2000年代初頭。誰もがハロー!プロジェクトの曲を知っていた、あの頃。
中でも、ハロプロ──モーニング娘。を愛してやまないディープな“モーヲタ”が放っていた熱量はある種異様だった。当時のファンのリアルを知る吉田豪と、それを自伝的漫画『あの頃。男子かしまし物語』に落とし込んだ劔樹人(つるぎ・みきと)に、改めて“あの頃”の異様さを語ってもらった。
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──『あの頃。』映画化のポイントは、普通の「アイドルファン」ではなく、当時の「モーヲタ」を描いている点にある気がします。

劔 本当にその通り。そこは原作者としても非常にこだわっているポイントですね。ともすると、ドラマや漫画の中のアイドルヲタク描写って画一的じゃないですか。そういうのって当時を知っている人からは見透かされちゃいますから。「ダメだ。
これはリアルじゃない」って。

吉田 そのへんは劔くんが関わっている以上、大丈夫だろうとボクは信じているんですけどね。すごいなと思ったのは、「この時代のサムライさんって、どんな恰好をしていましたっけ?」というメールをボクに送ってきたとき。「そこまで徹底して時代考証しているんだ!」って感動しましたから。でも言われてみたら当時のサムライは短パン姿ではなく、ミニモニ。の子供用衣装をピチピチの状態で着ていたんです。あるいはPOLYSICS(※11)みたいなツナギのパターンもあった。

──それは確かに大きく違いますね(笑)。

吉田 そういえばこの間コンバットREC(※12)と話していて思い出したんですけど、当時のサムライってそこまで奇抜な人ではなかったんですよ。あのときは特殊な人揃いだったから、特殊な人の1人でしかなくて、わりと埋没していたんですよね。

劔 確かに見るからに異様な人が多かった! 今のヲタクカルチャーにないものとして、まず写真を着ていましたよね。ベタベタ洋服に生写真を貼り付けて歩いていた。


──タワーレコードの嶺脇育夫社長も、アイドルファンになったきっかけはヲタクの存在が大きかったと発言しています。爆音娘。や『BUBKA』系のトークライブにも顔を出していたようですし。

劔 僕もその要素はかなり強いですよ。単純に面白い人がたくさんいるという印象があって。

吉田 みんな熱かったですからね。ケンカしている姿も楽しそうに見えた。思想の違いも含めて面白いじゃないかという感覚ですよ。

──当時を知らない人からすれば、「何で同じものを好きな人同士でケンカしているの?」って意味が分からないはずです。

劔 まぁ当時のモーヲタのノリは学生運動みたいなところがありましたから(笑)。野望と挫折に彩られた青春の季節というか。

吉田 その中でも大きかったのは、矢口真里のスキャンダルじゃないかな。
かなり雑な扱いで脱退していく矢口さんに対して、「問題を起こしたとはいえ、あれだけの功労者。最後はきちんとした形で卒業させるべきだろう」というのが『BUBKA』一派の主張だったんです。要するに事務所の姿勢に対して憤っていた。

劔 大阪だと『あの頃。』にも出てくるコズミン(※13)が同じ意見の持ち主でしたね。だからコズミンはアップフロントの前で座り込みをしようとしていたんです。ハンストしたガンジーみたいなものですよ。

吉田 怒りを抑えきれない『BUBKA』一派に対して、その頃になるとビバ彦さんは日和見主義者的になって距離を置いていた。「今はせっかく盛り上がっているんだから。そこに水を差すのはよそうよ」という大人の対応ですよね。対する杉作さんは「今は石川梨華の卒業が一番大事。そこは今、触れるな!」という見解。
見事なまでに思想の違いが浮き彫りになっていたんです。

劔 大阪組にはそのへんの状況が伝わってこないから、「最近の杉作さんはおかしい! 本来なら一緒に座り込みしてくれるはずじゃないか!」と戸惑っていましたね。

吉田 とはいえ矢口さんはそのあとも事務所に残って活躍していたし、いろいろあったけど今も頑張っている。すごく温情的でタレントに優しい会社だと思いますよ、アップフロントは。

──『LOVEマシーン』の大ヒットが1999年。その後もモーニング娘。はメガヒットを連発しましたが、2002年のハロマゲドン(※14)を機に勢いが減速します。『あの頃。』の時代背景は、全盛期を少し過ぎたタイミングなんですよね。

劔 だからヲタクたちもふるいにかけられて、濃い連中が残った印象があります。もっとも僕自身はハロマゲドンのあとからハマった人間だから、完全に新参者。『LOVEマシーン』時代の熱狂を知らないから比較ができないんですよね。
それに世間で売れようと売れまいと、現場で応援する側からするとどうでもよかったという印象があります。

吉田 娘。の勢いが落ちてきたあと、フットサルに流れた人は多かったですね。もしくはBerryz工房℃-uteのハロプロキッズ。闘いを求めるフットサル派と、子供が好きなキッズ派。ここでも分断が見られるわけですよ。

劔 あとは当時、メロン記念日も勢いがありましたね。ライブを観ると、本当にBRAHMANみたいな初期衝動があって。今WACKのアイドルがウケているのを見ると、メロンの功績は大きかったなと思います。ももクロの大ブレイクもメロンありきの話だと僕は考えていますし。

吉田 メロンには『This is 運命』というキラーチューンがあって、それが爆音娘。で流れまくっていたんですよ。
ライブでもモッシュする人が続出していたけど、あれはDJイベントから生まれた熱だったと思う。

劔 爆音娘。は本当にすごいイベントでした。僕はバンドをやっていることもありハードコア系のライブもかなり観ている方なんですけど、爆音娘。ほど凶暴に盛り上がっている現場を他に知らない。何せヲタ汁というのがありましたからね。大人数が一斉に暴れて汗をかくものだから、それが水蒸気となり、天井に溜まって、ポタポタと落下してきて……。その騒ぎは延々と朝まで続く。とんでもないことですよ。

──改めてお伺いします。あの頃、なぜみんながあそこまでハロプロに熱狂したのでしょうか?

劔 遅れてきた青春……ということなのかな。すごく素敵な思い出として、今も心の中に残っているんです。写真のような状態で、ふといろんな場面を思い出すんですよね。遠征した帰り、駐車場に向かうときのみんなの背中とか……。

──当時のモーヲタ文化が映画になるということは、そこにニーズがあると考えた人がいるということでしょうか?

劔 いや、そういうことではないと思います。これはアイドルを応援する若者たちの青春の物語だし、どこにでもあるような普遍性が映画関係者の目に止まったんじゃないかな。映画の公開はまだだいぶ先だけど、当時を知らない人やアイドルに興味がないが人が見ても楽しめる作品にきっとなるはず。僕自身が一番できあがるのを楽しみにしています。

(取材・文/小野田衛)
▽劔樹人(つるぎ・みきと)
1979年5月7日生まれ、新潟県出身。ベーシストであり漫画家。妻はエッセイストの犬山紙子。ハロヲタ夫妻として、ファンからも親しまれている。
Twitter:@tsurugimikito

▽吉田豪(よしだ・ごう)
1970年9月3日生まれ、東京都出身。プロ書評家、プロインタビュアー。タレント本やグッズの収集家としての一面もあり、「サブカル界のスーパースター」の異名もとる。
Twitter:@WORLDJAPAN
※11:1997年に結成され現在も活躍するニュー・ウェーヴ・テクノポップ・ロック・バンド。ディーヴォに強い影響を受け、目隠し線を模したバイザーとつなぎ姿が特徴。
※12:映像コレクター、ビデオ考古学者。『BUBKA』人脈と関りが深く、サブカル界の重要人物としてメディアにも登場する。
※13:『あの頃。 男子かしまし物語』ではメインキャラとして活躍。(コズミンは映画での役名)
※14:「後藤真希保田圭のモーニング娘。卒業」「タンポポ・プッチモニ・ミニモニ。の解体&再編成」「平家みちよのハロプロ卒業」など、2002年に行われたハロー!プロジェクト内の大規模な人事異動。
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