※本稿は、メライン・ファンデラール『熟睡力』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
■睡眠の良し悪しを区別する黄金基準とは
産業社会では異常、悪いと即座に決めつけられるような睡眠のパターンが、現代の狩猟採集民ではごく普通であることには興味をそそられないだろうか。
人類学教授フランク・マーロウは2010年の論文「ハヅァ族――タンザニアの狩猟採集部族」の中で、彼らが生きた化石ではないと認めながらも、「ハヅァ族が初めて公に記述された1911年以来、祖先の生活様式の非常に多くをほとんど変えずに保存してきたことは驚きである」と記している。
生活環境やライフスタイルに現代のテクノロジーや人工照明からの影響をほとんど受けていない民族集団を研究することで、私たちは過去の睡眠を最も近くで垣間見ることができる。ハヅァ族の生活環境は原始人類が生きていたそれと似通っている。
ハヅァ族の就床時間の平均は9時間強、睡眠時間は平均6時間15分だ。入眠にかかる時間は平均22分だが、夜中にほぼ2時間半の間、目を覚ましている。これは就床時間に占める実際の睡眠時間の割合、すなわち睡眠効率が約68%であることを意味する。産業社会では85%が熟睡感を持つ値とされるが、全く対照的である。
85%という数字が初めて登場したのは、睡眠の質を測るための一般的な指標、ピッツバーグ睡眠質問票を開発する際の1989年の論文だと思われるが、おもしろいことに線引きの根拠となる明確な研究結果はなかった。
にもかかわらず、臨床医や科学者たちは睡眠の良し悪しを区別する黄金基準(ゴールドスタンダード)として、何十年もこの85%という値を用いてきた。
研究者たちは2019年になって初めて、妥当な睡眠効率を83%であるとした。同研究によると安眠型の人の睡眠時間は5時間20分から7時間強の場合が多く、2015年に米国の国立睡眠財団が成人の睡眠時間として推奨した7時間から8時間よりもはるかに短い。
要するに、同研究で明らかになった睡眠時間はハヅァ族の睡眠時間と非常によく似ているのだ。なんとも興味深いことだ。
重要なのはハヅァ族と2019年の研究の睡眠時間はアクティグラフィーに基づいていることだ。研究からはアクティグラフィーでの測定結果と主観的な睡眠時間とは必ずしも一致しないことが判明した。
■実際はもっと長く寝ている可能性
不眠型だと自身の睡眠時間を過小に評価し、安眠型だと過大に評価する傾向にあるのだ。ある研究では被験者の34%でアクティグラフィーでの測定結果と自身の推定する睡眠時間に1時間以上の乖離があった。
また、被験者はアクティグラフィーで表示された時間よりも平均23分長く眠ったと考えていた。
これはどういうことだろう? アクティグラフィーによる睡眠時間は主観的な睡眠時間より、信頼性の高い睡眠ポリグラフ検査で測定された睡眠時間に近いことが研究からわかっている。
安眠型の人が6時間眠ったと思ったとしても、実際の睡眠はもう少し短かった可能性があるのだ。不眠型では6時間眠ったと思ったとしても、実際はもっと長く眠っていたかもしれず、これも不眠症の人にとっては安心材料になるかもしれない。
不眠症などで睡眠の断片化が著しいと、夜の睡眠で得られる休息感がずっと少なくなる可能性があるという現象とおそらく関連している。
不眠症だと脳は中断されずに30分以上眠らないと睡眠を認識しないようだが、不眠症治療では主観的な睡眠時間と主観的な睡眠効率を特に重視する。それが最終的には本人が知覚する睡眠の質を示すもので、治療において改善の拠り所となる最も重要な指標の一つだからだ。
■不眠症は実は睡眠の問題ではない
研究対象となったハヅァ族の平均睡眠効率は70%未満であるが、にもかかわらず、睡眠の問題が報告されていないという特異性がある。これまで見てきたように、理由の一つは、産業社会での夜の睡眠の状態が悪いということではなく、私たちが中途覚醒の時間をハヅァ族の人々より否定的にとらえているからだろう。
これまで診てきた患者は夜を辛いもの、眠れないものと心配しながら過ごす人が多かった。ハヅァ族のように夜一緒に眠る誰かに何度か起こされ、覚醒したままゆるゆると横たわり、その後また寝入ってしまう状態より、ずっと多くのストレスと疲労を生むと想像できる。
したがって、不眠症は睡眠の問題というより不安な覚醒の問題だと考えられる。ふと目覚めても、寛いで横になっていられるのなら睡眠問題が生じる可能性は低い。不眠を分析する質問は「なぜ眠れないのか?」ではなく「なぜ目覚めているのか?」、さらには「目覚めている間、何をしているか?」とすべきなのだ。
充分な睡眠をとるべきだというプレッシャーや不自然なほどの「スーパー睡眠」の追求が、産業社会を悩ませているように見える。近年の睡眠薬の大量消費ぶりにも見てとれる。
本稿ではこの点をさらに詳しく述べ、夜中の覚醒時間を減らし、睡眠時間を増やす最も強力な方法を記したい。
■不眠に睡眠薬は有効か
古代エジプトの治療師はアヘンやサフランなどを不眠症の主な治療薬(レメディー)としていた。先に見てきたように中世ヨーロッパでは夜中の覚醒を普通のこととみなしていたため、不眠にはあまり注意が払われなかった。
16世紀になる頃には軟膏、錠剤、水薬(ポーション)で不眠症を治療していた。1960年代初めにはベンゾジアゼピン系の睡眠薬が定期的に処方されるようになった。
近年、睡眠薬を処方しない、または処方量を減らすことが支持されるようになった。
明確な理由がある。睡眠薬を服用しても、客観的に見ると睡眠時間はほとんど増えず、客観的な睡眠の質が低下することをご存知だっただろうか? これは大切なことだ。客観的な睡眠の質は身体の健康と身体機能全体に最も重要だからだ。
研究では、睡眠薬の服用をやめて15日後には、客観的に見て服用中と同程度に眠れるようになることがわかっている。服用中止後しばらくは、身体が薬に慣れているため睡眠の状態が悪くなるが、その後は服薬なしでも同じ時間眠れるようになる。
ベンゾジアゼピン系薬剤や非ベンゾジアゼピン系薬剤のもう一つの欠点は、認知機能の低下を引き起こす可能性が高いことである。服用が短期でも長期でも、注意力、作業記憶、エピソード記憶に問題が生じかねない。
■服用中止後も最長6カ月は認知障害の原因に
高齢者(55歳以上)を対象とした研究では、非ベンゾジアゼピン系薬剤のゾルピデムは、服用中止後も最長6カ月は認知障害の増加の原因になることが判明した。
それでも産業社会ではベンゾジアゼピン系薬剤や非ベンゾジアゼピン系薬剤の使用率は依然として高い。ベンゾジアゼピンは睡眠を改善するためだけでなく、不安を軽減する、筋肉を弛緩させるためにも用いられる。また、これらは精神科で最も一般的に処方される薬でもある。
米国では20人に1人以上が処方を受けている。睡眠の問題に用いられる場合、睡眠への悪影響、副作用、依存症のリスクがあるので処方を短期間(4週間未満)にするのが一般的な規則だが、2018年の調査によると、英国では25万人以上がベンゾジアゼピン系薬剤や非ベンゾジアゼピン系薬剤を推奨期間を超えて服用している可能性が高かった。
ヨーロッパのある研究では、不眠症患者に平均15週間以上処方されていた。国によって違いが大きく、英国では平均7週間強、ドイツでは平均約11週間、スペインでは平均約23週間だった。
■患者は薬を手放せなくなる理由
患者は睡眠薬――私は「抗覚醒薬」とも呼んでいる――の服用中止を怖がることが多い。
睡眠療法士としての経験から言うと、服薬中止が困難な理由は患者がもっと眠りたいからではなく、不安なまま目覚めている辛さに戻りたくないから、というのがほとんどだと思う。
様々な悪影響があるにもかかわらず、薬がもたらす最も大きなものとはまさにこれなのだ。患者は薬を手放せなくなる。睡眠を向上させる、もっと自然な方法があることに気づいていない人は多い。
要約すると、睡眠薬の服用中止は患者に不安、認知の懸念、一時的な睡眠の状態の悪化といった禁断症状を起こす可能性が高い。薬が効かなくなり、健康に悪影響を及ぼす可能性もあるのに、患者は薬を使い続けてしまうことも多い。
それでも、ほとんどの場合で服用中止をお勧めしたい。もちろん、必ず医師に相談する必要がある。睡眠薬に代わる手段というものもある。長期的に効果があり、より自然な方法で睡眠を促進できる最も強力なテクニックの一つを説明したい。
■睡眠問題治療のゴールドスタンダード
薬剤の介入なしで睡眠問題に最も効果のある治療のゴールドスタンダードは「不眠症のための認知行動療法(CBT-i:Cognitive Behavioral Therapy for insomnia)」と呼ばれる。
私が睡眠医学センターの同僚と共同で行った研究では60人の患者がCBT-iの治療を受けたのだが、その結果は感動的なものだった。
患者のほとんどは不眠症治療のためにかかりつけ医からの紹介でセンターに来ており、事前に他の睡眠専門医や神経科医の問診を受け、身体的な問題が原因である可能性はないとされていた。
私たちはまず、患者に不眠症に加えて精神疾患があるかどうかを調べた。不眠症の度合いを測定するため質問票を配布し、質問項目には性格や生活の質などの可変要素も含めた。患者は4~6週間のプログラムに参加し、睡眠の心理教育を受けた。
「睡眠ダイアリー」をつけ、リラックスするトレーニングと行動療法を受けるのだ。睡眠の改善のため就床時間を短くする睡眠制限や、眠れない時には起き出すようにする刺激制御なども行われ、場合によっては認知療法も施された。
睡眠に対するネガティブ思考に対処し、患者が不眠を前向きにとらえ、リラックスすることで睡眠の改善につながった。
治療終了時と3カ月後の追跡調査で睡眠がどの程度改善したか、治療の効果を検証した。すると、精神疾患のない不眠症患者の約83%が治療終了時に症状がなくなったと報告した。
睡眠時間は治療前より平均1時間20分長くなり、ベッドで起きている時間は治療前の44%から20%に減った。入眠に平均80分かかっていたのがベッドに入ってから24分後には入眠するようになった。一定期間、睡眠問題を抱えていた場合、治療への反応が悪いのではないかとも思われていたが、そうではなかった。
■治療後にはうつ病の症状が有意に減少
不眠症に加えて精神疾患のある患者には治療の効果は小さかった。不眠症の症状が全くなくなったのはわずか23%。それでも治療には別の効果があった。
入眠にかかる時間が約90分から約45分に短縮され、一晩あたり平均するとほぼ1時間長く眠れるようになったのだ。治療後にはうつ病の症状が有意に減少したこともわかった。一般的なアドバイスとしては、睡眠とメンタルの両方に問題がある場合、どちらにも対処した方がよい。
CBT-iは更年期の間やそれ以後の睡眠問題の治療法のゴールドスタンダードでもある。2016年の研究では、CBT-iを受けた更年期前後の年齢の女性は主観的な睡眠の質が向上し、寝つきが早くなり、中途覚醒の時間が短くなったと報告されている。
とはいえCBT-iは誰もが受けられるわけではない。睡眠療法士への紹介状が必要なことがほとんどで、たいてい順番待ちのリストは長い。その場合、睡眠制限療法も閉経後の女性に素晴らしい効果があるというのは朗報だ。不眠症の女性150人を対象とした研究では、睡眠制限療法はCBT-iとほぼ同等の効果があった。
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メライン・ファンデラール
睡眠科学者
1979年、オランダ・ヴェールト生まれ。マーストリヒト大学で生物心理学を学び、博士号を取得。現在は同大学で教鞭を執る。専門は不眠症および睡眠問題。長年オランダの睡眠医学センターに勤務。睡眠医学の普及のため、本国では多数のメディアに執筆、出演。
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(睡眠科学者 メライン・ファンデラール)

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