2025年春に放送されるNHK連続テレビ小説のタイトルが『あんぱん』に決定した。同ドラマは『アンパンマン』の作者・やなせたかし氏と小松暢氏夫妻をモデルにした作品で、あらゆる荒波を乗り越え、『アンパンマン』にたどり着くまでを描いた“愛と勇気の物語”になるという。
そこで今回はドラマの放送に先駆けて、アンパンマンの正義について改めて考えてみたい。

【画像】やなせたかし氏が最後に描いたアンパンマン絵本

『アンパンマン』といえば、悪さを働くばいきんまんに対してアンパンマンが正義の鉄槌を下してこらしめるという、勧善懲悪の物語として受け取られがち。だが、実はその神髄はまったく異なり、やなせ氏独自の価値観が込められていた。

「正義というのは信じがたい。簡単に逆転するんですよ――」かつてやなせ氏は、そう語ったことがある。

1919年生まれで従軍経験がある上、弟を戦争で失っているやなせ氏にとって、おそらく“正義が逆転”するという感覚は痛切なものだったのだろう。戦中に正義とされていた太平洋戦争は、すべてが終わった途端に一転、あっけなく価値観がひっくり返された。

しかしやなせ氏はそれだけにとどまらず、“逆転しない正義”についても考えていた。その考え方は、2013年に刊行された自著『アンパンマンの遺書』の中で綴られている。

その中でやなせ氏は「正義のための戦いなんてどこにもない」と断言し、「逆転しない正義は献身と愛だ」「目の前で餓死しそうな人がいるとすれば、その人に一片のパンを与えること」と自身が思う正義について語っていた。

この言葉を見て、やなせ氏が生み出したヒーロー・アンパンマンの存在を思い出さないわけにはいかないだろう。

アンパンマンは目の前に空腹の人がいれば、迷わず自身の顔を差し出す。
それこそ原作となった絵本のアンパンマンは、顔を差し出しすぎたせいで「首なし」のまま空を飛ぶこともあった。その姿があまりにもショッキングだと、保護者や幼稚園からクレームが殺到したというのは有名な話だ。

だがそんな『アンパンマン』も、今や半世紀以上にわたって愛される作品に。やなせ氏が掲げた“正義”は今もなお現代に生き続けている。

『アンパンマン』は1988年10月にアニメ化を果たし、2023年に放送35周年を迎えた。アニメのなかのアンパンマンもまた、一貫して献身と愛を貫いており、それは宿命のライバルであるばいきんまんに対しても例外ではない。

2018年に公開された映画『それいけ!アンパンマン かがやけ!クルンといのちの星』では、高所から落下するばいきんまんを助けただけでなく、腹の虫が鳴る彼を前に、「ふふふ。ばいきんまんもお腹が空いているんだね」「はい、元気が出るよ」と躊躇うことなく自分の顔を差し出していた。

結局ばいきんまんは苦渋の末、アンパンマンの顔を食べることはなかったが、クライマックスで見せたばいきんまんの行動には多くの観客たちが涙を誘われたことだろう。

また、アンパンマンは決して強いヒーローではない。戦いの際には決まって顔が汚れて力が出なくなり、誰かの力を借りて復活を遂げるのがお決まりのパターン。それでも目の前に困っている人がいれば、相手が誰だろうと助けに行く。
顔が汚れるリスクがあろうとも、迷わず飛び込んでいくのがアンパンマンなのだ。

再びばいきんまんの話になるが、「アンパンマンとイタイノトンデケダケ」というエピソードでは、アンパンマンが究極の選択に迫られる一幕があった。食中毒になったみんなを助けるために必要なイタイノトンデケダケを取るか、目の前で溺れているばいきんまんを助けるか……。アンパンマンが出した答えは、後者だった。

これによりアンパンマンは疲れ果てて気絶してしまうが、この後ばいきんまんは「お前は本当にお人好しだよな」と悪態をつきながらも、代わりにイタイノトンデケダケを探しに行く。アンパンマンの正義が、イタイノトンデケダケを独り占めしようとしていたばいきんまんの心を変えた瞬間でもあった。

こうして振り返ってみると、アンパンマンの正義には善も悪も存在していないように思える。ばいきんまんが悪さをすればアンパンチをお見舞いしているが、本当にばいきんまんを悪とみなし、やっつけたいのであれば出会い頭にアンパンチすれば済む話だろう。

しかしアンパンマンはそうしない。1998年発売の『アンパンマン大研究』によれば、アンパンマンがすぐにばいきんまんをアンパンチしない理由は「ばいきんまんの悪事をとめるのが目的で、やっつけることが目的ではないから」だそうだ。これだけでも『アンパンマン』という物語が、単に暴力で悪を排除する話ではないことがわかるはず。

そんな『アンパンマン』にたどり着くまでに、やなせ氏はどのような荒波に揉まれ、その目で何を見てきたのか。
今から『あんぱん』の放送が楽しみでならない。

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