国会で答弁する菅首相(参議院インターネット審議中継より)


 昨日5日におこなわれた参院予算委員会で、日本学術会議の任命拒否について新たな事実が判明した。菅義偉首相は4日の衆院予算委員会で、6人の学者を除外することについて「(内閣府が決裁案を起案した)9月24日の前に聞いた。

杉田(和博)官房副長官だと思う」と答弁したが、昨日新たに、杉田官房副長官と内閣府が同月22・23日ごろに6人の除外についてやり取りした記録の文書が存在すると加藤勝信官房長官が明言したのだ。

 大前提として、任命拒否する裁量は総理大臣にはなく明確な違法行為なのだが、一体どういう理由で6人を排除したのか、それを国民に説明する責任が菅首相にはある。この記録文書を開示するのは当たり前の話だ。

 しかし、文書の存在を明らかにした加藤官房長官は「人事に関するもの」と言って拒否。そして菅首相は、こう答弁したのだ。

「いま官房長官が申し上げたとおりです」

 過去の政府答弁や法的解釈を無視して“任命拒否する裁量が総理にはある”と言って憚らないくせに、拒否にいたった経過を開示できない理由すら何ひとつ語らず、加藤官房長官に丸乗りする──。

そもそも、菅首相は日本学術会議について「旧帝大など出身大学に偏りがある」「若手が十分いない」などともっともらしく理由めいたことを語り、そのすべてが辻褄が合わず除外の理由にならないこともあきらかになっているが、昨日の国会答弁で菅首相はそれらが「今回の個々人の任命の判断とは直結しない」と明言。これは、任命拒否した理由が言えないために「多様性」などと後付けの嘘をつき、道理の通らない御託を並べて問題をずらそうとしてきたことを自ら暴露したようなものだが、その上、「公文書を開示しない」という理由さえも、自分の言葉で説明しようとしなかったのだ。

 いや、「しようとしなかった」のではなく、「できなかった」と言うべきなのだろう。というのも、今週からはじまった予算委員会を見ていると、菅首相は視線を落として原稿をただ読むだけのマシン(しかも読み間違いが多発)と化すだけではなく、説明が求められる場面で自分の言葉で語ろうとせず、そればかりか恥も外聞もなく「知らない」の一言で押し通そうとさえしているからだ。

 それが顕著だったのが、4日の衆院予算委員会での、立憲民主党・辻元清美議員の質疑に対する答弁だ。辻元議員は、菅首相が除外した6人のなかで唯一知っていたという加藤陽子・東京大学教授が内閣府の「国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議」の委員を務めていることを指摘。

よりにもよって内閣府が設ける会議に委員として入っている学者を除外するとはありえないが、この事実を突きつけられた菅首相は、平然とこう答えたのだ。

「内閣でお願いしてるってことを私は承知してませんでした」

 一方で政府としてその知見を求めながら一方では排除するとはあきらかに矛盾しているというのに、「知らない」で済ませてしまう……。さらに、辻元議員はつづけて、国立公文書館は日本学術会議の勧告がもとになって設立されたことを指摘したのだが、これにも菅首相はこう答弁したのだ。

「そういうかたちのなかで、あの、公文書管理館ですか? 館ができたという経緯は承知してませんでした」

 またも「知らなかった」上に、国立公文書館を「公文書管理館」と言い間違える菅首相。ようするに、排除した学者についても、日本学術会議が果たしてきた役割も何も「知らない」まま、無責任にも攻撃をおこなっていることが顕になったわけだが、ひどいのはこのあと。辻元議員が「任命権者として失格じゃないですか」と問いかけると、菅首相はこんなことを言い出したのだ。

「それは私じゃなくて、みなさんが考えることだと思います」

 自身の資質を問われているのに、まさかの国民に丸投げ……。しかも、この日の国会では日本共産党の志位和夫委員長も、任命拒否された教授のもとで学ぶ学生が就職活動に不安を覚えたり、学問の世界で萎縮や自己規制が広がっているとNHKで報道されたことを紹介し、「任命拒否によって学問の自由が脅かされている」と追及。しかし、このときも菅首相の答弁はこんなものだった。

「私自身はそういう状況だってことは思っていません」

 実際に実害が出ているという証言があるのに、「そう思っていない」で終わり。こんな答弁が許されれば、どんな現実や事実も菅首相が「そう思っていない」と否認すればないことになってしまうではないか。

 菅首相のタチが悪いのは、独裁丸出しの政治をしながら、それを追及されると、反論もせずにこのようにしれっとすっとぼけてしまうことだ。

 しかも、この手法は明白な事実に対しても平気で使われる。昨日の参院予算委員会では、立憲の森裕子議員が「菅首相のブレーン」と言われる竹中平蔵氏の問題を追及したのだが、その際、10月30日放送の『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)で発した「正規雇用と言われるものはほとんど首を切れないんですよ」「首を切れない社員なんて雇えないですよ普通」「それで非正規をだんだんだんだん増やしていかざるを得なかった」という“暴論”を紹介し、「こういう人がこれから経済と規制改革のアドバイザーですか。総理、これどなたか、よくこういう話されているからどなたかわかるでしょう」と質問した。しかし、菅首相の答弁はこうだ。

「えーと、どなたですか。教えてください」

 首相就任からわずか2日後に会食する仲だというのに、よくもまあこんな白々しいことを言えたものだが、森議員が「竹中平蔵さんです。

竹中平蔵さんはいまどういう立場ですか? そして仕事は何と何と何をしてらっしゃるんですか?」と質問すると、菅首相はまたも素知らぬ顔でこんなことを口にした。

「あのー、竹中さんが具体的にどのような仕事をしてるかっちゅうのは、私は承知して……大学教授とかそうしたものをやって、評論家とか、経済評論とか、そういうことじゃないでしょうか」

 言うまでもなく、竹中氏はあのパソナグループの会長であり、これまでさんざん政府の諮問会議のメンバーや民間議員を務める一方でパソナに利益誘導を図ってきたことが批判されてきたにもかかわらず、菅政権が新設した有識者会議「成長戦略会議」のメンバーに選ばれたばかりだ。だが、菅首相はまたもすっとぼけて「パソナグループ会長」であることを隠したのである。

 壊れたテープレコーダーのように「既得権益ガ―」と同じ答弁を繰り返す、原稿を棒読みでただ読み上げる、そして「知らない」「どなたですか?」などと開き直り、しらばっくれる……。安倍政権での官房長官時代は、ネトウヨが「鉄壁のガースー」と呼び、まるで質疑応答に強いかのように持ち上げてきたが、一体これのどこが「鉄壁」なのか。

 いや、菅首相の場合、「壊れたテープレコーダー」以前の話なのかもしれない。

というのも、原稿をただ読み上げることは安倍晋三・前首相もやっていたし、質問と噛み合わない答弁ではぐらかすことも多かった。だが、菅首相の場合、質問の意味が理解できていないのではないかと疑わざるを得ない場面が目立つのだ。

 たとえば、昨日の森裕子議員の質疑に対する答弁でのこと。森議員は、菅首相がこのコロナ禍で困窮する人びとへの支援策を打ち出すでもなく「自助・共助・公助」を打ち出したこと、自民党の伊吹文明・元衆院議長が「自助ができるのに私は自助が出来ませんという『自称弱者』が次々出てきて、自助をしている人の果実をかすめとっていくと社会は成り立たなくなる」と発言した件に言及し、「自民党はこんな考え方なんですか?」と追及した。

 すると、菅首相はまず「自分でできることは基本的には自分でやるというのは大事なこと」といつもの説明を繰り返した。この説明は到底承服できるものではないが、問題はこのあとの発言だ。

「たとえば、いまコロナで大変です。しかしコロナのなかでも3密を避けるとか、あるいはマスクをするとか、手洗いをするとか、自分のできることは、まずそこから、スタートすべきじゃないでしょうか」

 森議員は“このコロナ禍で支援策を打ち出さないで自助を迫るのか、自民党はそんな考え方なのか”と尋ねたのだ。普通、それに対する答弁は、中身の問題はさておき「こんな政策もやっている、あんな政策もやっている」と主張するものだろう。しかし、菅首相は何を思ったのか、「3密回避、マスク着用、手洗いからスタートしろ」などと言い出したのである。

 菅首相が言う「自助」の本質は、国からの支援がなくとも国民はなんとかしろと迫るものだが、それをごまかすために支援策アピールをするでもなく、斜め上の「手洗い励行」を口にする──。

 菅首相の答弁をめぐっては、無責任さや矛盾が浮き彫りになって、ツッコミが追いつかない状況だったが、ここまでくると、もはや「この人、大丈夫なのか?」というレベル。強権独裁だけでなくポンコツ政治家に国の舵取りをまかせているのかと思うと、恐怖は募るばかりだ。