日常の計算はスマホで、仕事ではExcelや生成AIを使う――。デジタル機器が身の回りにあふれるなか、単機能の「電卓」は役割を終えつつあると思われがちだ。
ところが、業界大手のカシオ計算機では、世界出荷台数が過去5年を見ても大きく落ち込んでいない。それどころか今年4月に発売した9万9000円(税込)という異例の高級電卓は、国内販売分が約1ヵ月半で完売した。高性能な端末が身近になった今、なぜ電卓は売れ続けているのか。同社担当者に話を聞いた。

■「売り上げ半減」の懸念も…電卓の出荷台数はほぼ横ばい

 スマートフォンが世界的に広まったのは「iPhone」が登場した2007年頃。それから約20年がたち、日本国内の世帯保有率は91.8%(総務省「令和7年通信利用動向調査」より)に達した。計算機能は標準で備わり、計算が必要な場面でスマホを手に取る人は多いはずだ。電卓の出番は大きく減ったと考えるのが自然だろう。

 実際、電卓メーカーにとってもスマホの普及は大きな脅威だった。カシオで電卓の商品企画を担当する玉本真一さんは、当時をこう振り返る。

「日常の計算はスマホに取って代わられ、下手したら売り上げが半分くらいになってもおかしくない、という心配はありました。でも実際は、そこまで影響は大きくなかった。
確かに減りはしましたが、想定していたほどではなかったんです」

 では現在、電卓はどの程度使われ続けているのか。カシオが世界に出荷する電卓(一般・関数電卓の合計)の台数は、ここ5年をみても大きく下がっておらず、ほぼ横ばいを維持しているという。

 これほどデジタル環境が整った今も、なぜ電卓は使われ続けているのか。そこには、アプリなどでは置き換えにくい「電卓ならではの強み」があるようだ。

■「間違えられない現場」で求められ続ける専用機の実力

 スマホと電卓の関係性について、玉本さんは「飲み会の会計など、日常の『ちょっと使い』の計算シーンは、確かに電卓からスマホに置き換わっている」と認める。

 だがその一方で、「経理関係の方や税理士、会計士など、『絶対に計算を間違えられない現場』では、今も電卓が強く求められている」と力を込める。

 そうしたプロの現場で求められているのは、計算の答えそのものだけではない。「確実に入力した」という指先の手応えも、電卓ならではの価値だという。

「スマホはツルツルしたガラスの画面を叩く感覚ですが、電卓はボタンを押し込むと、ある程度のクリック感があります。『自分は確かにこのキーを押したんだ』と指先で分かる。そこが電卓の良さだと思います」

 数字のミスが金銭や信用に直結する仕事では、答えが合っていることと同じくらい、入力に確信を持てることが安心につながる。画面をタップするスマホにはない、指先の感覚を通じた「確認」の作業だ。
こうした確かな操作感が、日々大量の計算をこなすプロの現場で、電卓が選ばれ続ける理由の一つになっている。

 現場が電卓を手放せないもう一つの理由が、「速さと手軽さ」だ。ちょっとした足し算なら、わざわざPCを開いて表計算ソフトを立ち上げるより、電卓を叩くほうが早い。忙しい現場では、アプリを立ち上げる数秒の手間も積み重なればストレスになる。短い時間で確実に計算を済ませたい働き手にとって、電卓は今も手っ取り早い道具なのだ。

 「価格」も意外な理由になっている。最近ではiPhoneが10万円を超えるなど、スマホは年々高価格化している。そこで「厳しい環境では、そんな高価なものを使いたくない」というユーザーの意識もあるという。

「でも専用機であれば、かなり厳しい品質試験をクリアしていて耐久性も高いので、ハードな現場でも気兼ねなく使えます。そこもまた電卓の強みで、スマホと差別化できる点だと思います」

 こうした専用機ならではの強みを生かし、カシオでは用途や職種に合わせて電卓を細かく作り分けている。中心となるのが『本格実務電卓』だ。見やすい大型ディスプレイや打ちやすいキー形状・配列、タッチ音を抑えた静音設計“サイレントタッチキー”など、経理や簿記といった日々の計算を支える工夫を施している。


 さらに、人間の手の傾きに合わせて「右手用」「左手用」でそれぞれ異なる3度の傾きをつけた『人間工学電卓』、水回りやホコリ・粉塵の多い環境でも使える『防水・防塵電卓』、入力した数字を印字できる『プリンター電卓』など、使用する環境に合わせた製品もそろう。

■「10万円モデル」完売、電卓は「仕事道具」から嗜好品へ

 そんな電卓の存在感を象徴するのが、今年4月に発売された『S100X 漆Edition』だ。3万円以上の高級モデル「S100」シリーズに本漆の塗装を施した特別版で、価格は9万9000円(税込)。世界限定650台のうち、国内向けは約1ヵ月半で完売した。

「価格が価格なので、こんなに早く売れるのは予想外でした」

 購入者の一人は、持ち物に強いこだわりを持つ税理士だったという。毎日の仕事で使う道具だからこそ、計算できればいいのではなく、「何を使って仕事をするか」まで含めて選ぶ。そこに、高級電卓が支持された理由の一端が見える。

「電卓は今後、嗜好品のようになっていくのかなと思っています。漆の電卓は、まさにその足がかりの一つです」

 実際、カシオでは機能だけでなく、見た目にもこだわった電卓を展開している。カラフルなものやスタイリッシュなもの、葛飾北斎の絵をあしらったものなど、その種類はさまざまだ。

「電卓は本来、見た目でワクワクするものでもないのですが、ふとした瞬間に目に入ってほっこりしてもらえたらいいなという思いから、デザイン性の高い電卓を用意しています。それこそ可愛い文具の一つとして持っていただければ、お仕事の合間の癒しにもなるかなと思います」

■生成AI時代、電卓は「答えを確かめる相棒」に?

 スマホやPC、AIなど誰もが手軽に計算できるようになった今、カシオは電卓市場の未来をどう見ているのだろうか。


「販売台数が劇的に伸びる市場ではないので、今ある層を手堅く取っていくことが大事だと思います。入学や就職のタイミングで手に取ってもらえるラインナップを用意し、定期的にモデルを刷新していきたいです」

 「モノ」としての魅力に加え、生成AIの広がりも、電卓に新たな役割をもたらしつつあるという。

「生成AIは人が壁打ちなどをして大きな指標を作っていくツールだと思います。個人的には、電卓はそのAIが出してきた答えに対して、本当かどうかと確認する相棒のような感じで存在し続けてくれるのかなと思っています」

 スマホや生成AIが得意なことはそれらに任せ、計算は電卓で確かめる。そんな使い分けのなかに、専用機が残る余地がある。多くのツールが多機能化するなかで、電卓は「計算する」ことに特化してきた。素早く確実に計算できる実用性、仕事道具としての使いやすさ、持つ楽しさへと、選ばれる理由は広がっている。1台で何でもこなせるデジタル機器が当たり前の時代だからこそ、一つの目的を磨き上げた専用機ならではの価値が際立つのかもしれない。

(取材・文/水野幸則)
編集部おすすめ