日本語を扱うことの強みは何か。元内閣府事務次官の松元崇さんは「仮名の創造が、本来意味を持っていた漢字という文字から意味を取り去って、音声が無力な日本語を創り出した。
それは、創造性の発揮の究極の姿である『ウソ』の世界を自由に創り出すことを可能にした」という――。
※本稿は、松元崇『武器としての日本語思考』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
■「ほら話」の大切さ
英国の認知科学者でウォーリック大学経営大学院のニック・チェイター教授によると、「私たちはみな、ほら話に担がれている」と言います。
「ほら吹きは、自分自身の脳だ。脳という即興のエンジンは驚くほどの性能を誇り、そのときその場で色、物体、記憶、信念、好みを生成し、物語や正当化をすらすらと紡ぎ出す」
「ほら話(中略)のベールは私たちを完全に包みこんで(中略)ベールがそこにあることにすら、私たちは気づけない。(中略)私たちは驚異的なまでに創作力のある臨機応変の推論者、そして創造的な比喩機械(メタファーマシン)であり、散乱した情報の切れ端を溶接して一瞬ごとに整然とした一つの全体を創り出している」
「私たちは思考が『そのときその場の』でっち上げとは思いもしない。前もって形作られた色、物体、記憶、信念、好き嫌いを内なる深海から自分で釣り上げたのだと、そして意識的思考とはその内なる海のきらめく表面にすぎないのだと思い込まされる。だが、心の深みなるものは作り話にすぎない。自分の脳がその場で創り出している虚構(フィクション)なのだ。前もって形成された信念や欲望や好みや意見はないのであり、記憶さえもが、心の底の暗がりに隠れているのではない。(中略)心の奥はない。表面がすべてなのである。
つまり脳は、倦むことなき迫真の即興家であり、一瞬また一瞬と心を創り出している」
■自分たちで遊び、創作し、点数をつける
信念や記憶もすべてがその場でのでっち上げだなどと言われては、何を信じたらいいのか分からなくなりますが、心配はないようです。チェイター教授は、その点を人格形成の歴史ということから説明しています。
教授によれば、人格とはその人独自の過去の経験、思考や言動の積み重ねの歴史で、その歴史の中で人は常に自分自身を作り、また作り直している。社会や文化も、そのような作業の中で作り出されている。
そして、「何を行い、何を欲し、何を言い、何を考えるのかという前例が共有されることで、個人においてのみならず、社会の中に秩序が創り出されるのだ。(中略)そして新たに作った前例というのは古い共有された前例に基づいているのだから、文化のほうも私たちを創り出している。(中略)驚くほど安定し整然とした暮らしや組織や社会を構築している」というのです。
そして、話はそこで終わりません。社会や文化が驚くほど安定しているといっても「私たちがその上に建物を築くことのできる強固な基礎というのは、結局のところ存在しない。(中略)過去の前例の数々という伝統の枠内で(中略)私たちの生き方と社会を構築するのは、本来的に終わりのない、創造的な過程であることを意味する。
何をもって自分の意思決定や行動の基準とするかということ自体も、その同じ創造的過程の一部なのだ。つまり人生とは自分たちで遊び、自分たちでルールを創作し、点数をつけるのも自分たちであるようなゲームなのだ」というのです。

そのように言うチェイター教授が重視するのが、想像の飛躍であり比喩です。私たちは、「驚異的なまでに創作力のある臨機応変の推論者、そして創造的な比喩機械」で、言語には、その比喩がしみ込んでいて想像力をどこまでも広げていく機能がある。それが人間の進化につながっているというのです。
■日本語は音声が無力な、きわめて特殊な言語
比喩がしみ込んでいて想像力をどこまでも広げていくという点に関しては、同音異義語の多い日本語は、音声が特定の意味を限定しないことによって大きな想像の飛躍を可能にしている言語です。
中国文学者の高島俊男氏によれば、同音異義語が多く文字の裏付けがなければ音声だけでは意味を特定しえないという点で、日本語は音声が無力な、「世界でおそらくただ一つの、きわめて特殊な言語」だといいます。
仮名の創造が、本来意味を持っていた漢字という文字から意味を取り去って、音声が無力な「世界でおそらくただ一つの、きわめて特殊な言語」を創り出したのです。それは、漢字が本来持っていた意味から脱却することによって、創造性の発揮の究極の姿である「ウソ」の世界を自由に創り出すことを可能にしたということです。
仮名とは、漢字が真名(マナ)とされたのに対するものです。「仮」の中国語の元の意味は「偽(にせもの)」です。「にせもの」とは「ウソ」ということです。例えば、「仮病」は「ウソ」の病気です。そんなものですから、新たに勝手に創り出しても誰にも文句を言われません。

そこで、江戸時代までは様々な漢字からたくさんの変体仮名が創り出され、その数は322種類にも上っていたといいます。
変体仮名には、書きやすく、また美しく見えるようにということで様々な「くずし字」が工夫され、状況に応じて選択されました。そのような変体仮名は、それ自体が美術品で、様々な工芸品に登場してきました。
そのように、本物にこだわらず、「偽(にせもの)」を大切にする文化から、動物を人間に擬した鳥獣戯画や、秘所をそのものの寸法以上に大きく描いた枕絵などの日本独特の美術が生まれてきたのです。
■「笑点」が長寿番組になった理由
仮名が「ウソ」の世界を創り出したことは、臨機応変に漢字を「訓読み」する言葉遊びの文化も生み出しました。例えば、「無学漢」を「わからずや」と読ませたり、掛け算の九九(=八一)から「二八一」と書いて、「二(に)八一(くく)」(憎く)と読ませたりしました。
「やまとことば」をその意味を拾って漢字化することも行われました。例えば万葉集には、恋を「孤悲」と漢字化した歌があります。恋とはひとり(孤)悲しむことという認識をそこに見出すことが出来ます。ダジャレやギャグの源泉といえましょう。
落語家たちによる言葉遊びの大喜利が人気の「笑点」(日本テレビ系列)が長寿番組となっているのも、そのような日本語の歴史あってのことなのです。
想像の飛躍を得意とする日本語が生み出したものに、直観による認識を大切にする文化があります。
直観による認識とは、論理を超えた事物まるごとの認識です。日本の習い事では、弓道、茶道、華道のように説明なしに型から入るものが多くあります。
型は論理による認識ではありません。雰囲気、位、品格を直観によってとらえるものです。直観による認識を言語化したものにオノマトペがありますが、日本語にはそのオノマトペが大変に多いのです。
オノマトペには、ふっくら、すべすべなど物事の状態を表す擬態語、ガチャン、ドカンなどの音を表す擬音語、ブツブツ、ワンワン、ブーブーなど人や動物の発する声を表した擬声語の3つがあるといわれますが、英語のオノマトペには擬音語と擬声語しかありません。
■過去と現在と未来が表現の混じりあう
それに対して日本語のオノマトペには擬態語も含めて全てのものがあります。テキパキ、ソワソワ、カンカンといった身体感覚や感情を示すものまであります。そして、英語のオノマトペが1000~1500語と言われるのに対して、日本語では約4500語もあるのです。
日本語では過去や未来といった時制の制約がゆるいことも、大きな想像の飛躍を可能にしています。「分かった人は手を挙げて」「行く人は並んで」というのは、過去と現在と未来がまじりあった表現です。それに対して西欧では、過去と現在と未来とを峻別してきました。

ローマ帝国時代最大の哲学者で、デカルトやカントにも影響を与えたとされるアウグスティヌスは、過去のものの現在は記憶であり、現在のものの現在は直覚であり、未来のものの現在は期待であると峻別していました。
いかにも論理的ですが、そのような峻別からは、時空を超えての想像の飛躍は制約されてしまいます。

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松元 崇(まつもと・たかし)

元内閣府事務次官

1952年東京都生まれ。国家公務員共済組合連合会(KKR)理事長。東京大学法学部卒業後、大蔵省(現財務省)に入省。スタンフォード大学MBA。財務省主計局次長などを経て、2012年に内閣府事務次官。著書に『大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清』など。

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(元内閣府事務次官 松元 崇)
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