※本稿は、宮下友彰『不条理な世の中を、僕はこうして生きてきた。知っているようで知らない「古典教養の知恵」』(大和出版)の一部を再編集したものです。
■「神は死んだ」ニーチェ哲学の本当の意味
「既存の価値に従うな。自分で価値を創れ」
――新しいアイデアを生み出してくれた言葉
ニーチェは、数年に一度、ビジネス書や自己啓発書でブームになる哲学者です。
名前は知られているものの、案外、彼の思想は理解されていないように思います。
鍵になるのは、次の彼の発言です。
「神は死んだ」
なんだか大胆で、罰当たりのような言葉に聞こえますし、とてもネガティブな印象があると思います。
でも、実際はそうではありません。
これは人間にとってのグッド・ニュースだという意味でニーチェは主張しました。
それでは、解説していきます。
■自分が善いと思ったものが善い
ニーチェ「貴族と奴隷」のあらまし
――新しい価値を生み出すとは?
ニーチェが生きた19世紀後半のヨーロッパは、科学の発達で、喜びに溢れていました。
もちろん、科学の発達で便利になったことは喜ばしいことです。
一方で、イギリスの科学者であるダーウィンが「人間は神が造ったのではなく、猿から進化した」ことを明らかにしたように、これまで信じていたことがことごとく覆されて、混乱が起こっていたのも事実です。
しかし、ニーチェは「混乱して怯える必要はない」と言います。
科学が発達して、科学的に神が存在しないことがわかってきたではないか。
今まで人間たちは神から喜ばれようとして生きてきた。
それはまるで親を喜ばせるために勉強をする子どものよう。
でも、神がいないことがわかったのだから、神の顔色なんてうかがわなくていい。
自分のために、自分で決めた目的のために、誰の顔色もうかがわずに生きていい。
「神は死んだ」とは、人間が解放されたことを知らせるポジティブなメッセージです。
今まで人類は、道徳、つまり「どんな行為がいいのか」は、「神に喜んでもらえるかどうか」で判断してきました。
ところが、神がいないなら、もうその善悪の基準もなくなります。
自分が善いと思ったものが善い、自分が悪いと思ったのが悪い。
そうやって自由に生きていく時代が、ついにやってきたとニーチェは宣言します。
■自ら善悪を決められる人間を「貴族」
とはいえ、善悪の判断を自分でつけるというのは難しいものです。
ニーチェは、人間には2種類いると主張し、自ら善悪を決められる人間を「貴族」、決められない人間を「奴隷」と呼びました。
ニーチェのネーミングセンスはいつも過激です。
善悪を決められるというのは、別の言い方をすれば、「新しい価値を創造できる」ということです。
たとえば、大学に入学し、どんな服を着るのも許されたにもかかわらず、ファッション誌で「これで安心! 大学に着て行く私服10選」みたいな記事を見つけて、それを真似てしまう。
これでは、結局、「高校から決められた制服価値」から「ファッション誌から決められた価値」に乗り換えただけで、価値自体は誰かに決めてもらっている状態は変わっていません。
それでは、「奴隷」状態です。
しかし、「貴族」は違います。
自分らしさを表現できるようなオリジナリティあふれるファッションセンスで、大学内を闊歩します。
一見、奇抜に見える服装でも、「この上着にこのズボン、普通ならそんな組み合せありえないけれど、案外アリ!」と思わせてくれるおしゃれな友人は、きっとあなたの周りにもいるでしょう。
このように、「貴族」は新しい価値を生み出しているのです。
ニーチェは、神から解放された人類のうち、1人でも多くの人が「貴族」になって、それぞれが新しい価値を創造することを望みました。
この古典教養が救ってくれる人
・今の仕事が単調で、身が入らない人
・画期的なアイデアを創造したいけれど、いいアイデアが出てこない人
・独立を志しているけれど、どんな仕事をしたらいいのかわからない人
■「お困りごと解決」を切り口にした仕事にワクワクしない
さて、退職の相談をしたところ、上司は僕の決断を応援してくれたものの、欠員を補充することができないとして1年間待つことになりました。
僕は、独立したところで何をやるか決めていなかったので、この期間を使って、スモールビジネスを始めてみようと考えました。
まずは、何を仕事にするかが問題です。
起業するための本を読み、起業している人たちに話を聞いたところ、共通しているのは、「お困りごとを探す」ということでした。
基本的にはどんな仕事も、お困りごとを解決するもので、広告マンも「最近、商品の売れ行きが悪い」というお困りごとを改善するために仕事を依頼されます。
しかし、まだ若かった僕は、なんとなく「お困りごと解決」を切り口にした仕事探しにワクワクを感じませんでした。
それは、大いに先述のニーチェの思想が影響していて、「せっかく一生に一度の人生、それでいいのか!」と、ニーチェが叱咤してくれているように感じていたからです。
たとえば、昼食でパスタを食べていたところ、ソースが飛んで、ワイシャツが汚れてしまったとします。これが「お困りごと」です。
クリーニング屋はワイシャツから汚れを取り去り、白くすることを仕事にしています。それは、一度壊されたものを元に戻す作業です。
つまり、これでは価値を創造する「貴族」的な商売ではないと感じました。こんなことを主張すると、クリーニング屋に失礼だと言われてしまうかもしれません。
しかし、最近では、ただ汚れを取るだけではなく、「撥水加工」のサービスを実施し、汚れがついても生地に沁みにくくすることで、ほかの店舗と差別化をはかり、価値創造に励んでいるクリーニング屋もあります。
「汚れた後に相談するのがクリーニング屋」という常識を覆し、「汚れないようにするのがクリーニング屋」という新しい価値を提供していることになります。
■「イエス」か「ノー」を検討してもらえる仕事を
僕はマジックが得意なので、マジシャンとして生きていくということも考えました。
人が大勢集まる会で、場を持たせるために、マジシャンを呼ぶ。
これもお困りごと解決ですが、それでは価値創造の域にまでは達していません。
僕はよくマジックショーをした後、ショーを楽しんでくれたお客さんから「是非、名刺をもらいたい」とありがたい言葉をいただいていました。
マジックを始めた当初、「名刺をお渡しすれば仕事をもらえるかもしれない」と思っていましたが、経験上、名詞をお渡ししても連絡が来ることはありませんでした。
マジシャンという仕事は名刺交換したところで、その相手が近日中に催し物を主催しないかぎり発注しようがない、いわば「待ち」の仕事です。
そうではなく、広告マンの仕事のように「あなたの商品、ぜひ宣伝しませんか?」と尋ね、「イエス」か「ノー」を検討してもらえるような仕事がしたいと考えたのです。
では、具体的にどうするか。
マジックを演じるのではなく、「教える」というのはどうだろうか?
ただし、マジックのレッスンという仕事は目新しいものではなく、マジシャンが本業の合間に、2、3000円程度でレッスンを実施している人はいても、教えることを本業にしている人はいませんでした。
■「できる社長は、マジックを嗜む」
そのとき、山崎豊子さんの『白い巨塔』をはじめとする作品を思い出しました。
彼女の物語には、政財界の大物が登場し、彼らは御座敷で小唄を嗜んでいます。
地位の高い人間ほど、こういった趣味を好むようです。
もしかしたら、富裕層であれば、たしなみとしてマジックを学ぶことに興味を持ってくれるかもしれない。これこそニーチェが求めた価値創造だと合点がいきました。
ある知人は僕に「マジックが趣味の社長なんて見たことないし、無理だろう」と言いましたが、ニーチェなら「見たことがないなら、自分で創造しろ」と言うはずです。
そうと決めて、経営者や士業の集まる会に顔を出しはじめます。
「世界で1人だけの、マジックを教えることを専門にしている者です」と言い、名刺を渡すと、「マジックを教えてほしい」と言っていただける人があらわれました。
そこで知り合ったある製造業の社長が、こんな粋な話をしてくれました。
「俺は小唄の先生からこう教えられたんや。無駄を承知で、無駄をやれ」。
マジックを学んだところで、その会社の売上が上がるわけではありませんが、地位の高い人ほど、コストパフォーマンスを求めず、粋なものを求めることを知りました。
しかも、高価格でレッスンを提供でき、いつの間にか、マジックのレッスンという副業は、広告マン時代の収入を超えるほどになりました。
「できる社長は、マジックを嗜む」という新しい文化を創造するため、僕は退職後もこの道をしばらく続けました。
結果的には、述べ200人以上の富裕層の方にマジックを教えるという、「お困りごと解決」にとどまらない、ニーチェが求めた価値創造を実現することができたのです。
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宮下 友彰(みやした・ともあき)
古典教養アカデミー学長
1987年、埼玉県出身。学生時代より、哲学・文学・思想の本が好きで、数百冊を読み漁る。早稲田大学政治経済学部を卒業後、博報堂グループの広告代理店に入社。仕事で壁にぶつかるたび、かつて読んでいた哲学・文学・思想の言葉を思い出し、自分を奮い立たせてきた。のちに退職し、2019年、採算度外視で、教養を学ぶサービス「古典教養アカデミー」を大阪天満橋にオープン。2020年、コロナにより、全面オンラインに移行、2022年YouTubeチャンネル開設(登録者数3500名)。日本政策金融公庫、佛教大学、京都先端科学大学などで講演実績あり。
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(古典教養アカデミー学長 宮下 友彰 イラストレーション=さこうれい子)