ヒゲダン「Pretender」は辞典に載りそうな歌詞があった ヒットソングを国語辞典編纂者が読み解く
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2020年も後半戦。例年この時期になると上半期のヒットランキングが発表され、今年の音楽シーンがそろそろ見えてくるようになる。


カルチャーやトレンドは時代によって変わるものだが、音楽もその例外ではない。いろんなことがあった2020年、音楽にはどんな変化があったのだろうか?

今回は国語辞書編集者である飯間浩明氏に、音楽配信サイト「mysound」のシングル上半期ランキング2020 TOP100の上位51曲を対象に、2020年上半期のヒットソングの「歌詞」の変化や特徴を解説してもらった(※重複している曲やインストゥメンタルは除く)。

ヒットソングの歌詞は、もはや現代詩


――2020年上半期のヒットソングの歌詞を読んで、全体としてどんな感想を持ちますか?
ヒゲダン「Pretender」は辞典に載りそうな歌詞があった ヒットソングを国語辞典編纂者が読み解く

飯間浩明(以下、飯間):2020年のヒットソング51曲の歌詞を読んで感じたのは「世界」という言葉が多いということです。

たとえば、Official髭男dism「I LOVE...」の<変わり果てた世界>、Uru「あなたがいることで」の<もしも明日世界が終わっても>、家入レオ「未完成」の<いっそ 世界から 消し去っていいのに>などですね。

実際に歌詞で使われている単語のランキングを見ても、2001年には「世界」は61位だったのが2020年には34位になっています。私の印象は数字でも裏づけられています。
ヒゲダン「Pretender」は辞典に載りそうな歌詞があった ヒットソングを国語辞典編纂者が読み解く

――確かに歌詞で「世界」という言葉はよく使われている印象がありますが、どういう風に使われることが多いんでしょうか?

飯間:「世界」は昭和の頃から歌詞に使われていますが「武勲を世界に示す」とか「世界の国からこんにちは」とか、「外国」の意味で使われることも多かったんですね。


でも、最近の「世界」は、実際にあるこの世界だけでなく、仮定の世界や理想の世界、自分の内面の世界なども含めた、より広い意味で使われています。

ミュージシャンは「自分はどういう世界で生きたいのか」「その世界をどうしたいのか」といったことを言葉にしています。歌の中にひとつの「世界」を作り上げるようになったんですね。
ヒゲダン「Pretender」は辞典に載りそうな歌詞があった ヒットソングを国語辞典編纂者が読み解く

象徴的なのはOfficial髭男dism「Pretender」です。この曲では「君」と<もっと違う設定で もっと違う関係で/出会える世界線 選べたらよかった>と歌っています。

「世界線」は人気のコンピューターゲーム「シュタインズ・ゲート」から出た言い方で、世界の進む方向のことを指します。
ここでは「いくつか想定される世界のうち、今とは違う展開を選べたらよかった」ということです。こういう発想の歌は、昔は少なかったでしょう。

――「世界」という言葉ひとつでも時代によって違いがあるんですね! ほかにも気になる点はありますか?

飯間:難しい歌詞が多くなりましたね。これは2020年上半期の特徴というより最近の音楽の傾向ですが、歌詞が表現しようとしている状況や世界を読み取るためには、聴く人に高い解釈力が求められます。

――実際に「難しい歌詞だな」と感じた曲にはどういうものがありますか?

飯間:たとえばFoorin「パプリカ」。昨年大ヒットしたので今年上半期も8位に入っているんですが、米津玄師さんによるかなり難しい歌詞を子どもたちが歌うのが面白いです。


<ハレルヤ 夢を描いたなら/心遊ばせあなたにとどけ>という部分ひとつとっても、簡単ではありません。「心を遊ばす」は普段使わない言葉ですが、「心を自然の境地に遊ばせる」のように昔からある言葉です。「心を解き放って楽しませる」ことですね。

ここでは「楽しい夢を描いて、その気持ちをあなたに届けたい」といったところかと思いますが、それだけでは言い尽くせないニュアンスが歌詞にはあります。

それから、LiSA「紅蓮華」の<泥だらけの走馬灯に酔う こわばる心>というのも、すぐには分からないですね。

この歌が使われているアニメ「鬼滅の刃」では走馬灯を見るシーンが出てくるようですが、私はそれを知らないまま、「過去の汚れた記憶が走馬灯のように巡るのだろう」と解釈しました。
それほど間違ってはいないと思いますが……。

このように、アニメやドラマを知らないと、「この語句は何の象徴だろう?」と謎めいて感じる歌は多くなっています。

現代のポップスの歌詞は、もはや現代詩ですね。詩を読むことに興味を持たない人は多いですが、そういう人でも、実は、ポップスの中でたくさんの詩に触れているわけです。聞き流すのはもったいないですね。

――歌詞を「現代詩」という視点で見たことがなかったのでおもしろいです! 音楽を聞いていると歌詞をなんとなく聞き流してしまうこともあるのですが、それぞれのフレーズを細かく読むと想像以上に深く作られているんですね。


J-POPの歌詞はどう変わってきたのか?


――2020年のヒットソングだけではなく、ここ最近の大きな歌詞の特徴もお聞きできますか?

飯間:かなりさかのぼって昭和初期から話を始めていいですか。日本語学者の中野洋が「流行歌の語彙」という論文の中で1930年代~1970年代の歌謡曲の歌詞を調べています。

そこに興味深い事実があります。使われた数の多い言葉を見ると、昭和初期は「泣く・花・恋」がトップ3に来ています。ところが、1960年代・1970年代では「あなた」という代名詞が1位に浮上します。70年代の場合、「あなた・いる・君」がトップ3です。

つまり、戦前は「銀座の柳が恋しい」とか「悲しい心を抱いて湖に来た」とか、ひとりごとの歌詞が多かったんです。
それが、戦後は相手に向かって語りかけるようになったんですね。
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――使われている言葉がはっきり変わっているのがおもしろいです! 戦後からはどう変わってきたのでしょうか?

飯間:私は1990年代と2000年代のポップスの歌詞を調べたことがありますが、その時はどちらも「君」が1位に来ていました。たとえば2000年代の場合、トップ3は「君・いつ・僕」でした。

数え方が違うので単純に比較はできませんが、1970年代からから1990年代、2000年代にかけて、「あなた」から「君」への変化が起こったと言えるでしょう。
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そして、今回、2020年の51曲を調べると、トップ3は「君・僕・いつ」でした。「君」が優位という状況は、少なくともここ20年続いています。1990年代は「お前」もあったのですが、今回は1例もありませんでした。
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――確かに体感でも「あなた」より「君」の方がよく耳にする気がします! 歌詞にはその時代の他人との関わり方や距離感も映し出されているんですね。

国語辞典に載りそうな歌詞はある?


――今年のヒットソングの歌詞の中で、特に興味深い言葉やフレーズはありますか?

飯間:いろいろあります。たとえば、米津玄師「馬と鹿」に出てくる「生き足りない」。「まだ十分に生きていない」ということですね。

これまで傷だらけの人生を歩んできたが、それでも<生き足りないと強く>体の中で思いが響くというのです。ありそうな表現ですが、歌人の前田夕暮の作品に<生涯を生き足りし人>というフレーズが出てくるぐらいで、「生き足りる」「生き足りない」という例はまれです。

――聞いたことがありそうな簡単な言葉で、新しい表現をしているのがすごいですね……!

飯間:それから、あいみょん「ハルノヒ」の「想い出ふかし」。駅のプラットフォームで<思い出話と想い出ふかし>をするという歌詞です。

プロポーズの場面で、ふたりで思い出を語り合っているところですね。「思い出話をして、想い出深い」とも取れるし、「想い出にふけらせること」の意味で使っているのかもしれません。ファンのサイトを見ても、難解だと書かれています。

他にも、難しい漢字を使う言葉も多いですね。Mrs. GREEN APPLE「インフェルノ」の<照らすは熄(や)み>というのは「闇」と掛けているのでしょう。


須田景凪「はるどなり」の<確かな晩翠(ばんすい)に見入る>の「晩翠」は、私は詩人の土井晩翠の名前でしか見たことがありませんでした。国語辞典の『大辞林』第4版によれば“冬枯れの季節に、ある種の草木がなお緑であること”だそうです。


――ヒットソングに実は知らない言葉がたくさん使われていることに驚きます……! 国語辞典に載せてもいいと思うような「新しい言葉」はあるのでしょうか?

飯間:作詞者がその歌のために作った「造語」は、たとえ珍しくても、すぐには辞書に載せられません。言葉が辞書に載るためには、まずは一般に普及していることが必要です。

ただ、先ほどの「Pretender」に出てくる「世界線」なんかは、若い世代がよく使う言葉ですね。これが歌詞にも出てきたということで、普及していることが分かります。辞書に載せる言葉の候補でしょう。
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また、椎名豪featuring中川奈美「竃門炭治郎のうた」には<我に課す 一択の/運命と 覚悟する>というフレーズがありますが、この「一択」はまだ載せていない辞書が多いはずです。「選択肢がひとつしかない」ということですが、最近になって広まった言葉です。
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――「世界線」「一択」はネットでよく見る言葉に感じますが、広まったのは最近のことなんですね!

飯間:それから「語感が変わってきたのかな」と思う言葉もあります。

たとえば、YOASOBI「夜に駆ける」に<ありきたりな喜びきっと二人なら見つけられる>とあります。「ありきたり」は「平凡でつまらない」というマイナスの語感がありますが、ここでは<ありきたりな喜び>は、「ごく平凡な幸せ」といった感じで、プラスの語感を持たせているようです。


菅田将暉「さよならエレジー」の<うんざりするほど光れ君の歌>はもそうですね。うんざりするのは明らかにマイナスの感情ですが、ここでは「いやになるほど食べて満足した」という表現と同じで、プラスの語感を込めています。この歌だけの使い方なのかどうかはわかりませんが。
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「やばい」という言葉の使い方を見ても分かるように、語感のプラス・マイナスは時として反対になることがあります。そういう変化の兆候も、歌詞を観察していると分かるかもしれません。

――なるほど、お話を聞いて、もっと歌詞を深く読みたいという気持ちになれました。音楽の楽しみ方が増えたようでとても嬉しいです! 今日は貴重なお話をどうもありがとうございました!

■まいしろ
社会の荒波から逃げ回ってる意識低めのエンタメ系マーケターです。音楽の分析記事・エンタメ業界のことをよく書きます。

Twitter:https://twitter.com/_maishilo_
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Profile
飯間 浩明(いいま ひろあき)

国語辞典編纂者。1967年10月21日、香川県高松市生まれ。国語辞典編纂者。『三省堂国語辞典』編集委員。辞書・ことば一般に関する著書として、『辞書を編む』(光文社新書)、『知っておくと役立つ 街の変な日本語』(朝日新書)、『日本語をつかまえろ!』(共著・毎日新聞出版)、『つまずきやすい日本語』(NHK出版)、『ことばハンター』(ポプラ社・児童書)など、文章表現に関する著書として、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー携書)などがある。