【写真】著書でこれまでの半生を綴った中山秀征
デビューしてまもなくお笑い第3世代の勢いに圧倒された僕たちABブラザーズですけど、当時、特に関西の人たちはすごくストイックだった印象が残っていますね。プロレスで言うと、UWFスタイルみたいな匂いがしました。隙あらば関節技で極めてくるようなイメージ。それも秒殺でね。
僕は新日本(プロレス)育ちだから、根底には受けの美学があった。たとえ相手が弱かったとしても、60分フルタイムで闘うという“風車の理論”ですよ。こっちは相手の技もしっかりもらうつもりでリングに上がっている。だけど彼ら関西の芸人は「誰が一番面白いのかゴチャゴチャ言わんと決めたらいいんや!」とギラギラ目を血走らせているわけです。
そうした中、今ちゃん(今田耕司さん)と『殿様のフェロモン』(フジテレビ系)で一緒にMCをやったんだけど、始まる前から向こうはピリピリしていました。ものすごい臨戦態勢だった。
だけどそれから10数年後に今ちゃんから連絡が来て飲みに行ったんですよ。そこで言われたのは「あのとき、テレビのことを知っていたのは秀ちゃんだけだったよ」ということ。「今、俺はあの頃の秀ちゃんと同じことを番組でやっているんだ」ってしみじみ語るわけですね。ちょっとその告白は感慨深いものがありました。
それと大きいのは、テレビを取り巻く環境が大きく変わったということなんですよ。僕らがテレビに出はじめた時代というのは、まだテレビに“作り物”があった。志村けんさんはもちろんだけど、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)の流れがあって、ダウンタウンやウッチャンナンチャンもちゃんと作り物をやっていましたし。毎週、会議を重ねてネタ作りをやっていた。きちんと作り物をやることが評価軸として存在していた。
だから僕らがやり始めた『DAISUKI!』(日本テレビ系)は「ただ遊んでいるだけの場面を垂れ流しやがって。フザけてるのか!」って大ブーイングでした。
『DAISUKI!』に関しては、ひそかに苦労もしたんです。当時はそんなこと、表には出しませんでしたが。例えば、1本撮るのに11時間くらいカメラを回し続けた回もあったくらいで、ダラダラ遊んでいるだけに見えたかもしれませんが、11時間カメラの前で「遊ぶ」のも、結構疲れるものなのです(笑)。しかも、それを毎週やる。台本なんてほとんどない中で。今考えても、飯島直子さんと松本明子さんはすごかったと思います。本当に感謝しています。
今、若いテレビマンが「令和版の『DAISUKI!』を作りたいです」なんて言ってくれるようになったけど、当時は“お笑い=作りこんだ物”という価値観でみんなが動いていたわけで。僕も本音としては「パチンコが出るまで何時間かかると思っているんだ! 生半可な気持ちじゃできないんだよ!」という気持ちがあったけど(笑)、それを口にしたら負け惜しみみたいになっちゃいますからね。
そうした批判の中で一番大きかったのは、ナンシー関さんでしょうか。ナンシーさんは、僕のことをめちゃくちゃよく観察してくれましたた。本当に書いてある内容が鋭かった。最初に『週刊文春』のコラムで書かれたときは、マネージャーが教えてくれたんです。「お前、ナンシー関にいろいろ書かれてるぞ」って。同時に「これは相当深くお前のことを見ていないと書けない内容だな」とも言われました。
そこからは節目節目で中山秀征について書いてくれるようになりまして。僕としては「そんなシリーズで書くことがあるのかな?」と思いつつも、それはそれでありがたいという気持ちもありました。もちろん辛辣な内容ばかりでしたけど(笑)。何回も僕のことを批判した挙句、「これで中山秀征について触れるのは最後にする」と書かれたときは、むしろ寂しい気持ちになりましたね。
そして今はSNSの時代になりました。
番組を最後までちゃんと見た上で、「今日もつまらなかった」などと批判している場合は、無視されるより良いんじゃないかと僕は思っています。一気に仕事を失った時期があった僕としては、この仕事をやる上で、誰からも突っ込まれないという状況のつらさを身に染みて感じているので。
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