堂本剛のソロプロジェクト ENDRECHERIが世界へ――剛が思う“FUNK”の概念とは
イラスト/おうか

フレキシブルに音楽に取り組むスタンス

6月17日にニューアルバム『LOVE FADERS』をリリースしたENDRECHERI。そして5月、7月には過去作品のデジタル配信がスタート。堂本剛のソロプロジェクトが、世界169の国と地域に放たれた。


堂本のラジオ『Fashion & Music Book』(bayfm)では、彼が追及する音楽ジャンルのFUNKについて語ることも多く、リスナーからも楽曲についての質問や、彼に対する熱い想いを綴ったお便りが寄せられている。

堂本の活動を通してFUNKという音楽に初めて触れた人も多いことだろう。先日のラジオでも、FUNKや音楽についてよくわからないままライブに参加したが、自然と体がのって楽しかったが、こんな感じで楽しんでいてもいいのか、というお便りが寄せられた。

堂本剛のソロプロジェクト ENDRECHERIが世界へ――剛が思う“FUNK”の概念とは
LOVE FADERS/ジェイ・ストーム

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堂本は「勉強する必要はない」とした上で、堂本が取り組んでいるFUNKというジャンル、自分たちの軸、姿勢について丁寧に語った。

「基本的に自分たちが楽しんでるっていうのが軸にあって」と前置きし、「一人ひとりのローカルなグルーブリズムみたいな、マインド、血の色みたいなのがあって。で、それが一色になるようでならない、をずっと繰り返しているような景色を見せるっていうんですかね。
そういう感じで作ってるFUNK」と説明。

楽曲制作についても、「他ジャンルのものを取り入れないという概念はあまりない」という。「これはFUNKじゃない、っていうその定義を狭めてしまうと宇宙が作れないみたいな感じで、僕の場合は関係なくやってますね」。様々な要素をフレキシブルに取り入れるスタンスを語った。

堂本剛のアーティストとしてのコア

以前『ミュージックステーション』に出演した際に、手に鉱物を持って歌う姿が話題を呼んだ。『音楽と人』(2015年6月号)のインタビューの中に、その理由に通ずるであろうコメントがあった。
クリスタルを通すと音が変わるという説を試したところ、驚くほど音が変わったという。視聴者にとっては突然だったが、これも彼なりに音を追求した結果だ。大衆的なわかりやすさはないかもしれないが、それでも自分が信じたものを取り入れる。その姿勢にアーティストとしてのコアを感じた。

2002年のソロ活動開始以降、堂本剛名義に限らず、「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」「剛 紫」などのプロジェクトネームを立てて活動を続け、会場もライブハウスやホールに限らず、奈良の薬師寺、東大寺、京都の平安神宮と、場所の概念も打ち破ってきた。

2019年には『SUMMER SONIC 2019』に出演。
当時はまだデジタル配信以前であり、オーディエンスもファンとは限らない。いわばアウェーのような状況下で、MCもなく音楽だけで勝負したこと、音楽好きを引き寄せた重厚なサウンドに称賛の声が上がった。

思えば、2002年の時点ではまだジャニーズでもソロ活動すること自体が珍しかった。一つ一つ作品を積み重ね、音楽専門誌にも度々登場し、音楽や制作に対する姿勢を語ってきた。革新的な活動を続ける一方で、一貫しているのはファンとの交流。特に、ラジオを通して寄せられる赤裸々なエピソードも、やさしく受け止め、丁寧に言葉を返してくれる堂本だからであろう。


ソロ活動も20年近くになる。2019年にリリースしたアルバムの『NARALIEN』の歌詞は、「誰もが 死ぬ この 命詩…」と始まる。ストレートに言葉を紡いだように思えるが、そこから広く高い視点へと導いてくれる。現実的なことを歌えるのもソロワークならではだろう。

堂本剛のソロプロジェクト ENDRECHERIが世界へ――剛が思う“FUNK”の概念とは
NARALIEN/ジェイ・ストーム

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ソロ活動20周年が見えてきた今、歌詞、音楽、アーティストとしても説得力が増す。今回、数々の作品が世界へと放たれたことにより、また新たな展開がはじまるのではないだろうか。

(柚月裕実)

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