「死んだつもりでやり直そう!」50歳でNSCへ

くらたま

『カメラを止めるな!』は最高の映画でしたね!ホラー映画と思いきや、場面転換して撮影の裏側や人間模様を描く二部構成は圧巻でした!そんな中でも竹原さんは強い存在感を放っていましたね。関西らしさを生かした「アツアツポイント!」という名ゼリフ、今でも心に残っています。

竹原芳子「納得できる人生のヒントは、世間の声より心の声にあり...の画像はこちら >>

「ゾンビ・チャンネル」のプロデューサー・笹原芳子を演じる竹原

ありがとうございます。

初出演の映画でこのような反響をいただけるとは、夢にも思いませんでした。

くらたま

映画出演までのストーリーを紐解けば、原点にはNSCがあるんですかね?竹原さんは、50歳でNSC(吉本総合芸能学院)に入られてましたよね。同期に同世代の方はいらっしゃいましたか?

竹原

それが一人だけいたんです!でも、その方以外は10代~20代ぐらいの方ばかり。「場違いなところに来てしまった~」と思ってソワソワしていたことを覚えています。

くらたま

50歳でNSC入学ってすごいですよね!勇気のいる行為だったと思います。入学のきっかけをおしえてください。

竹原

50歳を迎えた頃、20年以上前に見た大河ドラマ『秀吉』のあるシーンが突然心に浮 かんできたんですよ。信長が「人間50年!」と言いながら火の中を舞う場面。それを思い出して「50歳は織田信長なら死んでる歳やん!死んだと思って、第二の人生やり残したことに挑戦しよう」って考えまして。

くらたま

やり残したことのひとつが、竹原さんにとってはNSC入学だったんですね。

竹原

実はNSCが第一期生を募集していたとき、興味を持っていたんです。でも、証券会社への入社が決まっていたので仕事を選びました。

もしあの頃NSCに入っていたら、ダウンタウンさんと同期になっていましたね。

くらたま

当時のことを後悔していますか?

竹原

後悔はまったくしていないんです。当時NSCに入学していたら、自分をどう表現したらいいかわからず、中途半端なところでやめていたかもしれませんし。

くらたま

説得力あるなあ。さまざまな経験を積んで来られたからこそできる芸というものが ありますよね。

竹原

そうですね。

入学に当たっても、今の私の年齢だから面白いと思ってもらえたと感じています。私は今まで、話し方講座、笑顔教室、落語講座など、たくさんの習い事をしてきたんです。

一つひとつを見れば、どれも極めるところまで行かなかった。でも、話し方教室に行ったから落語につながり、落語の次にNSCがあり、NSCの次にお芝居があった。気の向くままに動いたら、楽しい方に少しずつ近づいている気がします。

映画のオーディションで演じたのは“更年期の蛾”

くらたま

『カメラを止めるな!』の大ヒットを機に、リメイク版「キャメラを止めるな!」ではカンヌ映画祭にも出席されましたよね。本当にすごいことだと思います。

『カメラを止めるな』の前にもお芝居の経験は積んで来られたのですか?
竹原芳子「納得できる人生のヒントは、世間の声より心の声にあり」

リメイク版の「キャメラを止めるな!」でカンヌ国際映画祭に出席竹原

それが、全然…。今までに演じた役は”蛾”だけでした。それも幕間に出て くる更年期の蛾(笑)!間寛平さん主宰の劇団の旗揚げ公演『恋の虫』に出させてもらったときのことです。

3人で3匹の蛾を演じたんですが、それぞれ羽をバタつかせながら「暑いなぁ」「寒い」「暑いやろ?」「寒いがな~」と言いながら、ただただ飛んでいました(笑)。

しかも最後には、蜘蛛の巣にからめとられるんです。「芝居は求めてないから。

飛んでたらええから」とのことでした。オーディションでは、上田監督の前でその”蛾”を実演して見せたんです。そしたら監督は「これは撮らないと…」と思ってくれたようで。

くらたま

上田監督とのやりとりを想像すると面白いです(笑)。でも、蛾の役を演じていなかったら上田監督の映画に出ていなかったかもしれませんよね。オーディションの倍率ってどれぐらいでしたか?

竹原

小さなワークショップだったので、そんなに高くないと思います。

2名の監督による合同オーディションでした。上田監督はコメディ派で「100年先まで残る面白い映画をつくる」ということでした。もう一人の監督はシリアスな映画をつくる方でした。どちらの映画に出たいかは選べなかったんです。

くらたま

お話を伺っていると、サバイバル能力というか、適応力が竹原さんは非常に高い ですよね。

竹原

どこでも生きていけるような気がしますね(笑)。マッターホルンへの旅行中にもいくつかトラブルは起こりましたがも楽しく乗り切れました。日本に帰ってから現地での写真をコラージュして家に飾っています。私にとっては宝物。現地の思い出が蘇ってきますから。

竹原芳子「納得できる人生のヒントは、世間の声より心の声にあり」

スイスのマッターホルンにてくらたま

竹原さんは本当に山がお好きなんですね。

竹原

そうですね。マッターホルンの大自然の中に包まれていると、生きているだけで幸せだという思いになります。

くらたま

幸せの感じ方は人によって違いますよね。

竹原

本当にそう思います。周りの価値観に合わせて生きても、自分は幸せだと思えないことってたくさんありますから。

くらたま

例えばどんなことですか?

竹原

私が裁判所で働いていた40代の頃、友人は婚活に勤しんでいました。「結婚したら幸せになれる」という考えだったので。でも私は、結婚することで幸せになれるとは思えなかった。それよりもずっと続けられる仕事、胸を張って「これをやっています」と言えるものが見つけたかったんです。

竹原芳子「納得できる人生のヒントは、世間の声より心の声にあり」

裁判所で一緒に勤務されていた方々とくらたま

確かにそうですよね。望んで結婚したはずが、家族との関係に苦しんでいる方が大勢います。もちろん、大切な人と過ごす時間が喜びになる方もいますが。

竹原

他人のアドバイスに振り回されないことって大事だと思うんです。例えば、「そろそろ結婚した方がいい」とか。「ふらふらしていないで正社員になったら」とか、「もう年なんやからええ加減にしい」というものまで。

アドバイスをくれる方は「あなたのために」と考えて言っています。もちろんありがたいことだとは思います。でも、その通りにしたからといって、幸せになれるとは限らない。そもそも言ったことさえ忘れている人が多いんです(笑)。

くらたま

幸せは誰かが決めるものではないですよね。

竹原

大切なのは、自分の心が望んでいるかどうかだと思います。

竹原芳子「納得できる人生のヒントは、世間の声より心の声にあり」

「キャメラを止めるな!」のポスターの前で
  •  
竹原芳子「納得できる人生のヒントは、世間の声より心の声にあり」
倉田真由美イラスト

竹原芳子

1960年大阪府生まれ。短大卒業後、証券会社で店頭営業職に就き、主任まで務める。40歳で裁判所事務官(臨時的任用)。47歳で落語を習い始め、50歳で吉本NSCに入所。その後、間寛平座長の「劇団間座」に入団。57歳で、ある映画の舞台挨拶に感銘を受け、ロビーに置いてあったチラシの「シネマプロジェクト」に参加。それが映画『カメラを止めるな』の出演へとつながる。現在はドラマやバラエティ番組でも活躍中。