■前編のあらすじ

後鳥羽上皇、ついに挙兵!北条義時の義兄弟・伊賀光季の壮絶な最期・前編【鎌倉殿の13人】

時は承久3年(1221年)5月14日。鎌倉討伐を図る後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)の誘いを断ったために、討伐を受けることとなった京都守護の伊賀光季(いが みつすえ)。


決死の覚悟を固めた光季は嫡男の寿王(じゅおう)改め伊賀光綱(みつつな)に逃げるよう命じますが、光綱は武家の男児として父と最期を共にする覚悟を告げます。

夜が明けて5月15日、いよいよ光季ら27名は朝廷の討伐軍を迎え撃つのでした。

■贄田四郎の作戦を採用、朝廷の大軍を迎え撃つ

さて、攻め寄せる朝廷方の大将は藤原秀康(ふじわらの ひでやす)・三浦胤義(みうら たねよし)をはじめ大江親広(おおえ ちかひろ)・佐々木広綱(ささき ひろつな。佐々木定綱の嫡男)・佐々木高重(たかしげ。佐々木経高の嫡男)・五条有範(ごじょう ありのり)・小野盛綱(おの もりつな)・肥後前司有俊(ひごのぜんじ ありとし)・糟谷有長(かすや ありなが)・間野時連(まの ときつら)など800余騎。

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攻め寄せる朝廷方の軍勢(イメージ)

これを見て、郎党の贄田三郎(にえだ さぶろう)が光季に進言します。


「ここはすべての門を開いて敵をありったけ入れた中へ殴り込み、思い切り暴れまわって最期を飾りましょう」

それに対して、弟の贄田四郎(しろう)が反対意見を出しました。

「小門のみ開けばそこから敵は入って来ます。雑魚は弓で狙い撃ちするとして、名のありげな者だけ中へ入れて一騎討ちで雌雄を決するべきではないでしょうか」

光季は贄田四郎の献策を採用、小門を開けたところ、まず入って来たのは三浦胤義の家人で信濃国の住人・志賀五郎(しが ごろう)。黒革縅の鎧をまとい、葦毛の馬を颯爽と駆ります。

これを贄田三郎が射たところ、矢は馬腹に当たったため馬が暴れ出し、志賀五郎は逃げ出しました。

続く二番手のこれまた胤義の家人である岩崎右馬允(いわさき うまのじょう)、これは贄田右近(うこん)の矢が馬の股(おそらく後ろ足)に命中して退きます。


三番手の岩崎弥太郎(やたろう。恐らく右馬允と同族)も、今度は籠手を射られたため退却しました。

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一人ずつ敵を狙い撃ち(イメージ)

このままでは埒が明かない……四番手には三浦一門の高井時義(たかい ときよし)が進み出て、何とか館の奥深くまで突入できたはいいものの、左股と右籠手を射られて退却。

小門から少人数を入れれば、館の内にいる伊賀勢の方が数で有利……朝廷方の大軍を前に光季らは善戦していました。

■烏帽子親・佐々木高重に矢を「お返し」する光綱

「何チンタラやってるんだ、いい加減にしろ!こんなに数がいるんだから、正門をぶち抜いてなだれ込め!」

敵方からこんな罵声を聞いた光季は、力押しに破られるくらいなら、いっそこっちから開けてやれと治部次郎(じぶ じろう)に命じます。

「バカめ、向こうから開けてくれたぞ!」

大門が開かれると、朝廷方は我先にと館の中へ乱入しました。


「我こそは間野左衛門尉時連、いざ尋常に勝負せぇ!」

黒革縅の鎧に白葦毛の馬に跨り、光季の姿を探します。

「どこを見ている。我はここぞ!」

館の奥から現れた光季が矢を射かけると、恐れをなした時連は馬首を返して引き上げました。

「やっと穴から出てきたな、この臆病者め!そなたの悪運もここまでぞ、とっとと観念せぇ!」

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三浦胤義との対決(イメージ)

やってきたのは三浦胤義。互いに強敵と認め合い、じりじりと距離を詰めていきます。

「何を吐(ぬ)かすかこの戯け。
上皇陛下をそそのかして天下を奪わんとするその野心はお見通しじゃ!者ども、この三浦平九郎(胤義)さえ討てば後は雑魚ばかり。一斉に射止めよ!」

光季の号令によって郎党たちが矢を射放ったので、胤義のそばにいた者たちが次々と斃されました。

一方、まだ幼いながら果敢に武勇を奮う寿王改め伊賀光綱。戦いの中、かつて元服に際して烏帽子を被せてくれた、烏帽子親の佐々木弥太郎判官高重の姿を見つけます。

「佐々木殿なら、相手にとって不足はありません。かねて烏帽子親子の契りを交わし、あなたから頂戴した矢をこの通り大切に持っております。
しかし此度は父上の最期にお供いたしますゆえ、この矢は『お返し』せねばなりませぬ」

そう言って光綱は重藤の弓に矢をつがえ、力の限りに射放ったところ、高重が着ていた鎧の弦走(つるばしり。大鎧の前面に張った革。弓を射放った時、弦が引っかからないためのもの)に突き立ちました。

さすがに少年の力なので貫通はしていませんが、自分が射られたというのに、高重は光綱の成長ぶりに感激してしまいます。

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あんなに小さかった寿王が、今では立派な若武者に……(イメージ)

「寿王よ、まこと立派になったな。ゆくゆくはそなたを婿としたかったが、今となってはそれも叶わぬ。
あぁ、この止まらぬ涙は喜びか悲しみか……」

親として、自分を超えようとする子の姿を喜ばぬ者はおりません。今日はもう戦いにならないと引き上げた高重の姿に、多くの武者たちがもらい泣きしてしまったということです。

■燃え盛る炎の中で、壮絶な最期を遂げる

さて、そんな具合で獅子奮迅の大立ち回りを演じていた伊賀勢ですが、いかんせん多勢に無勢。火をかけられて炎上する館の中、生き残った郎党は贄田三郎と贄田四郎だけになってしまいました。

「最早これまで。最後のご奉公として、死出の旅路を先導仕る」

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刀を呑んで自決する贄田三郎(イメージ)

贄田三郎は血に錆びた太刀の鋩(きっさき。切先)を口に含んで一気に押し込み、鍔元まで呑み込んで自害します。

「後は矢の続く限り、それがしがお守り申す。早うご最期を!」

贄田四郎が残った矢を射放って敵を防いでいますが、あまり猶予は残されていません。光季は、光綱を招きました。

「さて、四郎が時を稼いでくれている間に自刃いたそう。覚悟はよいか」

「自刃とは、どのように致すものでしょうか」

「難しいことはない。腹を切ればよいのじゃ」

そこで光綱は腹巻の紐を切って(再び着ることはないのでほどく必要はない)脱ぎ置き、直垂も緩めて赤木の脇差を握ったものの、なかなか覚悟ができません。

「……まぁ、怖いよな。無理もない。では火の中へ飛び込むといい。腹を切るよりは怖くなかろう」

「……はい」

今度は火の中へ飛び込もうとした光綱ですが、脊髄反射でどうしても身体が逃げてしまいます。そりゃそうですよね。

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燃え盛る炎の中に飛び込もうとした光綱だったが……(イメージ)

「よし、分かった。寿王、こちらへ戻っておいで」

いくら武士の子とは言っても、少し無理をさせ過ぎたかも知れない。光季は光綱、いや寿王を傍らに座らせ、我が子の顔を見つめながら言いました。

「親子は前世で契り合った縁というが、そなたほど絆の深い子はまたといるまい。できることなら生き延びて、幸せになって欲しいと願うところだが、父の供をしたいと言ってくれた思いを尊重したい。これは生きてするどんな親孝行にもまさるもの、親子一緒に死出の旅路を行けるなんて、これ以上の喜びはない」

そう言って暫く抱擁を交わしたあと、光季は寿王の首を掻き切って殺し、その亡骸を火中へと放り込んだのでした。

かくして最愛の我が子を手にかけた光季は、東を向いて三度拝礼。

「南無帰命頂礼鎌倉八幡大菩薩若宮三所(なむきみょうちょうらいかまくらはちまんだいぼさつわかみやさんしょ。意:鎌倉の若宮=鶴岡八幡宮におわす八幡大菩薩と三柱の神々の足元にひれ伏し、誠の心を申し上げる意)。この身命を擲って、権大夫(義兄弟・北条義時)が武運長久を祈願し奉る」

続いて西を向いて三度拝礼、今度は阿弥陀如来に祈ります。

「南無西方極楽教主阿弥陀如来(なむせいほうごくらくきょうしゅあみだにょらい。意:西方はるか彼方にある極楽の主たる阿弥陀さま)。生きとし生けるすべての魂を救われるあなたの願いが確かであるなら、どうか我らを迎え給え」

光季は念仏を三十度にわたって繰り返してから腹を掻っ捌き、先ほど投げ込んだ寿王の亡骸の上に覆いかぶさりました。

「死出の旅路の殿(しんがり)は、それがしこそが仕る!」

燃え盛る炎の中で…北条義時の義兄弟・伊賀光季の壮絶な最期・後編【鎌倉殿の13人】


贄田四郎の最期(イメージ)

光季父子の最期を確認した贄田四郎は矢も尽きたので抵抗をやめ、これまた腹を掻き切って光季父子の上に重なったということです。

■エピローグ

……光季、昨日マデハ鎌倉殿ノ御代官トシテ、都ヲ守護シテ有シカバ、世ノ覚へ時ノキラ肩ヲ双ル人モナシ。宿所モ宮殿楼閣ミガキシカ共、今日ハ片時ノ灰儘トナリ、セバキ名ヲ耳残シケルコソ哀ナレ……

※『流布本 承久記より』

【意訳】昨日までは鎌倉殿の代官として京都守護職の任にあり、権勢を極めていたのに、今日はその館も灰燼に帰した。今となっては名誉ばかりが人々に伝えられ、無常を感じずにはいられない。

かくして伊賀光季主従は全滅し、朝廷方は焼け跡から焦げた首級をめいめい持ち帰っていきました。

燃え盛る炎の中で…北条義時の義兄弟・伊賀光季の壮絶な最期・後編【鎌倉殿の13人】


京都からの急報を受けた義時たち(イメージ)

ここに承久の乱は幕を開け、京都からの急報を受けた北条義時は、和戦の決断を迫られることになります。

それにしても伊賀父子の深い情愛と寿王のけなげさ、そして敵となりながら寿王の成長を喜ぶ佐々木高重の感動は、現代でも共感できる方が多いのではないでしょうか。

現在放送中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも、是非とも演じていただきたい名場面。今から楽しみにしています。

【完】

※参考文献:

  • 上田正昭ら監修『コンサイス日本人名辞典 第5版』三省堂、2008年12月
  • 矢野太郎 編『国史叢書 承久記』国史研究会、1917年6月

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