「世界で最も安全な国の一つ」――かつて中国はそう自負していた。しかし今、その神話は音を立てて崩れつつある。
市民を狙った無差別殺傷事件が各地で相次ぎ、治安の空気は一変した。2024年、日本人学校の児童が犠牲となった悲劇は記憶に新しいが、その後も事態は沈静化せず、むしろ「社会への報復」という新たな暴力の形が広がっている。

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 「社会への報復」という心理

 海外の有志がSNS情報を集計したところ、無差別殺傷などの事件は2023年に23件、翌24年には56件、25年も52件と高止まりしている。数字以上に衝撃的なのは、その動機だ。特定の相手への恨みではなく、見知らぬ通行人や児童を車で撥ねたり刃物で襲う「無差別型」が目立つ。個人の不満が社会全体への憎悪へと転化する――それが「社会への報復」という心理である。

 1970年代の中国は経済的に貧しかったが、子供が一人で通学しても拉致や殺傷を恐れる空気はなかった。対照的に現代の中国では、小学校の門前が送迎の保護者で埋め尽くされる。経済発展を遂げたはずの社会で、なぜ安全が失われたのか。

 格差が生む絶望

 第一の要因は、極端な格差だ。社会不安が警戒されるラインは「0.4」とされるが、中国は政府公表値で「0.475」、大学研究チームの推計では「0.6」に達する。暴動危険水域を大きく超えている。


 不動産バブル崩壊後、中間層から転落した人々の不満はマグマのように蓄積し、持たざる者の絶望を深めている。

 閉ざされた救済の窓口

 格差以上に深刻なのが司法の不全だ。地方政府の不正を中央に訴える「信訪(陳情)」制度は形骸化し、地方首長は陳情者を力ずくで阻止する。警察官による暴行や行政の不作為に直面しても司法に訴える道は閉ざされ、相談窓口すら排除される。

 行き場を失った弱者は、尊厳回復の最後の手段として暴力に走る。かつて上海で警察官を襲撃した青年がSNSで一部から英雄視された事例は、権力への反発が社会の深層に共有されていることを示す。

 「圧力鍋」の社会

 当局は「安定維持」を掲げ、情報遮断と物理的制圧を強めている。しかしそれは、圧力鍋の蓋を押さえつけているようなものだ。真の治安回復には、透明性ある所得再分配と、弱者が正当に権利を主張できる法的担保が不可欠だ。不満を健全に吐き出せる仕組みがなければ、「絶望の報復」は止まらない。

 在留邦人や進出企業も「安全な中国」という前提を捨て、日常の移動や学校周辺での安全確保にかつてない警戒心を持つ必要がある。治安神話の崩壊は、もはや遠い国の話ではない。

【編集:af】
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