今月の歌舞伎座は、3大名作ダブルキャスト・通し上演シリーズの第2弾で、『菅原伝授手習鑑』。世代交代期にあるので、約30が初役という新鮮さも見どころで、若手が大舞台で大役を得て躍動している。


 しかし最大の注目点は、若手ではなく、大御所、片岡仁左衛門の菅丞相である。毎年のように上演される『寺子屋』と異なり、菅丞相が登場する『筆法伝授』『道明寺』は5年に1度くらいしか上演されない。そしてここ30年、菅丞相は仁左衛門しか演じていない。年齢からして、何度も演じる機会はないだろうと誰もが思うのか、チケットはすぐに売り切れていた。ダブルキャストの幸四郎としては、複雑だろうがこればかりは、仕方がない。


 それにしても、30年間、他に演じる人がいなかったのは、仁左衛門には何の責任もないが、芸の継承という意味から、よいことではなかった。仁左衛門が元気なうちに、とりあえず、次世代に伝えることができたのは、なぜ幸四郎なのかはともかく、よいことだ。


 仁左衛門の菅丞相は、演じるという次元を超えている、神がかっているとさえ評される。仁左衛門も天神様を演じるからと、公演中は牛肉や酒を口にしない精進潔斎をしてつとめると語り、この役の神秘性を高めている。それもあって、畏れ多くて誰も演じようとしなかったのかもしれない。


 観客も「仁左衛門の菅丞相」については、神様を拝みに行くような感覚になっていた。だが、幸四郎は「牛肉は食べない」と言うだけで、精進潔斎はしないと言う。

そのせいか、幸四郎の菅丞相は、太宰府ではなく、近所の神社に行くような感じだった。


 その結果、『道明寺』は「神聖な奇跡の舞台」という先入観が吹き飛び、母による娘へのDVに始まり、死体なき殺人事件、死体発見から犯人の特定、時刻操作のトリック、人形を使った替え玉トリックなど、通俗的なミステリーなんだと再発見できた。これは単純に面白いのだ。誰も仁左衛門のようにはできないのだから、神聖なものと構えずに、もっと気楽に上演したほうがいいのではないだろうか。


 次世代での菅丞相のもうひとりの候補が菊五郎(8代目)で、『道明寺』で輝国を演じている。仁左衛門とこの役で共演するのは今回が2度目。同じ舞台に立ち、「その時」に備えて仁左衛門を凝視している。


 菊五郎は他に、「賀の祝」の桜丸をつとめている。動きがない役なので、表情と声のトーンの変化だけで、後悔と絶望と、そのなかでの救済と諦念といったさまざまな感情の揺れ動きを、切々と描き切る。菊之助時代は情が薄かったが、襲名した効果なのだろうか、静かな熱演だった。次は、菊五郎の菅丞相を見たい。 


(作家・中川右介)


編集部おすすめ