フジテレビ系のドラマ『問題のあるレストラン』が話題となっている。その主人公・田中たま子(真木よう子)は、かつて勤めていた大手飲食会社に反旗を翻し、同社が都心で経営するレストランのすぐ近くに小さなビストロを開く。
このドラマが始まるのと前後して筆者は、いまから40年ほど前にも男社会に対する女の復讐を描いたドラマがあったことを知った。1970年10月から翌年2月まで放送された『お荷物小荷物』がそれだ。運送店を営む男ばかりで完璧な家父長制・男権主義を生きる一家と、そこにお手伝いさんとしてやって来た田の中菊という若い女による奇想天外な攻防が毎回繰り広げられた。じつは菊は同家に恨みを持つ本名を今帰仁(なきじん)菊代という沖縄人であり、最終回ではホームジャックしてついに復讐を果たす。残念ながら全話のうちVTRが現存するのはこの最終回のみで、現在は横浜の放送ライブラリーで視聴できる。
『お荷物小荷物』は大阪の朝日放送が制作し、同局が当時ネットしていたTBS系で放送された。劇中では、黒澤明の映画『生きる』などで知られる名優・志村喬が家長の役を務めたほか、志村の孫の五兄弟のうち三男を昨年亡くなった林隆三が、四男を『建もの探訪』(テレビ朝日系)のリポーター役でもおなじみの渡辺篤史が演じた。さらに主役の田の中菊には、子役出身の俳優でタレントの中山千夏が扮している。脚本は佐々木守。
必殺シリーズとまではいかないまでも、『お荷物小荷物』は大きな反響を呼んだ。全13回の予定が5回分延長され、最終回はシリーズ中最高の視聴率(東京29.2%、大阪36.2%)を記録した。これを受けて71年12月からは続編として『お荷物小荷物・カムイ編』が放送されている。この第2シリーズでは登場する一家はそのままに、今度はアイヌ民族の少女が「酋長」の命を受け、一家に囚われているクマを救出するために乗り込むという設定に変わった。ちなみに劇中に登場するクマは本物が使われたという。
沖縄人の復讐という設定の背景には、あきらかに沖縄返還(72年5月)を目前に控えた時代状況があった。後年、放送評論家の志賀信夫は最終回のVTRを見て、《男中心社会の日本は沖縄問題を軽視していると、沖縄人から反発を食うぞ》という警告を読み取り、《テレビ番組にも、こんな元気のいい、社会に高らかにメッセージを発した時代があったのかと、舌を巻いた》という(志賀信夫『映像の先駆者125人の肖像』日本放送出版協会)。
アイヌをとりあげた続編にしてもテーマは非常に政治的だった。ただし主演の中山千夏は昨年刊行された著書『芸能人の帽子』(講談社)のなかで、《主張もしくはプロパガンダというわけではなく、作者の政治的な関心がモチーフとしてちりばめられている風だった》と書いている。
中山によれば『お荷物小荷物』の筋書きはあってなきがごときものだったらしい。舞台もどこの街かは不明。運送業という設定も男社会を象徴するだけで、何ら筋書きに意味を持たなかった。一家が仕事に従事する姿もほとんどなく、日常の描写も食事シーン以外には皆無。ようするにこのドラマはリアリティというものを欠いた観念劇であったと、中山は振り返る。
「脱ドラマ」とも呼ばれたこのドラマはもともと、当時大ヒットしていたTBSの石井ふく子プロデューサーによる『肝っ玉かあさん』『ありがとう』といった東京の下町を舞台にしたホームドラマに対抗するべく、山内久司いわく「風土性を消して、現実から少し浮き上がった観念性のドラマ」として企画されたものだった。
観念劇、脱ドラマなどというと何だか難しいものをイメージしてしまうが、このドラマは先述のとおり高い視聴率を記録し、スタッフのあいだでは「3歳児から新左翼まで楽しめる番組」と冗談めかして言われるほど幅広い層から人気を集めた。じつはこの手の観念的な前衛劇はいまでもCMではおなじみで、《白犬を家長とするソフトバンクのCMは、その最高級品だろう》(前掲書)と言われると腑に落ちる。結局、観念的前衛劇の手法は基本的にテレビというメディアと相性が良く、視聴者にもウケがいいらしい。
中山にとって『お荷物小荷物』はもっともヒットした出演ドラマであり、あれほど楽しく収獲の大きかった番組はないという。共演者・スタッフとも毎回収録のたびに飲み会を開き、後年にいたっても付き合いは続いた。完全な男社会であった当時のテレビ業界に常に違和感を抱いていた中山だが、『お荷物小荷物』の制作現場や関係者との会合は例外的に男たちと対等に議論できる場であったようだ。
■ 異色の元芸能人による異色の自伝
さて、中山千夏といえば、30代以上であればアニメ『じゃりン子チエ』の主人公・チエの、50代以上であればNHKの人形劇『ひょっこりひょうたん島』のハカセの声優として記憶している人も多いだろう。だが若い世代には名前を言われてもピンと来ないかもしれない。それも無理からぬことで、中山は70年代後半以降、テレビを含め芸能活動から徐々にフェードアウトしている。その前後から文筆業あるいは政治活動に力を入れるようになり、作家としては小説やエッセイ、絵本など幅広い著作を手がけ、直木賞にも3度候補にのぼった。政治の世界にはウーマンリブ運動を手始めに政治団体「革新自由連合」に参加、1980年より参院議員を1期6年務めている。
先に引用した『芸能人の帽子』は、子役として出発し、舞台からテレビに進出してからはドラマ以外にもワイドショーの司会者・歌手としても人気を集めた中山の芸能人時代を振り返った自伝的著作である。本書が異色なのは、当時雑誌に掲載された自分についての記事を通して「芸能人・中山千夏」をできるかぎり客観的に振り返っていることだ。
記事のなかには自分の本質をうまく突いたものもあったとはいえ、本人の言った覚えのない言葉が使われていたり、最悪の場合まったくのでっちあげのものもあったりと、雑誌の芸能記事が結構いいかげんなものであることが浮き彫りにされる。『ビートルズ・レポート』『鞍馬天狗のおじさんは』など名著も多いルポライター・竹中労の書いた記事に対しても、「取材対象に興味のないまま書いたやっつけ仕事」だと容赦がない。
本書で批評・分析の対象となるのは、雑誌記事ばかりでなく、彼女が仕事をともにしたテレビ関係者にもおよぶ。田原総一朗に対する《世の大半は田原さんを正論の徒、改革的ジャーナリストとみなしているようだが、果たしてそうか? 政治も社会も、ただホンネ、ホンネで混ぜっ返して、面白がっているだけじゃないのか?》といった指摘などは、筆者も著書やテレビで田原の武勇伝自慢に接するたび同じようなことを思っていただけにニヤリとした。
とりわけ注目すべきは青島幸男について書かれたくだりだ。
いまにして思えば、青島は「他人との交流にまったく興味がなかった人」だったという。青島というと放送作家・作詞家・タレントとして活躍し、小説を書けば直木賞を受賞、政治家としては参院議員から東京都知事にまでのぼりつめた人物だけに、この評は意外な気もする。だが、彼があらゆる分野で頂点をきわめることができたのも、まさに人一倍自信を持ち、他人から尊敬されたり助言されたりすることを嫌い、常にオリジナリティにあふれたやり方を考案し(ときにそれは凡人の目にはズルやインチキにも見えるが、本人は平気だ)、実行してしまうからだった。ただし例外的に、自分の目標のために必要だと思い定めた人物には歩み寄った。中山もその対象に含まれたため、青島と付き合いのあった当時は気づかなかったのだという。先の青島評は、距離と時間を置いたからこその冷静な評価だといえる。
そんな鋭い人物評を交えながらつづられるこの本は、60年代~70年代のテレビ・芸能界の内幕を知る一級の資料となっている。この手の本には、現在とくらべて過去を持ち上げるものも少なくないが、中山の著書にはそういうところがない。むしろ読んでいると、いまと変わらないところも多分にあるように思えてくる。中山が《テレビの権力で、ひとの人間性を引きずり出すパワーハラスメント》として嫌ったドッキリ企画はその一例だ。
テレビでの出演者の言動が不謹慎とされ、世間のバッシングを受けるということも、どうやら昔から珍しいことではなかったらしい。たとえば、70年の日航よど号ハイジャック事件の際には、生番組での中山の発言が「失言」と受けとめられ、テレビ局には抗議電話が殺到、週刊誌でも批判された。放送中、よど号は韓国の空港に一旦着陸し、犯人グループの要求どおり北朝鮮に向かうかどうか皆が懸念していたところだった。なかなか進まない事態に中山は、いたずらに離陸を引き延ばし関係者を危機に追い込んでいる政府への反発もあって、「いまごろはもう北朝鮮に着いて、飛行機に乗ってた人たちは朝鮮料理でも食べてるかと思ったのに」というような発言をしたという。だが、これがなぜか「いまごろはみんなで朝鮮料理でも食べてるんじゃないかしら」という微妙に違うニュアンスで受け取られ、非難されることになったのだ。結局、司会の青島幸男や番組スタッフのフォローもあり、騒ぎはすぐに収まったが、これがネット時代のいまならもっと炎上して、中山が番組を降板させられるという事態になっていたかもしれない。
テレビがつまらなくなった、オワコンだと言われて久しい。だが面白い番組というのはいつの時代でもごくわずかだったのではないか、という気もする。『お荷物小荷物』もまた、その数少ない番組の一つだったはずだ。政治的なテーマをとりあげながら多くの層に受け入れられたこのドラマは、たしかに70年代初めという時代だからこそ生まれた部分はある。それでも、いまだってドラマでどれだけハードな政治的・社会的なテーマをとりあげようとも、工夫しだいでいくらでも視聴者の支持を得ることは可能ではないのか。冒頭にあげた『問題のあるレストラン』が男社会に対するメッセージを込めつつ、エンターテインメントとして楽しむことができるのは、まさにそれをやっているからだろう。
(近藤正高)