロード”って呼んでいるんですけど――で、そこまで目立たなかったようなキャラクターたちがすごく良い位置に立っているんですね。初めて読んだとき「え、誰!?」と衝撃を受けて、新たな敵が登場したのかとすら思った(笑)。そしたら、わざわざツイートで、「端から順番に~~~~だと思います」と解説してくださる方とかがいるんです(笑)。

――たしかに烈海王とか花山薫がもっと手前でいい(笑)。

ですよね!? 他にも『刃牙』っていわゆる“ツッコミどころ”が多い作品なので、私のような初心者が「ちょっとおかしくない?」と新たにちょっと変なポイントを指摘するのを、長年の読者の方も「それは気付かなかった」と素直に面白がってくれているような気がします。

――『乙女の記録ッッ』は、もともとの読者はもちろん、今まで『刃牙』を読んでこなかった人が読んでも笑って楽しめそうですよね。画像がたくさん載っているので、なんとなく『刃牙』を読んだ気にもなれる(笑)。

私としては、『刃牙』を読んだ気になるだけではなく、『刃牙』を実際に買って読んでもらいたいという気持ちが大いにありますが……(笑)。でも普通の研究本とかエッセイ本ではなく、はっきり「男と男がラブでは?」という内容のものに、秋田書店という公式さんが画像をたくさん貸してくれるというのは、業界初じゃないかと思うんですよね。良い悪いの話ではないのですが、許可の出ない出版社さんはあると思います。

ただ私個人としては、男性のキャラクター同士が恋愛関係にあるんじゃないかと解釈すること自体は、全く「悪いこと」「失礼なこと」とは思っていません。エロについては、度合いによって発表する場所を考えた方がいいと思いますし、いわゆる“ナマモノ”と呼ばれる実在の人間を対象とした妄想も、話す場所については慎重にすべきかもしれません。でも、二次元のキャラクターを対象にした、「2人は付き合っているんじゃないか?」「彼は××のことが好きなんじゃないか?」という妄想を隠れて話さなければいけないとしたら、その理由を教えてほしいです。

――男女のキャラクター同士での妄想に対しても同じ批判をするなら、まぁ筋は通っていますけどね。

そうですね、「恋愛妄想は全てダメ」ということで筋だけは通っているとは思います。でも多くの場合、BLという解釈を堂々と書くなと言ってくる人は、異性愛的な解釈のことは問題にしません。男性のキャラクター同士の妄想に対してだけ、「それは作者に対して失礼です」と批判するのはどういうことなんだろう? そこにホモフォビア(同性愛嫌悪)はないのでしょうか? その作品の作者さんが「そういう解釈をしないでほしい」と言ったわけでもないのに、「BL妄想は作者に失礼だ」という認識をしている人たちがいるのはすごく不思議です。「実際のゲイの人に失礼だ」という批判もありますが、「この男性とこの男性は付き合っているんじゃないか?」と考えることは、ゲイの人を悪く言っていることになるんでしょうか? 誰に何がどう失礼なのか、考えてみてほしいと思います。

ちょっと自画自賛になってしまいますが、堂々とBL妄想を繰り広げている本を公式の許可をもらった状態で出版したことは、そういう「BL妄想は作者に失礼だ」「隠れてやっていろ」という風潮に一石を投じることができるのかなと思います。だから、もし「こういう感想は堂々と人に言うべきじゃない」と思っている人がいたら……、そういう人はこの本を読まないか(笑)。「こんな妄想をする私はダメなのかしら?」と悩んでいる人がいたら、「そんなことないぞ! 君の妄想を聞かせてくれよ!」と伝えたいですね。
腐女子でフェミニストの金田淳子は『刃牙』をどう読んだ? 『SAGA[性]』のセックス描写に感心


Profile
金田淳子

1973年、富山県生まれ。東京大学の法学部を卒業後、文学部に学士入学して卒業。同大学の大学院で人文社会系研究科博士課程を単位取得退学。やおい・BL・同人誌研究家でフェミニストとして活動中。AV監督の二村ヒトシ、腐女子で文筆家の岡田育と共に『オトコのカラダはキモチいい』(KADOKAWA)を出版。




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