物価が上昇している。ふくおかフィナンシャルグループ、チーフストラテジストの佐々木融さんは「日本は政府も企業も変化を恐れて本質的な問題から目を逸らし続けてきた。
その結果、韓国よりも低い賃金水準となっている」という――。
■なぜ日本はGDP4位に落ちてしまったのか
1990年代入り以降コロナ禍までの「失われた30年」を経験した日本経済は、2024年に日経平均株価がバブル崩壊後の高値を更新し、インフレ率は既に3年間も前年比2%以上となっている。また、賃金もピークだった1998~2000年頃の水準を回復したこともあり、ようやく「失われた」状態を脱却しつつあるように見える。
しかし、この間に日本は世界の主要国から追いつき追い抜かれ、差を広げられてしまった。
国連のデータによると、1990年から2023年までの33年間、日本の名目GDPは28%しか成長していない。一方、米国の名目GDPは4.7倍、英国は4.4倍、ドイツやフランスは2.7~2.9倍に成長している。日本はこれらの国と比べると殆ど成長していないことがわかる。
1990年当時の日本の名目GDPは米国に次いで世界2位で、3位のドイツと倍近い差をつけていたが、今では中国とドイツに抜かれ4位となっている。更に、5位のインドには肉薄されており抜かれるのは時間の問題だろう。6位のイギリス、7位のフランスも徐々に迫ってきている。
■韓国よりも低い賃金水準
OECDのデータで平均賃金の水準を比較すると、2000年時点では世界で2番目に高かった日本の平均賃金水準は、2024年時点で世界で24番目まで後退している。2000年時点の日本の賃金水準は米国よりも高かったのだが、2024年時点で米国の4割程度の水準しかない。

日本より4割程度賃金が低かったオーストラリアの賃金は今や日本の2倍となっている。日本の3分の1程度の賃金だった韓国は今や日本よりも賃金水準が高い。名目賃金が上昇していないことと円安が原因だ。
時折「日本は物価も上昇していないのだから、賃金が上昇していなくても問題はないのではないか」といった声も聞かれる。確かに物価の変化を考慮した日本の実質賃金は2000年当時と昨年はほぼ同水準だ。つまり、物価と賃金の上昇率は概ね同じだ。一方、その他主要国は実質賃金も上昇している。米国では約3割、オーストラリアは約2割、韓国は約5割も増加している。他主要国では物価の上昇を上回る賃金上昇が続いてきたのだ。つまり、日本人の購買力は他の主要国に比べて、名目でも実質でも落ちてしまっている。
■過去の栄光に酔いしれた日本
なぜこんなことになってしまったのだろうか。一言で言うなら、「過去の栄光に酔い過ぎ、バブル崩壊の経験に怯え過ぎ、変化することを避けてきたから」だろう。

政府は新たな成長戦略を言うだけで実行しようとはせず、金融政策と財政政策に頼り続けた。企業は過去のやり方が正しいものと信じる一方、まだ見えぬ次のバブル崩壊に怯え国内では投資を行わずに資金を貯めこんだ。そして、まだ残っている力を海外での積極的投資に振り向けてきた。
これが日本経済の「失われた30年」の背景だったのではないだろうか。ただ、日本経済の低迷はいよいよ限界が近づいてきているのだろう。
これまで、「そうは言っても日本は大丈夫」と高を括っていたが、どうもそうもしていられなくなってきた。それが最近になって顕著に見られ始めている政治や経済での変化なのだろう。良い方向か悪い方向かは別にして、「失われた30年」から脱却しようともがき始めているような動きが見え始めている。
もう少し具体的に問題点を考えてみよう。日本の政治の問題点はいくつもあるのだろうが、日本と米国の企業で長年働いてきた筆者のビジネス側からの視点で一つ言わせてもらえば、日本はリーダーが代わりすぎる。
■平均1年4カ月で代わる日本のリーダー
日本は1991年11月に首相に就任した宮沢喜一元首相以降、合計17名が首相となっている。34年間で17名だから一人平均2年間だ。
しかも、そのうち小泉元首相が5年半、安倍元首相が2回で合計9年弱なので、残りの首相は約20年間で15名ということになる。一人平均1年4カ月だ。これほど頻繁にリーダーが代わっていたら、大胆な組織改革などできるわけがない。
もっとひどいのは大臣だ。同じ首相の下でも内閣改造を行うため、財務大臣(以前は大蔵大臣)は1991年11月以降で24名もいるが、このうち麻生元財務大臣が9年弱やっているので、約25年間で23名ということになる。つまり、一人平均約1年しか務めていない。他の主要国でこんな頻繁に首相(大統領)や大臣が交代する国はあるだろうか。アメリカの大統領は最低4年間の任期は務める。1991年以降でみると大統領になったのは6名だ。フランスの大統領は5名、ドイツの首相は5名だ。最近頻繁に交代する印象があるイギリスの首相でも1991年以降で数えると9名で日本の半分である。
■リーダーが頻繁に代わることの問題とは
組織が発展・成長していくためには、それが国であっても企業であっても、組織の中の様々な問題を発見・認識し、どのような方向で変化・解決していくべきかを検討し、そのために必要な行動をとっていかなければならない。
反対意見がある中でも大胆な改革を行い組織自体を大幅に変化させていく必要がある。
その為にはリーダーが強い決断力と指導力を発揮して組織を動かしていかなければならないのだ。もちろん、独裁体制が長く続くことは好ましくないが、日本のように毎年のようにリーダーが代わっていたら結局は前例踏襲とならざるを得ず、問題点を把握し始めた頃に交代となってしまう。
そして、このような状況だから、経済的な問題が生じるとすぐにマーケットのせいにして、金融政策や財政支出で問題を解決しようとする。つまり、根本的な問題には目を向けない。いや、向けようとしても、そのうちに交代してしまう。
■本質的な問題から目を逸らしてきた日本
日本の当局者は、円相場が極端に円高になったり、円安になったり、長期金利が上昇すると、「投機的な動きはけしからん」、として、市場介入を正当化し、マーケットの動きを修正しようとする。しかし、先進国でこんなことをやっている国は日本以外にない。もし日本の当局者が言うことが本当なら、なぜ日本のマーケットだけ投機筋の攻撃を受けるのだろうか?
マーケットが過度な動きをみせる時があるのは確かだ。そうした動きの背景に短期的・投機的な取引を行う投資家がいることも事実である。しかし、こうした短期的・投機的取引をする投資家は、売ったら買い戻すし、買ったら売り戻す必要があるので、中期的にみれば、マーケットに与える影響は中立だ。従って、当局はこうした短期的かつ投機的な動きに気を取られる必要はない。

短期的な取引を行う投資家は、実需の動きが自分たちの動きの後についてくると考え、そして実際そうした動きが出てきた時に反対売買をして儲けることを考えている。従って、もし、当局がこうした投資家の動きが根拠もなく、単なる投機的な動きでしかないと本当に考えるのであれば、放っておけば勝手に反対売買を行うので、市場への影響は中立に終わるのだ。
しかし、日本の当局はマーケットの動きにばかり気を取られ、その背後にある本質的な問題には目を向けず、もしくは逸らすために、マーケットの動きが投機的だと言い続ける。そして、そうしたメッセージを送ることが結果的に国民全体が本質的な問題に目を向けるのを止めてしまっている。本質的な問題が解決されないかぎり、市場が一方向に動き続けるのは当たり前なのだ。
■日本企業が国外に出てしまった根本的な原因
時折、「1990年代から2000年代の円高を止められなかったから、企業が海外に生産移管をして国内の産業が空洞化してしまった」といった声が聞かれる。これも問題の所在をすり替えた議論だ。
国内需要増加の必要性を言うだけで大胆な変革を行わず、輸出増加で当たり前のように円高になるのを問題視しているだけだったから、企業は国外に出てしまったのだろう。根本的な問題に目を向け、国内需要が増加するような産業政策や構造改革を本気で行ってきたら、日本企業の多くは日本で生産を続け、円相場は自然と適度な円安水準に戻っていただろう。
もちろん、政府側だけが悪いわけではない。「失われた30年」の原因にはもちろん民間側にもある。筆者は日本と米国の企業に勤めた経験から、日本的な労働慣行、企業の人事制度の維持が「失われた30年」の大きな原因の一つだと考えている。

■機能しなくなっている日本の雇用システム
「豊富で安い労働力」と、「機械」を使って「大量生産」することによって利益を生み出すことで世界に追いつこうとしていた時代は、評価や給料に大きな差をつけず、定年まで徐々に一律で給料が上昇するという日本的な制度が好都合だった。社内の徒弟制度のようなシステム下では、会社に対するロイヤルティも生まれる。企業はそうしたロイヤルティもうまく利用しながら、配置転換を頻繁に行うことによって、多くの人材をその企業に合ったジェネラリストに育ててきた。
また、退職金の制度も長く勤めれば勤めるほど有利になるようにできているため、転職しにくくなる。その代わり、滅多なことではクビにはならず、結果的に定年まで勤めるという結果となる。こうした日本型システムのおかげで日本は高度成長を遂げることができ、敗戦から短期間で欧米に追いついくことができた。
しかし、世界経済システムも大きく変わってきている中で、経済的にもある程度成熟し、高度成長が見込めない日本には、もう従来の日本型雇用システムはそぐわなくなってきているのだ。
新しい技術やアイデアを用いて成長し、利益を上げなければならないという時代では、それぞれの部署が本当に必要としている人材を採用する形を取らないと間に合わないはずだ。また、当該部署の管理職が納得性の高い採用(人材の入れ替え)・評価・処遇を行わなければ、専門性のある優秀な人材を獲得・維持していくのは難しくなってくるだろう。
日本の政治も雇用システムも制度疲労を起こしている。今回の参議院選挙で見えた変化は良いか悪いかの論評はしないが、「失われた30年の後」に生じざるを得なかった変化なのだろう。
人数が足りなくなっている若者に対して、企業へのロイヤルティなど求めずに高い給料を払うのも大きな変化だ。日本経済はまだ悪くなるかもしれないが、復活するために通過せざるを得ない変化なのかもしれない。

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佐々木 融(ささき・とおる)

ふくおかフィナンシャルグループ チーフストラテジスト

1992年上智大学外国語学部英語学科卒業後、日本銀行入行。調査統計局、札幌支店を経て1994年から1997年まで国際局(当時)為替課に配属。市場調査・分析の他、為替市場介入も担当。その後考査局を経て、2000年7月よりニューヨーク事務所に配属され、NY連邦準備銀行等、米国当局と情報交換を行いつつ、外国為替市場を含めたNY市場全般の情報収集・調査・分析を担当。2003年4月、JPモルガン・チェース銀行にチーフFXストラテジストとして入行。2009年6月債券為替調査部長、2010年5月マネジング・ディレクター、2015年6月市場調査本部長。20年以上にわたってJPモルガンの世界全体のオフィシャルな円相場予想作成の責任者を務める。2023年12月より現職。2024年3月、財務省「国際収支に関する懇談会」委員。著書に『弱い日本の強い円』(日本経済新聞社)『インフレで私たちの収入は本当に増えるのか?』(ダイヤモンド社)がある。


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(ふくおかフィナンシャルグループ チーフストラテジスト 佐々木 融)
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