京都から平家を追い払ったものの、逆賊とされて非業の最期を遂げてしまった木曽義仲(演:青木崇高)。人質として鎌倉に預けられている義仲の嫡男・源義高(演:市川染五郎)も、このままではすみません。


NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第17回放送、サブタイトルは「助命と宿命」。何としてでも義高を助命して欲しい人々の思いと、逃れ得ぬ義高の宿命が描かれることでしょう。

今回は『吾妻鏡』の記述より、義高の末路を紹介。大河ドラマ観賞の予習になればと思います。

■女装して、鎌倉を脱出した義高

時は寿永3年(1184年)1月20日、近江国粟津(現:滋賀県大津市)で義仲らが討ち取られました。

大姫(演:落井実結子)の婿という建前により、鎌倉で人質になっていた義高の立場が一気に悪化したことは言うまでもありません。


「きっと鎌倉殿は、後日の憂いを断つべく、自分を殺そうとするに違いない」

なんせ源頼朝(演:大泉洋)自身が、20年の歳月を経てもなお平家に父を討たれた復讐を忘れず、ついには兵を挙げたのですから。

たとえ義高が「決して謀叛など起こしません、父の仇を討とうなどと思いません」と誓いを立てたところで、頼朝が信じるはずもないでしょう。

一方の頼朝は頼朝で、義高の扱いに困っていました。

「鎌倉殿の13人」処刑を命じられる義時。源義高の運命やいかに...の画像はこちら >>


父の仇討ちを誓う?義高。歌川芳虎筆

「今すぐ冠者殿(義高)を討つのはたやすいこと。しかし、一方的に弱者を殺すというのは、どうにも外聞が悪くてかなわん」

あくまでも義高から先に手を出して(討たれてもしょうがない、つまり誅殺の大義名分となる行動を起こして)欲しい……という訳で、頼朝は「自分が義高を討とうとしている」という噂をわざとリークします。


危機感を覚えた義高が鎌倉を脱出すれば、頼朝としては「婿殿が謀叛を起こそうとしているに違いない」と、討ち取る大義名分になるからです。

いくら義高が「鎌倉殿が自分を討とうとしているから、やむなく脱走しただけ」と言おうと、あくまで確証のない噂に過ぎません。

よし、この手で行こう……さっそく頼朝は御家人たちを通じて、まことしやかな噂を蔓延させました。

「このままでは、冠者様が殺されてしまう!」

「鎌倉殿の13人」処刑を命じられる義時。源義高の運命やいかに…第17回放送「助命と宿命」予習


大姫の手引きで、鎌倉を脱出する女装義高。歌川国貞筆

女房たちから噂を聞かされた大姫はいてもたってもいられず、義高に鎌倉から脱出するよう促します。

「とは言え、御所は警固が厳重だから、どのように逃げ出せば……」

そこで義高は大姫や女房たちの協力を得て、女装することに。
女性に対しては警戒の目も緩むはず……大河ドラマの第1回「大いなる小競り合い」エンディングを思い出しますね。

「これからは、冠者殿を姫と呼ぶように!」

と言ったかどうだか、女房たちに囲まれながら御所を脱出した義高は遠くにつないでおいた馬で鎌倉を発ちました。馬蹄の音で気づかれぬよう、蹄を綿を包んでおく念の入れよう。女性らしい気遣いも忘れません。

■どうかご無事で……大姫の願いも虚しく

「鎌倉殿の13人」処刑を命じられる義時。源義高の運命やいかに…第17回放送「助命と宿命」予習


決死の覚悟で義高の身代わりとなった海野幸氏。『英雄百首』より

その一方で、義高の「影武者」として信濃国からつき従ってきた海野幸氏(演:加部亜門)が義高の寝所に入ります。


【鎌倉殿の13人】源義高は女装し脱出!決死の覚悟で身代わりになった海野幸氏の活躍ぶり

「ふむ……冠者殿はお休みのようじゃな」

同い年で背格好も似ていたのでしょう。人の気配がある≒義高はまだ逃げていないと見張りの御家人たちも油断していました。

でも、そんなの翌朝にはバレるんじゃ……と思ったら、夜が明けてからも幸氏はひとりで双六遊びを始めました。

第15回「足固めの儀式」で、梶原景時(演:中村獅童)と上総介広常(演:佐藤浩市)がプレイしていたあのゲーム。現代のバックギャモンに近いルールのようです。

いつも義高がそうしていたから、日中一杯はバレなかったとか……しかし朝から晩までずっと一人でサイコロを振り続けるのは、いくら主君(義高)のためとは言ってもかなりしんどかったのではないでしょうか。


「鎌倉殿の13人」処刑を命じられる義時。源義高の運命やいかに…第17回放送「助命と宿命」予習


双六に興じる様子。基本的には二人でプレイする(イメージ)

また、義高も日ごろはかなり「ぼっち」だったのではないかと心配してしまいます(独り時間を楽しめるタイプだったのかも)。

ともあれ、そんな猿芝居も夜になればさすがにバレて、義高の脱走が発覚。頼朝は激しく忿怒して幸氏を捕らえて投獄しました。

「者ども、冠者殿が逃げたぞ……必ずや木曽殿の怨みを晴らすべく、この鎌倉へ仇なすことは必定!ただちに捕らえよ。抗うならば生死は問わぬ!」

頼朝の命により「待ってました」とばかり堀藤次親家(ほり とうじちかいえ)が方々へ軍勢を繰り出します。


「あぁ、どうかご無事で……」

大姫たちの必死な願いもむなしく、義高は入間河原(現:埼玉県狭山市)まで逃げたところで親家の郎従・藤内光澄(とうない みつずみ)によって討たれてしまいました。

「このことは、くれぐれも内密にせよ……」

「鎌倉殿の13人」処刑を命じられる義時。源義高の運命やいかに…第17回放送「助命と宿命」予習


病床に伏してしまう大姫。菊池容斎『前賢故実』より

大姫にショックを与えぬよう配慮したつもりでしたが、人の口に戸は立てられぬもの。間もなく義高の死を知ってしまった大姫は、水さえ飲めぬほどに衰弱してしまいます。

「冠者殿を討つに当たって、御心苦しいこともあったでしょう。しかし、姫に配慮のなかったあの男は許せませぬ!」

愛娘の痛ましい様子に政子は大激怒。頼朝に詰め寄った結果、6月27日に藤内光澄を梟首(きょうしゅ。さらし首)に処させたのでした。

■終わりに

【義高の脱走】

元暦元年四月小廿一日己丑。自去夜。殿中聊物忩。是志水冠者雖爲武衛御聟。亡父已蒙 勅勘。被戮之間。爲其子其意趣尤依難度。可被誅之由内々思食立。被仰含此趣於昵近壯士等。女房等伺聞此事。密々告申姫公御方。仍志水冠者廻計略。今曉遁去給。此間。假女房之姿。姫君御方女房圍之出郭内畢。隱置馬於他所令乘之。爲不令人聞。以綿裹蹄云々。而海野小太郎幸氏者。与志水同年也。日夜在座右。片時無立去。仍今相替之。入彼帳臺。臥宿衣之下。出髻。日闌之後。出于志水之常居所。不改日來形勢。獨打雙六。志水好雙六之勝負。朝暮翫之。幸氏必爲其合手。然間。至于殿中男女。只成于今令坐給思之處。及晩縡露顯。武衛太忿怒給。則被召禁幸氏。又分遣堀藤次親家已下軍兵於方々道路。被仰可討止之由云々。姫公周章令銷魂給。

※『吾妻鏡』元暦元年(1184年)4月21日条

【義高の最期】

元暦元年四月小廿六日甲午。堀藤次親家郎從藤内光澄皈參。於入間河原。誅志水冠者之由申之。此事雖爲密議。姫公已令漏聞之給。愁歎之餘令断漿水給。可謂理運。御臺所又依察彼御心中。御哀傷殊太。然間殿中男女多以含歎色云々。

※『吾妻鏡』元暦元年(1184年)4月26日条

「鎌倉殿の13人」処刑を命じられる義時。源義高の運命やいかに…第17回放送「助命と宿命」予習


木曽義高の墓(鎌倉市大船)。端午の節句が近いので、鯉のぼりが供えられている。筆者撮影

【政子の怒り】

元暦元年六月小廿七日甲申。堀藤次親家郎從被梟首。是依御臺所御憤也。去四月之比。爲御使討志水冠者之故也。其事已後。姫公御哀傷之餘。已沈病床給。追日憔悴。諸人莫不驚騒。依志水誅戮事。有此御病。偏起於彼男之不儀。縱雖奉仰。内々不啓子細於姫公御方哉之由。御臺所強憤申給之間。武衛不能遁逃。還以被處斬罪云々。

※『吾妻鏡』元暦元年(1184年)6月27日条

以上、『吾妻鏡』より源義高の最期を紹介しました。これ以降、大姫は病いがちとなり、20歳で儚い生涯を終えるまで義高を想い続けます。

「鎌倉殿の13人」処刑を命じられる義時。源義高の運命やいかに…第17回放送「助命と宿命」予習


義高の墓よりほど近くにある姫宮塚。一説には大姫の墓とも(北条泰時の娘の墓とされている)。筆者撮影

平安時代の悲劇のヒロイン、源頼朝の長女「大姫」その悲恋と貞操の生涯(上)

ちなみに脱走の影武者となった海野幸氏ですが、命懸けで忠義を尽くしたことが高く評価され、御家人として活躍しました。

さて、悲劇が相次ぐ本作では、どのようなアレンジが加えられるのでしょうか。次回放送も目が離せませんね!

※参考文献:

  • 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 2平氏滅亡』吉川弘文館、2008年3月
  • 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 前編』NHK出版、2022年1月
  • 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月

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