◆りお、親に縛られた学生時代
りおは、小学校低学年の頃に再放送で見たドラマ『お水の花道』の主人公に憧れ、キャバ嬢になりたいという夢を抱いた。しかし、両親から英才教育を受け、習い事や勉強漬けの日々を送った。親が望む進学校に進むなど、ずっと「親の敷いたレールを歩いてきた」という。
そんな彼女がキャバクラで働き始めたのは、大学に入ってようやく自由になったタイミング。当時は週に2日程度アルバイトの感覚だった。卒業後は一度夜職を離れて、心療内科の事務として働くことに。患者のカウンセリングや事務作業、受付などを担当し「自分と会って笑顔になってくれる人がいる」ことにやりがいを感じていた。
その後、恋人との別れを機に、大阪から上京し、再び夜の世界で働くことを決意。心療内科は好きな仕事だったものの、大阪時代のように「緩くは働けない」と考え、東京に来てからは夜職1本に専念している。大阪でもキャバクラを経験したりおは「ディアレスト」の魅力を「すごく働きやすいです。給与体系も良いし、働きやすい環境を黒服さんが作ってくれて、女の子たちも良い子が多い」と語った。
◆りお、直感を信じる大切さ
キャバクラで働くことを家族に打ち明けた際は反対された。大学生の頃にテレビ番組出演やモデル活動など芸能系の仕事をしていたときは認めてくれていたが、夜職となると親戚からも「なぜキャバクラでバイトする必要があるの?やめた方がいいんじゃない?」と電話がかかってくるほどだったという。
しかし「親に頼って生きたくない。自分で独立してお金を稼ぎたい」と思い、「やりたいことだったから」と自分の意志を貫き通した。芸能の道を続けることも考えたが「すぐ稼げるわけじゃない」という現実を知り、同じく華やかなキャバクラの仕事を選んだ。「親に縛られていた」学生時代を乗り越え、自分のやりたいことで輝くりおに夢を叶える秘訣を聞くと「自分の直感を信じること」と断言してくれた。
幼い頃から厳格な家庭で育ち、「親の敷いたレールを歩いてきた」というりおさん。キャバ嬢という仕事を選んだのは、彼女が「自分の直感を信じて」手に入れたかった「やりたいこと」そのものであったのだろう。家族からの反対を乗り越え、自分の道を切り開いてきた揺るがない信念は、読む人の心を惹きつける。自分のやりたいことを貫く強さと、周囲への感謝を忘れない謙虚さは、多くの女性にとって憧れの存在となるはずである。(modelpress編集部)
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