[心のお陽さま 安田菜津紀](53)
 草木を揺らす潮風は、初夏の薫りを宿すも、かすかに冷たさが残る。沖縄からやってきた具志堅隆松さんにとっては、やや肌寒い気候かもしれない。
5月の連休中、福島県大熊町、帰還困難区域内で続けられている木村汐凪(ゆうな)さんの遺骨捜索の現場に、具志堅さんの姿があった。
 東日本大震災当時、小学1年生だった汐凪さんは、津波に巻き込まれ行方不明となった。父の紀夫さんが捜索を試みるも、原発事故による避難指示で阻まれた。最初に遺骨の一部が発見されたのは、2016年12月のことだった。
 私が紀夫さんと共に沖縄を訪れ、戦没者遺骨の捜索を続ける具志堅さんと出会ったのは、21年4月のことだ。当時、紀夫さんは活動を続ける上で葛藤を抱えていた。娘の捜索を続けたい、遺骨の発見現場を、原発事故の教訓が伝わる伝承と慰霊の場として残していきたい、けれども自分の娘のためにこんな思いを抱くのは、わがままではないか、と。具志堅さんはそんな紀夫さんに、まっすぐ語りかけた。「ひとりの人間を大切にできない社会が、みんなを大切にできるわけがない」
 翌年1月、具志堅さんが大熊の捜索現場に入り、汐凪さんの大腿(だいたい)骨が発見された。以後も具志堅さんによる捜索は続き、今回は10回目の訪問だ。ボランティアたちも活動に加わり、皆で海辺からほど近い窪地周辺を掘り進める。
 「あの大腿骨の発見がなければ、今こうして人が集まって、教訓を“千年先まで伝えていく”という活動にはつながっていなかったと思います」と紀夫さんは語る。

 22年1月以降、捜索は発見に結びついてはいない。もちろん残りの遺骨を紀夫さんに手渡したい、という具志堅さんの思いは変わらない。「でもここは、汐凪さんを中心に多くの人たちが訪れて、ここで起きた出来事に触れるための場でもあるんだとも思うようになりました」と具志堅さんは言う。
 「ここで起きた出来事」-それは国策と地続きで引き起こされた不条理であることも忘れてはならないだろう。
 (認定NPO法人Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト)=第3月曜掲載
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