中東・ドバイ沖に浮かぶ「ザ・ワールド」は、世界地図の形をした300の人工島で、富裕層向けの住宅やマンション、リゾートなどを誘致する計画だった。2003年の計画発表から23年が経つ今も、開発が完了した島はごく一部にとどまっている。
海外メディアが、水道も電気もない島の今を伝えている――。
■国名を名付けられたリゾート人工島
2007年3月、アイルランド人の不動産開発業者ジョン・オドーラン氏は、ドバイ沖に浮かぶ人工島を約3860万ドル(現在のレートで約59億8300万円)で手に入れた。
ドバイの人工島プロジェクト「ザ・ワールド」の約300の島々のうち、「アイルランド」と名づけられたその島に、仲間3人とともにリゾートを建てるつもりだった。
だがわずか2年後、世界金融危機のあおりを受け計画は瓦解した。オドーラン氏は、アイルランド西部の自宅で自ら命を絶った。51歳だった。残されたのは、妻と3人の子どもたち。友人たちは、「一緒にいると本当に楽しい人だった」と惜しむ。
オドーラン氏が購入した島は、約22万5000平方フィート(約2万1000平方メートル)。東京ドームの半分ほどの広さがあった。中東の英字ビジネス誌のアラビアン・ビジネスによると、住宅やリゾートマンション、レストラン、商業施設を設け、ビーチやボートも楽しめるリゾートにする計画だった。
購入時、オドーラン氏は、「このプロジェクト(ザ・ワールド)のビジョンに感服した。
島々は実に壮観だ」と語った。寒風吹くアイルランドの人々が太陽の下に集い、「故郷と呼べる場所」を手にするのだ、と情熱を燃やした。
1980~90年代にアイルランド西部で有数の競売・不動産業者として財を成したオドーラン氏。しかし、金融危機後は、傘下の運営企業2社の双方に管財人が選任されるまでに追い込まれていた。その悲劇は、ドバイ沖の人工島プロジェクトが残した最も深い傷跡の一つだ。
近年、この島々にも「復活」の兆しがあるという。だが、あえて陸地から離れたインフラのない人工島をリゾート開発するビジョンに、必ずしも共感する人々ばかりではない。
■砂ばかりが広がるゴーストタウン
オドーラン氏が夢を託した「アイルランド」は、ドバイ沖に浮かぶ約300の人工島のうち、実世界のアイルランドの位置に浮かぶ小島だ。
ザ・ワールドの群島はいずれも、海岸から約5キロ沖に、上空から世界地図に見えるよう配置された。英高級紙のテレグラフによると、2008年の世界金融危機で大規模開発が頓挫し、関係者の中には破産や小切手の不渡りで収監された者もいた。2011年には、ドバイの開発会社ナキール・プロパティーズの弁護士が、プロジェクトは「昏睡状態にある」と認めている。
同紙によると、島の造成にあたり、約3億2000万立方メートルの砂が海底から吸い上げられた。
東京ドームなら約260杯分に相当する。総開発費は約140億ドル(約2兆1000億円)に達し、防波堤に囲まれた開発域の総面積は約50平方キロメートル(東京の江戸川区とほぼ同じ広さ)に及ぶ。
だが、その成果は、投資規模にまるで見合わなかった。米高級ライフスタイル誌のエリート・トラベラーは、ドバイの不動産大手ナキールが2003年に発表した構想に約150億ドル(約2兆3250億円)が注ぎ込まれた時点でも、完成していた島はわずか1つだったとしている。
各島の面積は2万3000~8万3000平方メートル(東京ドームの約半分から約1.8倍)。約8.7キロにわたって広がる島々の大半は、世界金融危機を経て、工事途中のまま放棄された。かつてUAE最大級の野心的プロジェクトと称された群島は、砂ばかりが広がるゴーストタウンと化した。
ザ・ワールドは、ドバイに根づく「まず建設し、需要は後からついてくる」という開発哲学を象徴している。ヤシの木型の人工島パーム・ジュメイラや、高さ828メートル(東京スカイツリーの約1.3倍)で世界一の超高層ビルとなったブルジュ・ハリファの成功により、現地に開発哲学として定着した。だが300の島々は、その賭けが裏目に出た証として、今もペルシャ湾にぽつりと取り残されている。
■原油急落でプロジェクトは凍結
波間に漂う小舟のように、行き先をすっかり見失ったプロジェクト。悲劇の始まりは、原油価格の下落だった。

2008年、世界金融危機で原油価格は1バレル140ドル(約2万1700円)から40ドル(約6200円)へ急落する。ドバイ沖では、まさに浚渫船が昼夜を問わず海底の砂を吸い上げ、世界地図を模した300の島々を造成している最中だった。工事はすでに6割まで進んでいた。
中東金融専門メディアのファイナンス・ミドル・イーストによると、事業主体のナキールは資金繰りが急速に悪化。経営破綻を回避するため約100億ドル(約1兆5500億円)もの救済資金が投じられた。
ナキールは、ドバイの政府系投資会社ドバイ・ワールドの不動産開発部門だ。親会社のドバイ・ワールドも、金融危機前に膨れ上がった巨額の借入金にあえぎ、債務返済の停止を宣言した。世界の金融市場に衝撃が走った。
米全国紙のニューヨーク・タイムズは2010年9月、ドバイ・ワールドが総額249億ドル(約3兆7350億円)の債務再編で債権者の99%から合意を取り付け、数週間以内に手続きが完了する見通しだと報じた。返済停止の宣言から1年足らずでの決着だった。全額回収の見込みはないと、ほとんどの債権者が理解していたのだろう。
再編後の債務は5年物44億ドル(約6820億円)と8年物100億ドル(約1兆5500億円)、計144億ドル(約2兆2320億円)に整理された。
同紙によると、これとは別にドバイ政府が約90億ドル(約1兆3950億円)の融資を出資に転換している。政府の譲歩なしには成り立たない救済策だった。
浮かれたリゾートになるはずだった人工島は、石油経済への依存と過剰な借入により、借金の底へと沈んだ。
■聞こえ始めた復活の息吹
こうした開発の遅れを経て、約15年の沈黙を破り、島に初めての宿泊客が降り立ったのは2022年のことだった。
UAE系デベロッパーのセブン・タイズが手がけた「アナンタラ・ワールドアイランズ」がこの年、限定営業(ソフトオープン)を始めたと、テレグラフが伝えている。
同リゾートは、ザ・ワールドの南アメリカ・エリアの一角に位置する。プライベートプール付きのヴィラに朝食が届くモルディブ風のリゾートで、ドバイの喧騒から離れたい在留外国人やUAE国民に支持されているという。UAEニュースサイトのノティシアスによると、アナンタラはハイシーズンで85%近い客室稼働率を確保している。
ザ・ワールドの別エリア、ヨーロッパの都市をテーマにした6島のリゾート「ハート・オブ・ヨーロッパ」でも動きがある。うち1島の「ハネムーン・アイランド」では、長年遅延していた水上ヴィラ「フローティング・シーホース」で、全42棟中36棟のオーナーが確定した。
かつて「呪われたプロジェクト」と酷評されたエリアの物件は、所有することでステータスを得られる「トロフィー資産」として語られ始めている。
■電力も水道もない島に5000室のホテル計画
冬の時代を経て、ゆっくりと再始動しつつあるザ・ワールド。
しかし、建設は前途多難だ。
ハート・オブ・ヨーロッパを手がけるクラインディーンスト・グループの創業者兼会長、ヨーゼフ・クラインディーンスト氏によると、ザ・ワールドの建設コストは本土比で大規模開発が30%増、小規模では最大50%増にのぼる。中東湾岸ビジネス誌のアラビアン・ガルフ・ビジネス・インサイトが2024年に伝えた。
さらに、コスト以上に根深いのが、交通手段の欠如だ。当初のマスタープランに盛り込まれていた交通ハブは、いまだに整備されていない。クラインディーンスト氏は、「旅客だけでなく、建設資材や食料を運ぶ船のための拠点が本土側と島側の双方に必要だ」と指摘し、「拠点が整わない限り、他のオーナーのほとんどは着手しないだろう。島は空のままだ」と語った。
加えて、電力などのあらゆるインフラがない。ザ・ワールドはドバイ市の公共インフラに接続されておらず、電力・上下水道・廃棄物処理のすべてを開発者が自力で用意しなければならない。リゾートの建設というより、街をゼロから起こす作業だ。
それでもクラインディーンスト氏は手を緩めない。アラビアン・ビジネスによると、同氏が推進する「ハート・オブ・ヨーロッパ」は総額60億ドル(約9000億円)規模のプロジェクトだ。
2027年までに20のテーマ型施設と5000室超のホテル客室を揃える構想で、昨年9月の時点で15棟が建設中、残る5棟も2025年中に着工するという。
もっとも、計画は遅延しており、プロジェクト内でいま稼働しているのは2024年に正式開業した大人専用ブティックホテル「ヴォコ・モナコ」だけだ。
■富裕層「不便だから買いたい」
島々が再び注目される理由には、少々危ういところがある。本土から離れた不便さが解消される見込みは薄く、だからこそ物好きの富豪たちの興味を惹いているという。
金融危機でプロジェクトは頓挫し、大半の島は手つかずのまま残された。ノティシアスは、超富裕層の不動産市場において、その「希少性」が評価され、立地の不便さを補っていると分析する。
超富裕層が割増価格を払うのは、海に隔てられて容易にたどり着けない環境、すなわち「お墨付きの孤絶性」だ。世界中がつながる時代だからこそ、交通ハブもない隔離された島々に値段がつく。
ドバイ国際空港からわずか25分でありながら「孤絶したプライベート島」を名乗れる立地は、ほかの市場では再現できない。
ノティシアスによると、「ハート・オブ・ヨーロッパ」では、2025年10月から2026年1月にかけて海外投資家の問い合わせが340%増えた。
かつては島が海流で浸食されているという噂が流れ、「本当に沈まないのか」という問い合わせが多かったという。今、そうした懸念は影を潜め、「いつ引き渡しか」「賃料はいくら取れるか」といった実務的な関心が目立つ。
計画の頓挫により開発は大きく遅延し、海底に敷設されるはずだった電力網は実現していない。ハブから供給されると謳われた真水の配水もない。ゴミ処理プラントも船の発着場も各リゾートが独自に建設する、自給自足の状態だ。
失敗によって生じたこのような制約があってなお、手軽な孤島という性質が、いまや最大のセールスポイントになっている。
■中東リスクを乗り越えられるか
帰りのスピードボートが本土に向かって波を切れば、船窓の外には無人の砂山が次々と流れていく。総開発費約140億ドル(約2兆1000億円)を注ぎ込んだ、約300の人工島だ。
景色を過ぎてゆく数々の砂山に、わずかな動きはある。パーティー会場「ソーホー・ガーデン」がチリを模した島で特別イベントを始め、UAE系デベロッパーのザヤは自社の島でプライベートヴィラ30棟を売り出した。26棟には買い手がついたが、残り4棟はまだ空き物件のままだ。
ドバイのムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム副大統領兼首相は2011年、グリーンランドに見立てた島に私邸の建設を命じ、ザ・ワールド初の「居住者」となった。東京の1つの区に相当する総面積約50平方キロメートルの開発区域で、長らく唯一の住人だった。
英ジャーナリストのロバート・ジャックマン氏は、テレグラフ紙への寄稿で、マクトゥーム氏にも「ようやく隣人ができそうだ」と皮肉る。長らく白地図であったザ・ワールドに、ようやく雪解けが訪れようとしている。
もっとも、全300島の完成時期は誰にも見通せない。中東情勢のリスクを投資家が嫌気すれば、減速のシナリオもにわかに現実味を帯びるだろう。

----------

青葉 やまと(あおば・やまと)

フリーライター・翻訳者

1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。

----------

(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)
編集部おすすめ