住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、憧れていたアイドルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。
「所属事務所の5年先輩だった(河合)奈保子さんは、“西城秀樹さんの妹”としてデビューされました。3年先輩の(石川)秀美さんも2回目の“妹オーディション”出身。当然、’85年デビューの私も3姉妹と思われがちですが、じつは全然違うんですね」
こう語るのは、みっちょんの愛称で親しまれる芳本美代子さん(53)。
八重歯がチャームポイントだったため、幼いころは同じく八重歯の石野真子のファンだったという。
「昔はチャンネルをひねれば歌番組をやっていましたから、テレビから新曲情報を得て、“もうちょっと聴きたいな”と思ったら、レコードを買ってもらい、パンダをかたどった子ども用のレコードプレーヤーで楽しんでいました」
10歳で広島に引っ越した芳本さんは、姉と2人で、テレビの『全日本選抜ちびっこものまね歌合戦!』の地区大会に挑戦。
「演歌好きの両親の影響で、石川さゆりさんの『津軽海峡・冬景色』(’77年)を歌ったら、審査員の方に『ほかにも歌える曲、ある?』と聞かれ、桜田淳子さんの『しあわせ芝居』(’77年)を。東京で開催された全国大会はチェリッシュさんが司会で、大好きな石野真子さんの『狼なんか怖くない』(’78年)を披露しました」
このことをきっかけに、歌のレッスンを始めた。当時、髪は短めのマッシュルームカットで、日焼けしていて、ボーイッシュな印象だったという。
「服もGパンや短パンが多かったですね。でも週に1回、レッスンで街まで出るときは、女のコらしい服を着せてもらえて、それがすごくうれしくて。レッスンも歌うこと自体は楽しかったのですが、先生がピアノで弾いた和音を言い当てるのが苦手で、毎回、怖かったのを覚えています」
■審査員から「なんでこの曲を選んだんですか?」
山口県の宇部へ転居した中学2年のときには、九州の『第5回福岡音楽祭・新人登竜門ビッグコンテスト』(KBC九州朝日放送)のオーディションに出場。
五輪真弓の『恋人よ』(’80年)を歌って優勝した出場者をはじめ、コンテストには平尾昌晃氏の音楽教室に通っている「ガッチガチの歌唱力を前面に押し出すタイプ」が多かったという。
「私は奈保子さんの『ストロー・タッチの恋』(’83年)を歌ったのですが、ポップな曲が異質だったのか、審査員の方から『なんでこの曲を選んだんですか』と。たぶん“はやっていたから”くらいの理由でしたので、うまく答えられませんでした」
番組出場によってレコード会社からスカウトされ、芳本さんも福岡の平尾昌晃音楽学院九州校に通うことになった。自宅のある宇部からは、片道3時間。
「電車の本数も少なかったので、レッスンの開始時間に間に合うように行くと、だいぶ早くに到着してしまうんですね。初めてのレッスンの日には、おなかがすきすぎて声が出なくて……。九州校の先生が出前を取ってくれたラーメンの味は、今でも忘れられません」
1年ほどレッスンに通い、縁があって河合奈保子と同じ事務所に所属することに。
「デビュー前にお会いしたときの奈保子さんの第一印象は“うわーちっちゃい!”。すごくかわいくて、キラキラしていました。私は『スマイル・フォー・ミー』(’81年)も『コントロール』(’84年)も大好きで、声に伸びがあって、とにかく歌が上手なので、心から尊敬していましたね。『今度、同じ事務所になりました』と挨拶すると『頑張ってね!』と応援してもらえたのもうれしくて」
’85年にアイドル歌手としてデビュー。『ザ・トップテン』(’81~’86年・日本テレビ系)の注目曲を紹介するコーナー「もうすぐトップテン」に出たことは、とくに思い出に残っている。
「奈保子さんの曲もランクインしていて、『事務所の後輩なんです』と紹介してくださったんです。
■“ドッキリ”と気づいても、余計なことはできない
アイドル歌手として、週末は地方でサイン会があり、テレビのバラエティ番組にも挑戦。
「水泳大会や運動会にも出ました。先輩の秀美さんがスポーツ万能だったこともあり、『白いバスケット・シューズ』を歌う私への期待も高かったようですが、全然ダメで、事務所のスタッフさんは愕然としていました(笑)」
番組で“ドッキリ”を仕掛けられたのも、一度や二度ではない。
「寝起きを撮られたときをいま振り返ると、ホテルの部屋のドアチェーンが取り外されていたりして、不自然な点はあったんです。でも気づけなくて。ニセのCM撮影で小学生に扮することになり、十円ハゲのカツラをかぶって、短パンをはき、ランドセルを背負い、あおっぱなまで描かれたこともありました。いちばん怖かったのは、喫茶店でマネージャーさんが怖い人たちの人質になってしまったとき。しばらくして不審な点を見つけ、“これはドッキリだ”と確信したんですが、でも万が一、本当だったらって考えると、余計なことはできないんです」
とにかく与えられた仕事を一生懸命にこなしながら’80年代を駆け抜け、’90年、ミュージカル『阿国』に出演したことで転機を迎えることに。
河合奈保子がミュージカル『THE LOVER in ME』に出演したことで、所属事務所と劇場とのつながりが強くなっていたことも、芳本さんへのオファーのきっかけになったという。
「当時、芝居がてんでダメだった私は、せめてソロの歌くらいは頑張ろうと必死で臨みました。
デビューから5年がたった21歳の芳本さんは、この作品でゴールデン・アロー賞の演劇新人賞を受賞し、新境地を得た。
「現在は、吉幾三さんの芸能生活50周年を記念した舞台『吉幾三特別公演』(6月4~12日・大阪新歌舞伎座、7月8~24日・明治座)の出演準備をしています」
先輩・河合奈保子の存在があったからこそ、いまへ通じる道がひらけたのだ。
【PROFILE】
芳本美代子
’69年、山口県生まれ。’85年、16歳のときに『白いバスケット・シューズ』でアイドル歌手デビュー。現在、テレビや映画、舞台で女優として活躍。また、YouTubeチャンネル「みっちょん IN ポッシブル」も好評配信中