
Hカップグラドル・白川未奈がプロレスラーになって1年半が経った。今は迸るプロレス愛をリングの上から発信し、スペイン遠征も決定。
獣神サンダー・ライガーと同じ時代に生まれていなかったら、今の人生はない
――もともとプロレス好きグラドルとして知られていましたが、2018年8月に「ベストボディ・ジャパンプロレス」の旗揚げ戦でリングデビュー。今は東京女子プロレスにレギュラー参戦しつつ、「CMLLレディースリング」のメインイベントに立つなど、デビュー1年半とは思えない活躍ぶりです。
今年はプロレスラーとして、大きくステップアップする年にしなければいけないと思っています。私は得意技のロメロスペシャルを出すとき、お客さんと一緒に「チャンス~!」と言うんですが、最近はゲスト参戦した大会でもお客さんの声が聞こえるんです。これはプロレス界が“白川未奈”の存在を受け入れてきてくれるってことなのかな? 「チャンス~!」の合唱が大きくなったのはすごく嬉しかった出来事です。

――白川さんが敬愛するプロレスラーである獣神サンダー・ライガー選手が、1月5日の試合をもって引退しました。自分の試合があるので、ラストマッチは観戦できなかったそうですが……。
もちろん残念な気持ちはありますが、でも誇らしい気持ちもあったかもしれません。私がライガーさん大好きなことを観客の皆さんも知っているから、その日のロメロスペシャルは「チャンス~!」の掛け声も普段より大きく聞こえて、すごく嬉しかったです。1月5日の試合のロメロスペシャルは、「この技は私が受け継ぐぞ」という気持ちで出しました。
――白川さんは、プロレスの何に惹かれているのでしょうか?
自分がつらいとき、「人生を戦わなきゃ」とプロレスに背中を押してもらいました。だからこそ今度は自分がリングの上から、もっともっとプロレスを知る人を世の中に増やしていきたいです。今は毎日が充実していて、人生で一番「死にたくない」って感じているんですよ。やりたいことや、やらなきゃいけないことが多すぎる! 毎晩寝るときに「明日はあの練習して、あれして、これして、あれもしたい」って考えているうちに、「これは絶対に死ねない! 死んでたまるか!」という気持ちが湧いてきます。自分が燃え尽きるまで、やりたいことを追求したいんです。

実は“社長令嬢”だった「免許取得祝いはベンツをもらった」
――もともと白川さんはセレブな家庭の生まれだとか。
父親がIT企業の社長です。小学生なのにブルガリの時計を着けていたり、免許を取ったときはベンツをプレゼントしてもらったり(笑)、少し厳しい家ではあったかもしれませんが、何不自由なく育ててもらいました。両親も許してくれるような仕事をしようと思って、CAかブライダルスタイリストを目指して就活したんですが、結局その「CAかブライダルスタイリストになりたい」という思いは偽りの「なりたい」だったんですよね。一度はブライダル業界に就職したんですけど、ビヨンセへの憧れが捨てられず芸能界入りしました。
――ビヨンセということは、もともと歌手志望だったんですか?
小さい頃から音楽が好きで、歌とダンスをかじっていました。中学高校は校則で芸能活動は禁止されていたんですが、内緒でオーディションを受けていました。でも学校と親にバレて、三者面談するはめになっちゃって……。「この学校にいるかぎり、私の人生がストップする!」と思っている私を、大人たちが「卒業後でも芸能活動はできるから」と説得して(笑)。行動力は昔からあったんですよね。本当に芸能活動を始めようと決めたときは、竹下通りを何往復もしました。だけど、渡された名刺が全部グラビアで……。「需要があるってことなのかなぁ?」と思って、グラビアを始めることにしました。

――厳しい家庭で育った人がグラビア業界に飛び込むのは、なかなかの冒険だったのでは?
初めてのDVD撮影は、初日でボロ泣きしちゃって、2日目は目がパンパンでした(笑)。でも、いろいろ悩んでいた時期にプロレスに出会って、「この人たちは命張って頑張っているのに、水着になること程度で悩んでいる私って小さいな」と思えたんです。プロレスに背中を押してもらって、仕事を前向きに頑張れるようになりました。今となっては、グラビアアイドル兼プロレスラーであることが自分の価値になっていますし、頑張ってきて良かったなと感じます。

――グラドルやプロレスラーなどの活動を厳しいご両親は受け入れているのでしょうか?
反対しています。「30歳で地上波レギュラーがなければ芸能界を引退する」と約束していたのに、地上波レギュラーがないどころか、リングデビューまでしてしまって……(笑)。親の援助なしで暮らすことになりました。初めて一人暮らしをして驚いたのは、家に帰ったら冷暖房のスイッチを入れないといけないこと! 実家は完全空調だったので、「毎回ピッてやらなきゃいけないんだ……」と思いました。あと実家はセコムとかで厳重に守られていたので、「こんな鍵ひとつだけで大丈夫なの!?」とか(笑)。でも好きなことをしている今はすごく楽しいから、お金じゃないと感じます。
――ご両親は白川さんの試合を観たことはないんですか?
ありませんね。でも年末年始に実家に帰ったら、父親から「ベルトを奪われたんだろう。それは取り返さないといけないね」と言われました。父親がプロレスの話題を出すのは初めてで、知ってくれていたんだと驚きました。私が昔から海外志向が強いのは知ってくれているので、「今度スペイン遠征に行くよ」と伝えたら、それはすごく喜んでいました。

「ディスイズ・ミナ・シラカワ」を世界に伝えたい
――2月15日・16日にスペイン・マドリードで開催される「JAPAN WEEKEND」に参戦することも決定しました。
私のInstagramアカウントのフォロワーさんは11万6,000人くらいいるんですが、海外のプロレスファンの方が多いんですよ。やっぱり外国でも見てくださる方がいるんだなと改めて感じました。
――「どうせグラドルのお遊びだろう」という視線を努力ではねのけましたね。
リングデビューする前から、そういうふうに見られることは自分でもわかっていました。人一倍頑張らないと認めてもらえない、その逆境がむしろパワーになりました。自分関係の記事についたコメントは全部見て、「こういうふうに思う人がいるんだ」といったん受け止めるようにしています。私のことをちょっと馬鹿にしていた人の考えを変えることができた瞬間はやっぱり達成感がありますね。舐められるのが大嫌いなので(笑)。

――SNSを見ていても、ものすごく練習しているのを感じます。
22時くらいに寝ちゃいます。それは朝4時半に起きたいからで、なぜかって朝6時から柔術のクラスがあるんですよ。柔術の練習をして、家に帰って、筋肉のことを考えたご飯を作って、筋トレして、また昼食をとってから道場に行くっていうのが一番体を動かす日のスケジュールですね。プロレスの道場と柔術の道場、トレーニングジム、あと自分がトレーナーとして教えているジムもあるので、その4箇所を行き来して暮らしています。グラドルとは思えない暮らしなんですが(笑)、今はそれでいいと思っています。遊びたい気持ちもゼロではないんですが、それはプロレスをやりきってからのこと。本当に、人生って変わるものですね。

――プロレスラーとして直近の目標となると、何でしょうか?
海外からのオファーが立て続けにくるようなプロレスラーになることですね。そして、「ディスイズ・ミナ・シラカワ」というのを海外に伝えたい。グッチ、イヴ・サンローラン、ミナ・シラカワみたいな感じになりたいんですよ。
――直近の目標がデカい!
本当だ、直近の目標が大きすぎる(笑)! とりあえず2020年は、東京女子プロレスのベルトを巻いて海外遠征に行きたいですね。去年タッグベルトに挑戦して、結果は負けてしまったんですが、もう1歩だという手応えは感じたので、今年は仕掛けたいです。

1987年12月26日生まれ、東京都出身。Hカップのバストを武器に、グラビアアイドルとして活躍。グラビア業界きってのプロレス好きとして、“プ女子部長”の愛称で親しまれ、2018年8月の「ベストボディ・ジャパンプロレス」旗揚げ戦でリングデビュー。同年11月より東京女子プロレスにレギュラー参戦中。2月15日・16日にスペイン・マドリードで開催される「JAPAN WEEKEND」のプロレスステージに参戦し、両日ともメインイベントに立つ予定。