アパートの背の高いドアを開けたモハメドゥは、解放的な笑みが溢れていた。オランダの首都アムステルダム。

初めて会った8年前とは違う、何か突き抜けたような雰囲気だ。「よく来てくれた」「元気そうで嬉しい」。互いに抱擁した。

 モハメドゥ・ウルド・スラヒは、北西アフリカの国、モーリタニア出身。数奇な運命をたどる人である。

 遊牧民一家に生まれ、飛び抜けて利発な子だった。大学奨学金を得てドイツへ発ったのは1988年。米国とソ連の代理戦争がアフガニスタンで続いていた頃だ。「イスラム教徒を殺害する共産主義者と戦え」というサウジアラビアや米国の呼びかけに、他の若者たちとともにモハメドゥもアフガニスタンを目指した。しかし目にしたのはムスリム同士で殺し合う戦争の現実。落胆し学業に戻った。

 2001年9月、米同時多発テロが発生。

その2カ月後、米中央情報局(CIA)は、故郷でエンジニアとして働いていたモハメドゥを国際テロ組織アルカイダの重要人物と断定し、キューバのグアンタナモ米軍基地にある秘密収容所などで司法手続きなしで監禁した。15年後に解放されるまでに受けた激しい拷問や非人間的な扱い、米国人弁護士らの解放に向けた闘いの軌跡は、映画「モーリタニアン」(2021年)で描かれている。

 映画にはないが、モハメドゥの苦難は解放で終わったわけではなかった。モーリタニア政府は身分証明書を発行せず、移動の自由が数年間、制限された。拷問や長期監禁による心身の深い傷にも苦しんでいたが、米国は欧州などにモハメドゥを入国させないよう圧力をかけていたため、先進国で良い治療を受ける機会がなかった。

 しかし巨大な力に抗い、彼の自由や人権を取り戻そうと動いた人たちがいた。オランダ在住の弁護士が法廷の場で戦った結果、オランダ移民局は24年11月、モハメドゥの就労・在留許可を認めた。モハメドゥは、オランダの劇団専属の作家となり、アンネ・フランク財団がアムステルダムのアパートを住居として提供した。さらに、アムステルダム市長の尽力で24年10月、彼にオランダのパスポートが発行された。市民権授与式にはウィレム=アレクサンダー国王夫妻も訪れ、祝福した。

 「自由をくれたこの国を愛している」とモハメドゥ。オランダでは、反イスラム、反移民を掲げる極右政党が支持を集め、23年には第1党に躍進した経緯があったが、それでも他人の人権や自由、法の支配を守ろうと闘う人たちは健在だった。

彼の新しいパスポートを手にし、私はその事実に感じ入っていた。

 モハメドゥは、オランダの出版社と契約を結び、「自由への長い道のり」というタイトルの本をオランダ語で執筆中だ。拷問や拘禁による心身の後遺症は消えていない。「憎しみに支配されたくない。生きるために赦す」。初めて会った時にも口にしていた言葉である。

 ちなみに、2人の米国人弁護士、オランダの弁護士、アムステルダム市長と、モハメドゥの自由や法の支配を守るため壁に挑んだ人々は、全員が女性である。偶然だろうか。

舟越美夏(ふなこし・みか) 1989年上智大学ロシア語学科卒。元共同通信社記者。アジアや旧ソ連、アフリカ、中東などを舞台に、紛争の犠牲者のほか、加害者や傍観者にも焦点を当てた記事を書いている。

【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No.17からの転載】

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