
窪田正孝は『エール』を未曾有の危機から救った
朝ドラでは珍しい男性主役を『エール』(2020年度前期)で担った窪田正孝。引き受けたときはまさか2020年がこんな年になるとは思っていなかっただろう(当たり前)。【最終回レビュー】窪田正孝が最後まで守り抜いた『エール』の品格 グランドフィナーレは出演者による古関裕而メロディ
本来なら、東京オリンピックが開催されて盛り上がるなかで、1964年の東京オリンピックの開会式の曲を作った古関裕而をモデルにしたドラマで日本中がひとつになるはずが、世界的コロナ禍によってオリンピックは中止、古関のもうひとつの傑作「栄冠は君に輝く」が流れる夏の甲子園野球大会まで中止になってしまった。
それより前に、脚本家が降板して、チーフ演出家が脚本と演出を兼務する異例の流れになったうえ、主人公・裕一に大きな影響を与える重鎮作曲家役の志村けんがコロナによって、出番を残して亡くなるという哀しい出来事もあった。
コロナで撮影も中断し、放送も休止し、本来9月末に最終回を迎える予定が、最終回は11月27日(金)と2カ月ずれた。放送回数は10話短縮され、脚本も変更になった部分があるようだ。
とはいえ、主人公が、音楽と共に生きて、オリンピックの曲を作るという栄えある仕事を成し遂げた作曲家の物語という概要はあらかじめ決まっていて、1話でそういう未来を描き、そこに向かって若き日から50代くらいまでの半生を窪田正孝は演じきった。
率直に言うと、『エール』の古山裕一は窪田正孝で本当によかった。予定通りだとどうなっていたのかわからないが、予定どおりであってもきっと窪田は素晴らしかったと思うが、予定通りにはいかなかったであろう、コロナ禍で生まれた『エール』で窪田正孝が輝いたように思った。
この未曾有の危機を窪田が救ったと言ってもいいのではないだろうか。それはコンサート形式の最終回(120回)で、プロではないにもかかわらずギターを演奏した中村蒼に「大将、カッコよかったよ」とかけた極めて適切なひとことに、改めて思ったことだった。
窪田の精密な演技が裕一を繊細な人物に
窪田によって古山裕一という人物は、内省的で道端にそっと咲く小さな花や、遠くで鳴いているかすかな子猫の声などにも耳を傾け、それがみんな音になって、曲を編み上げる、そういう繊細な人物になったと感じた。裕一の作る曲が若者たちの気持ちを高ぶらせ、戦場に送ってしまったように、応援歌や国歌などはみんなの心をひとつにする。それは良くもあり、悪くもあることで、強烈な才能がすべてを包括し束ねてしまうことを過信せず、盲信せず、警戒心を携える。そういうドラマになったのは、窪田正孝のどこか素直に真っ直ぐ明るくなりきれない、屈折を感じさせる佇まいではなかったか。
11月20日に『あさイチ』に出演した窪田は、戦争のシーンをしっかり描いたいきさつをこう語っていた。
「吉田監督から、戦争のところは避けて通れないと言われて。戦争の描写にはどうしても暗さや冷たさが避けられないところがありながら、人間は明るく生きていく部分があるから、そういうところを描いていきたいというお話をいただいたんですけど、藤堂先生が亡くなるところをきれいに終わらせるのはどうかなとお話させていただいて、じゃあわかりました、とことんやらせてもらいますと、監督もすごく攻めて攻めてああいうシーンになって、オープニングもなかったし、カラフルなロゴもモノトーンになって(後略)」(ほぼ語ったままですが、文章化するにあたり、意味の変わらない程度に若干書き換えています)
そういうふうに撮られた鮮烈なインパールでの銃撃シーンののち、帰国して、家の廊下で「音楽が憎い」と言うほど追い込まれてしまったときのうなだれた体のラインの底しれぬ暗さ。ドラマの前半では、雨に濡れながらハーモニカを吹く全身から絶望が伝わった。
このように窪田正孝はどこか屈折した心理の表現に見応えがあって、それはいままでの、朝ドラの主人公が、男女限らず、明るく爽やか、ちょっとおバカだけど一直線、みたいなところとはすこし違う。
むろん、明るく爽やか、ちょっとおバカだけど……という雰囲気は第1話の原始人やダンスなどの表現に見受けられ、魅力的だ(キレがいい)。
ただ、それはたぶん、他にもできる人がいて。ドラマの前半、まだ音楽に自信を持てず、実家にいるときの膝を抱えている姿は他の追随を許さない。窪田の背中を丸めてうずくまる姿は、筆者は舞台『唐版滝の白糸』のときにハッとさせられて以来注目している。
悩める現代人感覚を失わないのが窪田正孝
本来、なんでもできる俳優なのだとは思う。『下流の宴』『花子とアン』の制作統括を担当した加賀田透さんは、Yahoo!ニュース 個人で筆者が取材したとき、「窪田さんは軽快に動けて、守備範囲の広いショートやセカンドというイメージ」と言っていた。
『下流の宴』は無気力な青年で、『花子とアン』は純朴で誠実な青年だった。『ヒモメン』というだめ男もできるし、『DEATH NOTE』の天才的頭脳を持った冷たい人物もできる。
出世作『ケータイ捜査官』の監督・三池崇史と久々に組んだ映画『初恋』の、とんでもないシチュエーションに放り込まれ、壮絶なアクションを披露してもなお、圧倒的に等身大で、悩める現代人感覚を失わないのが窪田正孝。

加賀田さんは「15週の75回で、『暁に祈る』が売れたあと、裕一と鉄男が2人で語るシーンが印象的です。『俺たちこれでよかったんだね。ひょっとしてなんか、とんでもない間違いをしてる? いや、そんなことないよね』というように自問自答しているような表情。わずか数秒のカットのなかで窪田さんが、曲が売れた嬉しさと、かすかな不安のようなものが瞬時に見える絶妙な表情をしていました」とも言っていた。
そういう微妙な芝居を、米粒に絵を描くような繊細な手付きで窪田は完璧に演じる。筆者は常々、四大精密俳優のひとりと呼んでいる(あとの3人が誰かはここでは書かない)。だからこそ、裕一のかすかな気配にも敏感で、大衆が共感できる曲を作ることができるという才能も、台本なのか、モデル自身なのかわからないが、鋭く読み取って表現できたのだろう。
繰り返すが、ともすれば、みんなでエール! とあやうくアジテーションみたいになりかねない物語の行く先を慎重にずらしたのは、おそらく窪田正孝の力である。
CMで歌も歌っていてとても巧いのに、『エール』ではけっして歌わなかった。最終回の歌謡ショーも指揮と司会に徹した。歌は声楽家を目指していた妻役の二階堂ふみに任せる、そのわきまえもじつに好ましい。
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木俣冬
取材、インタビュー、評論を中心に活動。ノベライズも手がける。主な著書『みんなの朝ドラ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』『挑戦者たち トップアクターズルポルタージュ』、構成した本『蜷川幸雄 身体的物語論』『庵野秀明のフタリシバイ』、インタビュー担当した『斎藤工 写真集JORNEY』など。ヤフーニュース個人オーサー。
@kamitonami