4月10日(土)に名古屋の日本ガイシホールでSKE48高柳明音の卒業コンサートが開催された。コンサートの詳細な内容は各メディアでも伝えられているため、ここでは改めてレポートしない。
ただ、あのコンサートには彼女が12年間貫き通してきたアイドル哲学が随所に散りばめられていた…。結成当初からSKE48を追ってきたライターの犬飼華氏が読み解く、高柳明音が卒業コンサートを通してメンバーとファンへ送ったメッセージ。

【写真】親友・松井玲奈もゲストで登場、高柳明音卒業コンサートの模様【10点】

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「私、ほんとそういうのないんで(笑)」

 高柳明音の口癖である。取材のテーマが恋愛話に及ぶと決まってこう話す。

 アイドルになって12年、高柳には浮いた話がひとつもなかったが、その是非はともかく、アイドルをする上での哲学を貫き通してきた結果だ。

 その哲学とは何か。「自分の行動をファンが見た時、悲しむことはしない」というものだ。

 例えば、コンサート中の煽り。アイドルによっては、「おめえら、もっと声出せー!」と叫ぶ者も少なくない。だが、高柳はなるべく言葉を崩さなかった。もっと崩してもいいんじゃないかと思うこともあったが、頑として高柳はポリシーを曲げなかった。

 それは卒業コンサートにもよく表れていた。


 サブタイトルに「まちゅり」という言葉を入れてきた。これは、楽しさを届けるのがアイドルの仕事だという、彼女の哲学に由来するのだろう。ファンが推していて、楽しいと思わなければ、何がアイドルか。根底にあるものはこの考えだ。

 ファンやメンバーが悲しみの涙に暮れるようなセットリストにはしたくない。そんな思いが随所から伝わってきた。

 この日はステージが中央に組まれ、観客はその外周から見守るというものだった。つまり、メンバーがどちらかを向いていると、その反対側に座っている観客はメンバーの背中を見つめることになる。なので、西を向いて歌ったら、次の曲では東を向くというような工夫で貫かれていた。高柳だけではなく、舞台演出家の意志も反映されているのかもしれないが、高柳は「ハズレ席」を作りたくなかったのだろう。

 高柳は着替え以外のほとんどの時間をステージ上で過ごした。上演時間は3時間10分。
そのうちの3時間弱はファンの顔が見える場所にいた。メンバーでセリフを割る曲は、高柳がセリフを独占した。ファンは高柳を観に来ているのだから、これでいい。

 高柳はこの日のMCで「伝えたいことを全部詰め込んだ」と話した。「伝えたいこと」とは何か。それはメンバーへのメッセージであり、ファンへの感謝であり、自身のアイドル哲学であり、自らの歴史であり、同期という存在のありがたみであり、グループへの愛であり……。とにかくすべてを詰め込まないと気が済まない人なのである。

 本来ならば、この卒コンは昨年3月に開催される予定だった。その数か月前に高柳を取材した際――彼女にとってはまったくの迷惑でしかないが――筆者の考えたセットリストを提案したことがある。それは、チームKIIの卒業生に勢ぞろいしてもらって、『兆し』を歌うことだった。しかし、高柳は静かに首を振った。

「今を頑張っているメンバーをステージに立たせてあげたいです」

 2曲目に歌われた『兆し』は、まさにその取材で本人が語った通りの演出となった。


 この日、OGが出演したのは、たった一人だった。松井玲奈である。2015年に卒業して以来、SKE48とは一定の距離を保っていた玲奈の登場に、日本ガイシホールはマスク越しの悲鳴が上がった。
 説明するまでもないが、玲奈は松井珠理奈とともに「W松井」の一角として、グループをけん引してきた存在だ。その人気は絶大で、彼女の卒コンは豊田スタジアムが溢れんばかりの観客で埋まった。卒業してからは女優に専念。ドラマや舞台を主戦場としている。

 卒業後も玲奈と高柳の親交は続いていた。親友と言ってもいい関係である。卒業生が登場するとすれば、玲奈だ。ファンの大半は予想していたことだろう。

 2人は『バイクとサイドカー』を歌い終わると、語り始めた。
昨年、卒コンが実施されていたら、玲奈はスケジュールの都合で来場できなかったこと。この日の来場が決まったのは数日前だったこと。リハーサルなしのぶっつけ本番だったことなどを明かした。「これからも高柳明音をよろしくお願いします」と話して、レジェンドは静かに去っていった。

 コンサートはラストスパートに入る。『桜の花びらたち』がBGMに流れる中、高柳はスピーチを始めた。これまでの歴史、メンバーへのメッセージ、ファンへの感謝をひと通り話した。すべてを詰め込みたい、高柳らしいスピーチだった。

 鳥かごを模したゴンドラがステージ中央に降りてきた。それに乗った高柳は上空へと消えていった。高柳以外のメンバーが1曲歌い終わってから、もう一度姿を現すとは思わなかったが、高柳らしいご愛敬だった。

 このように楽しさを最後まで忘れない卒コンだったのだが、観る者の心に去来したのは必ずしも楽しさばかりではなかったはずだ。
高柳が人気を不動のものにしたのは、ジレンマと闘ってきたからだ。

 2011年の選抜総選挙で、高柳は「私たちに公演をやらせてください」と発言した。いつまで経ってもオリジナル公演をもらえないもどかしさで当時のチームKⅡメンバーはやきもきしていた。そんな状況を打破する禁じ手が、高柳が一人で決意したフライング発言だった。その発言によりKⅡはオリジナル公演を手にすることになる。高柳は一躍ヒーローになった。リアルな感情がストーリーを作り、その流れにファンは熱狂した。2011年10月1日、「ラムネの飲み方」公演初日以上の熱気をSKE48劇場から感じたことはない。

 泣き崩れた高柳でエンディングを迎えるドキュメンタリー映画もあった。それも楽しさを届けるという、自らの哲学が届かないことへのもどかしさからくるものだった、と今になって思う。

 そのジレンマを見せる姿もまた、彼女の魅力だった。

 かくして「祭り」は終わった。
翌日の松井珠理奈卒コンに頭を切り替えようとしたが、なかなかそうはならなかった。この余韻にしばらく浸っていたかったのだった。

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