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早く立派なおじさんになりたい気持ちはわかりますが、憧れて自分で歯を抜いたりせずに、自然に抜け落ちるのを待ちましょう。
「新宿ゴールデン街でおじさん達と飲んでるよ」
知り合いのおじさんブローカーから連絡が入る。
おじさんブローカーとは、おじさんの仲介人の事だ。
人間一人では何も出来ない。
ましてや、この髭虫が出来る事なんて食べ物をうんこに変える事くらいだ。
「オジスタグラム」は各地のおじさんブローカーのお陰で成り立っているのである。
今回はその一人、ゴールデン街に強いおじさんブローカーの山さんからの紹介だった。
山さんの素性がバレると消される危険があるので、山さんの細かい情報は差し控えさせて頂く。

ゴールデン街に足を踏み入れる
連絡が入って30分後、歌舞伎町に着く。
今でこそ普通に歌舞伎町に行くが、福井県にいる当時は歌舞伎町なんて行ったら3割くらいの確率で殺される街だと思ってた。
慣れとは怖いものだ。
少し歩き、歌舞伎町の一角にあるゴールデン街に足を踏み入れる。
ゴールデン街は木造の長屋が連なり、小さな店が密集し、歌舞伎町の中でも異彩を放っている。
そこで気付いたが、僕は意外にもゴールデン街で飲んだ事がないのだ。
一軒一軒が狭く、どの店もいっぱいで、常連の巣窟感が凄いからだろう。
しかし、今日は山さんがいる。
鬼に金棒、髭にブローカーだ。
指定された店に着くと、そこはカウンター5、6席の小さな店だった。
「いらっしゃ~い!」
その声に僕は拍子抜けした。
笑ゥせぇるすまんに出てきそうな怪しげなマスターを想像していたのだが、20代であろう今時の女性が一人で店を切り盛りしていた。
「岡野さん! こっちこっち!」
山さんだ。
こっちこっちと言っているが、6畳くらいの店内。山さんまでの距離は2.3歩である。
「どうぞどうぞ」
山さんの隣に座っていたハンチングを被ったトレンチコートのおじさんが席を一つずれてくれる。
トレンチコート!
さすがゴールデン街。
ジャンパーのおじさんとは飲み慣れているが、ジャンパーの対義語であるトレンチコートを着たおじさんと飲むのは初めてだ。
ズブロッカいっとく?
僕は山さんとトレンチコートおじさんの間に座らせて頂く。
座ってみて思う。
近い。
カウンターに密接した我々6人のおじさんは3時間もすれば、くっついて横に長い一人のおじさんになりそうだ。
「何飲みます?」
「じゃ、ビー……」
ビールと言いかけた時に山さんが言う。
「ズブロッカいっとく?」
「ズブロッカ?」
「よしおさんいるんだから、ズブロッカでしょ?」
どうやらハンチングトレンチおじさんは、よしおさんと言うらしい。
とゆう事で本日のおじさんは、よしおさん。
43歳のハンチングハレンチトレンチおじさんである。

「ガハハハ!ズブロッカ祭りは今日はダメだって~!記憶なくなるから~!ガハハハ!」
ハンチングトレンチヨシオが豪快に笑う。
よしおさんが飲んでる透明の飲み物がそれなのだろう。
「何ですか?そのズブロックでしたけ?」
「ズブロッカだよ!どぶろっくみたいに言いやがって~!誰がどぶろっくだよ!」
そう言うとよしおさんが、ハンチングを取り、強引に剥き出しの頭皮を見せてくる。
「ヘケケケ!いや言ってないですよ!」
「ガハハハ!」
最高だ。
僕の今までのデータだと、ハンチングを被ったおじさんは9割方お禿げになってる癖に、弄りにくい事が多い。
ヨシオさんは僕のハンチングへの偏見を払拭してくれた。
「ズブロッカはウォッカベースで、凄く飲みやすいよ。次の日にも残らないし」
「えー。そうなんすね!」
「一回飲んでみたら?一杯奢るよ」
「まじすか!じゃあ、ビール下さい!」
「おい!」
「ガハハハ!」
楽しい夜が幕を開ける。
後から来た人には申し訳ない
一時間くらい経っただろうか、気付けば僕はもうゴールデン街の住人になっていた。
距離感のおかしなカウンターも、もはや今では早くこのおじさん6人で一人の大きなおじさんになりたいとすら思うようになっている。
みんなで喋りながら、女店長の仕込んだ菜の花のからし和えを肴に、よしおさんに御馳走になったズブロッカを飲む。
ズブロッカもうまいが、菜の花のからし和えがまたうまいのだ。

これで100円は安すぎる!値段設定がおかしい!と女店長に言った瞬間に200円に値上がりした。
後から来た人には申し訳ないが、これもまたゴールデン街の魅力なのだろう。
「よしおさん、仕事何やってるんですか?」
「おっと、岡野君。仕事は聞かない」
「え?」
「みんな楽しく飲んで帰る。それだけの街だよ。もし、仕事の取引先とかだったら仕事の話になっちゃうだろ?」
「確かに」
「連絡先も聞かない。
「くぅ~!」
痺れた。
粋だ。
恐らくよしおさんは粋男と書いてよしおと読むタイプのキラキラネームの先駆けなのだろう。
粋がトレンチコートを羽織ってるだけの粋の塊だ。
粋男さんも粋だが、店も粋である。
誰かがお会計して店を出る時
「ありがとうございました!」
じゃなく、
「いってらっしゃい」
と言うのだ。
他の店と梯子する前提での「いってらっしゃい」。
粋だ。粋と書いてみせと読むのだろう。
いよいよ意味がわからなくなってきたが、とにかく僕はもうゴールデン街の虜だ。
「それじゃー!」
「行こうか!」
よしおさんのオリジナルの乾杯のコールで4杯目のズブロッカを御馳走になった時。
「いらっしゃい!」
新たな常連がやってくる。
丸さんだ。
「よしおさん!またズブロッカ祭りやってるのか?」
「祭はやらないよ!今日は!」
「確かにろくなことないもんね。この前のズブロッカ祭も記憶ないよ、俺」
「俺もないよ!ガハハハ!」

無くなるもんだな
丸さんとよしおさんは同じ43歳の若手のおじさん常連らしい。
よしおさんに紹介して貰って丸さんと話したが、またこの丸さんがまた凄い。
よしおさんが本日のオジスタグラムの主人公なら、丸さんはヒロインである。
「よしおさん、やっぱり僕そろそろ働きますわ」
「そっかー」
丸さんは見た目も若く小綺麗で、全く無職には見えない。なんなら金持ちそうだ。
よしおさんから職業は聞いちゃダメと言われていたが、僕と山さん越しのこの会話に入るなと言う方が無理な話だ。
「え? 無職なんですか?」
「そうなんですよー」
丸さんの「そうなんですよー」のトーンは全く無職のトーンではない。
「え? 丸さん魚食えないんですか?」に対する「そうなんですよー」のトーンと全く同じトーンだ。
「いや、実は仮想通貨で儲かって、三年前に仕事辞めたんです」
「えー!いくら儲かったんですか?」
僕は度肝を抜かれた。
「4億」
「えー!!!」
もう想像もつかない。
「いやー、無くなるもんだな。ガハハハ!」
「いやいや!」
「毎日六本木行ってりゃそりゃ無くなるか! ガハハハ!」
「残りいくらなんですか?」
「500万。ガハハハ!」
「ケケケケ!」
やはり一度4億手にした男は違う。
これだけ明るいと笑ってしまう。店内が一通り盛り上がったところでよしおさん。
「ガハハハ!じゃ、俺次の店行かないとだから、そろそろ行くわ」
みんなに振る舞ったズブロッカ代を支払い席を立つ。
「あ、ほんとにいいんですか?」
「いーよいーよ」
「ありがとうございます!」
「後は丸さんに奢って貰いな。4億が500万になろうが400万になろうがもう一緒だろ。ガハハハ!じゃ、またどこかで!」
もはやその後ろ姿は、先程までの愉快な頭蓋剥き出し親父ではない。
ハンチングにトレンチコートを纏った英国紳士だ。
その背中に向かってみんなで言う。
「いってらっしゃい」
新宿ゴールデン街、まだまだ奥がありそうな街である。

(イラストと文/岡野陽一 タイトルデザイン/まつもとりえこ)