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戸籍上は男性だが、自分は女性だと思っている人が接待する、新宿2丁目や麻布、六本木などにあるバーに行った自分を想像してほしい。トークに自信のない人ならば最初は緊張するだろうが、そのうち「彼女たち」の話を聞いてあげようという真面目な態度に心がほぐれて居心地がよく思えてくるだろう。
第2回の『週刊さんまとマツコ』(TBS)が、そのどちらだというわけでは決してないが、上記のシーンが繰り返し想起されて筆者は番組を見終えた。これは見る人を選別する上級トーク番組だ。第1回の感想を書いた時、さんまさんが波平の扮装を、マツコがサザエさんの扮装をしてスタジオに向かったのを見て、筆者はこう感想を書いた。
『サザエさん』の裏番組である当番組がこれらのキャラクター(つまり扮装をするという企画)を入れることが吉と出るか凶と出るか。
結果は吉でも凶でもなかった。さんまさんとマツコは、扮装自体を「普段着だということにしよう」と見事に無効化し、なにもなかったようにトークを始めた。
ディレクターがさんまさんの事務所にトーク内容の内合わせに行ったそうだ。通常のことであるが、ディレクターはトークの内容を先に確認して、決めたいのだ。でもこの時、さんまさんが話したことを正面からに受けとめてはいけないことをディレクターは思い知ったろう。
それから、『男女7人夏物語』の演出家に聞いた話も付け加えておく「さんまさんは、リハーサル無しで一発本番で撮ったほうが、面白いのはわかっている。でもリハーサルはする。しないと他の俳優さんができないからだ。そのことをさんまさんに言って納得してもらった」。
欽ちゃんこと萩本欽一との個人的でな昔話をする。
素人参加のトーク番組があって、筆者ら作家は、面白い話を引き出そうと、必死で素人に取材した。欽ちゃんには長すぎると通じないとわかっていたので要点だけを5分以内にまとめて説明した。ひと仕事と終わって本番。すると欽ちゃんは、作家が取材した話を一切使わないではないか。
随分あとになって、欽ちゃんに直接その理由を聞いてみた。
「どうして取材した話を使ってくれなかったんですか?」「ああ、あれはね、作家と僕とどっちが面白くできるか勝負してたの」その勝負が欽ちゃんの本番での楽しみだったのである。全く叶わなかったけれど、勝負相手に選ばれたのは光栄だ。こういうところが、さんまさんと欽ちゃんは似ていると思うが「欽ちゃんとそっくり」と、さんまさんに言うと「似てないよ」と、さんまさんはムキになって否定するのがお約束である。
[参考]TBS『週刊さんまとマツコ』の逆張りに期待
その昔、『ぴったしカン☆カン』(TBS:1975~1986)という番組があった。人気有名人のエピソードクイズの初めだ。今どきはアンケートで済ますが、当時は最低2時間の取材時間を出してもらっていた。このエピソードはきっちりとした台本になってMC久米宏に完璧に伝えられる。
収録素材のどこをカットし、どこを残すかの編集はディレクターから演者への手紙である。メッセージである。特にさんまさんは自分の番組を必ず見るから、ああ、あそこを切ったということは・・・と様々に考える。この過程で誤ったメッセージが伝わってしまうと困る。ディレクターは情報を欲しがっているのではないか。ディレクターは感動だと残すなあ。これは間違っていると筆者は思う。さんまさんは今、おそらく情報に辟易としているのだ。
さんまさんは、基本的にフリ、ツッコミの人である。このフリ、ツッコミの人は時あればボケようと狙っている。
筆者らは、さんまさんの話をよく聞きたいのだが、そうするわけにも行かない。さんまさんがここで、場を感じて、筆者に絶妙なフリをしてくる。「ヒデキはん、僕の話、聞いてまっか」「てきとうに」と返す。さんまさんはボケる「そうそう、てきとうでええねん」さんまさんは玉緒さんとお嬢さんにもフル。
「あんたら自由やなあ。おれの話もちょっと聞きなはれ」
『週刊さんまとマツコ』ではこのさんまさんのボケを、どうすくい取るかが肝だ。
Directorのdirectは「 遠く離れた所へ導く」という意味だから、この職業の人は、なにがしかを指示したがる。あからさまに指示しなければディレクターではないと勘違いしている人もいる。だが、あからさまな指示だけが指示ではない。自分の意志が実現するために創育工夫をすることも、権謀術数を弄することさえも、指示だ。筆者はあるDirectorとコントのやり方を巡って演者の前で喧嘩を演じたことがある。
なにも、さんまさんのために番組を作るわけではないのは当たり前で、このDirectorは演者への指示をもって、「 今は遠く離れた視聴者をテレビの前へと導く」のだ。