本日2日(木)に、約9年半在籍したSKE48から卒業する松村香織。キャバクラやメイド喫茶でアルバイトをしていた過去、SKE48終身名誉研究生就任、異例のソロデビュー、アイドルらしからぬ抜け毛の悩みを告白……と、何から何まで規格外のアイドルだった松村が、卒業直前にアイドル人生を振り返りる。

──卒業を控えた松村さん。今回でSKE48のメンバーとしてインタビューするのは最後ということになります。

松村 もうインタビューのオファーは来ないと思っていたから……。何だかんだで『月刊エンタメ』さんはいつも取材してくださるからうれしいです!

──松村さんは、SKE48に入って10年近くなりますが、加入当時のことは覚えてますか?

松村 加入当時ですか……。仕事も少なくて暇でした(笑)。

──でも、月1回のSKE48のモバイルのブログをしっかり更新していたじゃないですか。

松村 でも、本当それだけ(笑)。毎日本当暇でしたよ!

──ちなみに毎日、何をしていたんですか?

松村 1人でパンを作ってました。

──(笑)。

松村 一緒に住んでいたきんちゃん(金子栞)は選抜で忙しくしていたから、私は基本1人でした……。よく(出口)陽さんが泊まりに来ていましたけど。

──レッスンは?

松村 あまり行ってなかったです。


──えっ!?

松村 覚えなきゃいけないことは覚えていたけど、レッスン場に行くことがストレスだった(笑)。

──どうしてですか!?

松村 当時、事務所がワンフロアで、入り口に絶対、支配人の湯浅(洋)さんとかがいたんですよ。あの頃、大人の人が怖かったので会いたくなくって。

──でも、どうしても行かなきゃいけないときもありますよね?

松村 はい。そういうときは、レッスン場に入る姿を大人たちに見られないように、かがんでサッと入っていました(笑)。それは私だけじゃなくて他の研究生たちもしていたから!

──そこまで苦痛でしたか……。

松村 だってあの頃の湯浅さんは一部のメンバーにとっては、レッスン場の恐ろしい門番みたいな人でした!

──今はどうですか?

松村 今は全然怖くないです(笑)。いいおじさんって感じ。仲もいいです。

──松村さんがくすぶっていた時代からの転機になったのは、Google+の配信でしょうか?

松村 そうですね。Google+というツールをもらったことによって、自由が手に入ったという感じでした。こういうのは、やったもん勝ちじゃないですか。
Google+以前は、ホントに大変でしたよ。

──どうしてですか?

松村 当時、モバイルメールを1日に20通くらい送ってたら、送りすぎだったみたいで(笑)、1日5通までっていうルールができちゃったんですよ、私のせいで(笑)。今はそんなルールないんですけどね。せっかく手に入れたツールだったのに悔しいって思っていたところにGoogle+ができたんです。

──そんなことがあったんですね。仕事があまりなくて辛い中、SKE48で踏ん張ろうと思った理由は?

松村 私にも意地があるし、何も残せてないのに辞めるのもなぁって。(斉藤)真木子とかが研究生から正規メンバーへ昇格したときと、後輩に新しく6期生が入ってきたときは、まだ研究生という自分の立場に焦ったけど、その頃の研究生公演は充実していたし……。

──本当に心が折れたときはありましたか?

松村 新しくチームEができたときかな。真木子たちが選抜から研究生に降格してきて、後輩である4期生が昇格したときは心が折れていたかも。

──でも辞めませんでした。

松村 ファンの方から手紙や、握手会で頑張ろうって言葉をもらったからですね。本当にファンのみなさんのおかげです。


──SKE48で、1番の思い出を1つあげるとしたら何でしょう?

松村 難しいなぁ。この間の卒業コンサート(2月5日・出身地埼玉県の大宮ソニックシティで開催)も大切な思い出だけど、やっぱりソロシングル『マツムラブ』を販売した日かな? ナゴヤドームの駐車場で、めちゃくちゃ雨の中で売ったのが1番の思い出です。1000枚限定発売だったけど、たくさんの人が来てくれて、すごくうれしかったです。平日だったから徹夜をしてまで来てくれた人もいて。

──加入当初の下積時代を考えると、ソロデビューに卒業コンサートと、どんどん活躍の幅を広げていてすごいですよね。

松村 そうなんです、めちゃくちゃハッピーです! ファンの方たちも「卒コンをできるまでなれたことは十分幸せなことだね」って言ってくれていて。卒業曲をもらえたこと、自分の名前がついたコンサートをやらせてもらえたことがすごくありがたいなって思います。今まで3期生で卒コンをしたメンバーはいなかったし、本当にうれしいです。

──Google+で秋元(康)さんに見つけてもらったことも大きいのでは?(2012年、秋元康氏がGoogle+で、松村という名のスタッフ向けにつぶやいた投稿に、松村香織が即座に反応し、一躍知名度を上げた)

松村 そうですね。Google+というツールが、すごく自分に合っていたなって思います。もし今の時代にSKE48に入ったとしたら、ツイッター、インスタグラム、SHOWROOM……と配信するものがありすぎて無理だったと思う。きっと裏アカを作っていただろうし(笑)。
ガラケー時代でよかったなってホントに思いますよ(笑)。今の子たちは加入したと同時にSHOWROOM配信できる場がもらえたりして、すごく恵まれていると思うけど、その分、競争社会の大変さがあるなって思う。というか、もし今の時代に私がオーディションを受けても、入るの難しそう(笑)。

──では、SKE48時代で、1番悔しかったことは?

松村 スタッフさんに「お前にはチャンスをあげない」って言われたときが1番悔しかったかな。

──そんなことが!

松村 ぐぐたす(Google+)が始まるちょっと前かな? あまり仲が良くないマネージャーさんに言われて(笑)。でも、あの言葉があったから「あなたにチャンスをもらわなくても上へいきます」って強く思えたし、奮起しましたね。

──では、1番悲しかったことは?

松村 金子(栞)が卒業したときは1人でずっと泣いてました。すごく情緒不安定になって。金子は家族の一員みたいなものだったから、もう悲しくて(笑)。

──この先、アイドルを辞めたあとの進路は決まっていますか?

松村 まずは、フリーで活動していこうかなって思ってます。

──応援しています! では本当に最後のメッセージを。

松村 まずはメンバーへ。
私は卒業するけど、SKE48のブランドに傷をつけないように活動していきます。正直、もう1度ナゴヤドームに立ちたかったなって気持ちがあるので、いつかリベンジしてくれたとき、満員のお客さんの前で踊っている後輩を観にいけたらいいなって。とにかく後輩たちにはSKE48で楽しく活動してもらいたい。ファンの方へは、本当にこんなにたくさんいるメンバーの中で、私を見つけてくれて応援してくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。SKE48だから頑張れたし、SKE48にいたからここまで続けられたし、クビにならずによかったなって思っています。あっ! もし今後、私のイベントとSKE48のイベントかぶったら、私を優先してほしいなって思います(笑)。絶対ですからねー!

(『月刊エンタメ』6月号より)
▽はみ出しコラム「松村香織のアイドル人生で一番高い買い物はコレ!」

ドライヤー/4万円
私、口座からお金が減るのが怖いんですよ。だから基本、お金を使いたくない! でもドライヤーだけは、アイドルだしいいモノを使おうと思って買いました。必要経費だと思っていますけどね。でも高いだけあって、髪にはいいかなって。もうハゲたくないし(笑)。

美顔器/4万円
これもアイドルとしての必要経費で買いました。
アイドルは顔が命ですから。あとはヘアアイロンも買いました。もう29歳だし、高級ブランドのバッグとか持った方がいいかなって思うんですけど、やっぱ似合わないかなって思って買えないんですよね。

車の免許取得/25万円
SKE48時代に1番お金を使ったのが免許代です。最初30万円って言われたんですけど、高いから安くして欲しいってお願いしたら25万円になりました(笑)。こう話していたら、私って本当にお金を使っていないかも……。無料でもらえるものなら、なんでももらいたいです(笑)。
▽松村香織(まつむら・かおり)
1990年1月17日生まれ、埼玉県出身。O型。チームKII所属。3期生。山田町ふるさと大使(岩手県)、和光市応援団長。2009年SKE48 3期生オーディションに合格。2013年にはSKE48終身名誉研究生に就任。2015年にチームKIIに昇格。同年の総選挙では13位となり初めてAKB48シングルの選抜入りを果たす。2019年5月2日をもってSKE48を卒業。
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