11歳で芸能活動を始め、モデル、俳優などのキャリアを積み、高校3年生で青年誌のミスコンでグランプリを受賞。恵比寿マスカッツでの活動を経て、現在はタレント業の一方で、プロ雀士としても活躍する篠原冴美。
多岐に渡って活動を続ける彼女だが、ここに至るまでは最愛の人の死、貧苦に喘ぐ日々、グラビアや男性に対する不信感など、様々な艱難辛苦があった。20年間に渡る芸能活動を紐解く。(3回連載の2回目)>>1回目、2回目は下の関連記事からご覧ください。

【写真】プロ雀士としても活躍、篠原冴美の撮り下ろしカット【11点】

2013年4月7日、恵比寿マスカッツの解散コンサート「女の花道~卒業式~」を舞浜アンフィシアターで開催した。その日で現役メンバー30人全員が卒業するということで、ある人と再会することになった。

「恵比寿マスカッツの卒業が決まった後に、グラビア活動を再開すると決断して。
すでに今の事務所に移籍することが決まっていたので、新たなスタートを切る前に、グラビア時代のマネージャーさんにお会いして、お礼と謝罪をしたいと思ったんです。お父さんとお母さんの件もあったので、自分が間違ったことをしたなと思う人たちに対して、ちゃんと本心を伝えたかったんです。そしたら、私に内緒で解散コンサートに呼んでくれていたんです」

解散コンサートの前日、同じ舞浜アンフィシアターで「女の花道~前夜祭~」を開催した。その本番中、舞台裏で衝撃的なことを耳にする。

「出番の合間に楽屋裏にいたら、『篠原には言うな』というマネージャーさんと他のタレントさんの会話が聞こえてきたんです。それで聞き耳を立てたら、私の元マネージャ―さんが事故死したと……。
号泣しました。またお父さんのときと同じように、謝ることができないまま突然の別れが訪れて。葬儀に参列させていただいて、そこで謝罪はさせてもらいましたが、直接お話できなかったのは今も後悔していて。でも私がグラビアで頑張ることが、元マネージャ―さんへの恩返しだと思って、改めて一からグラビアを始める決意を固めました」

新天地でグラビア活動を始めるにあたって、事務所には男性が苦手で、以前はグラビア撮影のときに涙を流したこともあると伝えた。事務所側も本人の意思を尊重して仕事を選び、マネージャーは女性が担当することになった。

「自分から望んで再開したグラビア活動なのに、やっぱり水着になって、カメラを向けられると泣いちゃうこともあるんです(笑)。
やる気はあるんですけど。マネージャーさんは『泣いてまで、やらなくていい』って言ってくれるんですけど、このまま逃げ出したくない、という思いが強くて、『いいえ、やらせてください!』とお願いして。グラビアが心の底から楽しいと思えるまでは辞めたくないという思いで続けました」

2018年12月3日にリリースした10作目のイメージDVD撮影で変化が訪れる。

「撮影が終わった後に、マネージャーさんから『今日は泣かなかったですね』と言われてハッとしたんです。グラビアを始めた頃は、高校生だったので周りから白い目で見られましたし、そもそも目立つことが嫌でした。でも年齢を重ねて、周りには芸能をやっている子しかいなくなって、過剰に周りの目を気にしなくなっていたんですよね。
ファンも恵比寿マスカッツをきっかけに知ってくれた方が多くて、グラビア活動も応援してくれている。だから時間と共に、水着姿を撮られることに慣れていったんでしょうね。徐々に男性と1対1で話すのも平気になりました」

グラビアに対する苦手意識を乗り越えたことで、イメージDVDは2020年1月25日にリリースした『プロフェッショナル』でラストにした。同じ年にはクラウドファンディングで資金を募って写真集を制作した。

「私はファンが大好きなんです。みんなめちゃくちゃ優しいし、ファン同士も仲が良いんですよね。
私がグラビアを苦手にしていたのも知ってくれていて、その上で応援してくれる。そんなファンの方々に、もっと楽しんでもらいたいという思いから、写真集を出そうと考えて。私は常に自信がないタイプなので、毎日不安だったんですが、ファンの方々が応援してくれたおかげで無事に達成できて。制作した写真集は満足のいく内容になって、かつ写真展も開催できて。そのときに心からグラビアが楽しいと思いましたし、達成感もありました」

現在はタレント活動を続けながら、プロ雀士としても活躍。今はMリーガーを目指して、日々腕を磨いている。


「私にとっての天職がプロ雀士だと思っているんです。お父さんも麻雀が大好きだったし、お母さんも家に自動卓があるぐらい麻雀が好きで、私が放送対局に出るときは、仕事を休んででもリアルタイムで見てくれています。私は女流リーグに参加しているんですが、当面の目標はタイトルを一つ獲ること。そして念願のMリーガーになることです。

Mリーガーという目標は前からあったんですが、恥ずかしさと、自分にはおこがましいという気持ちがあったので言えなかったんです。でも言霊ってあるし、伝えることによって応援してくれる方もいるだろうし、結果を出せば選ばれる可能性もある。もしかしたらメディアに出るお仕事も少しは関係するかもしれないのかなと思ったんです」

父親が逝去して19年が経つ。もともと乗り気ではなかった芸能活動を続けられたきっかけは、生前に父親が遺した「冴美には芸能界で頑張って欲しい」という言葉だった。

「お父さんが亡くなって20年近く経って。今はお父さんのために芸能活動をやっている感覚よりも、応援してくれているファンの方がいるから頑張りたいという気持ちが強いんです。二十代のときは目標を失って、お母さんに泣いて相談したこともありました。

私を応援してくれるファンの方がいなかったら、おそらく芸能のお仕事は辞めていたと思います。だから今も、いろんなことに挑戦したいと思えるのはファンの方のおかげ。うれしいことがあったときに、一緒に喜んでくれる人たちがいるという環境ができたことが、この20年間、芸能活動をやってきて一番幸せなことです」

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